18.アーキフェネブ(3)
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17話を読み飛ばした方への簡単なあらすじ。
族長との初夜で手酷く扱われたアーキフェネブは、異界渡の儀をする斎場へと連れていかれる。そこへ、異議を唱えるためにやってきたクレナは、異界渡の儀・立会いのためにやってきた神官長の合図によって、護衛に殺される。アーキフェネブは戸惑いのまま、クレナを救いたくば精霊王の大前で願うがいい、と族長に追い立てられるようにして、進む先に精霊王がいるという洞窟を進むことになった。
さむい
さむくて、さむくて
もう、なにも、かんがえられない。
洞窟の中はひどく寒く、岩肌から水が滲み出ていて、足元には流れのない水が溜まっていた。
濡れていても、冷たくても、所々岩のころがる洞窟内を歩くには、底が硬い織りの足袋を脱ぐわけにはいかなかった。水を吸って重くなった衣装は暗闇の中を進みながら、手探りで脱ぎ捨てて行く。帯もほどいて、頭の飾りも次々と落として行った。
襦袢一枚を腰紐いっぽんで結んで、ただ、一心に歩く。
クレナ
その名を思い浮かべる。
クレナ
舞台に倒れた彼女を。彼女の身体から流れ出て行く、真っ赤な血を。
森の中にやってきてくれたクレナ。
村に居場所をくれたクレナ。
寂しかった私に会いにきてくれたクレナ。
クレナがいれば、他は何もいらなかったのに。
人気者のクレナには、私なんてその他大勢の一人であったに違いない。同じ気持ちを向けてもらえることはないとわかっていた。
それでもよかった。
クレナが、オリクを好きでもよかった。
私とクレナの橋渡しをしてくれていた、優しいオリク。クレナを喜ばせるために、私の様子を見にきて、共に過ごした日々。それは、私にとってもクレナの様子が聞ける、大切な時間だった。
私とクレナの間に、オリクがいてもよかったのだ。
クレナは族長と結婚することが決まっていて、クレナとオリクが結ばれないことがわかっていた。でも、密かに愛し合う二人を一番近くで見守ることができて、私だけでも二人を祝福できれば、それでよかった。
それだけで、よかったのに。
重い体と、一睡もしていない頭は、正常な思考力も判断力も持てていないことはわかっていた。
それでもこのまま、ただ、精霊王の御座を目指す。
血だまりに伏したクレナを、助けてもらうために。
クレナが願ったのだ。私に向けて、世界を救ってと。
それだけの力を持つ存在に、今から会う。世界と一緒に、クレナも救ってもらう。それくらい許されたっていいはずだ。
きっと、元気なクレナにまた会える。きっとそう。
だから、これで間違いないはずだ。
「まってて、クレナ」
気づけば、ひどく暖かな場所で目を覚ました。
なんだか、随分酷い夢を見ていた気がする。クレナとオリクが、あんな、ことに……。
ハッとして眠気を振り払う。起きようとして、首から下がぴくりとも動かないことに気づき、混乱する。
「クレナ」
声に出してみて、改めて全部現実だったことを自覚した。今どうしてここにいるのか、あれからどれくらい経つのか、不安と焦燥が募っていく。
「落ち着いて、大丈夫よ」
優しい声が降ってきた。声がした方へ首をめぐらせると、波打つ金髪が美しい、綺麗な女の人が立っていた。
「まだ寝ていたほうがいいわ。渡りの負担は大きくて、回復するまでに時間がかかるもの」
自分が今、大きな寝台に横たわっていることをようやく理解する。
なんでこんなところで眠っていたのだろう。こんなことしている場合じゃないのに。はやく、早く帰らなくては。クレナのところに。
「どうしたの? どこか痛む? 苦しい?」
無理に起きようとする私を見て、少女のようなあどけなさで、綺麗な手を伸ばしてくる。
痛むのは身体中で、苦しいのは今までずっとだ。特に、体の中心が熱くて、ひどく痛む。苦しい。暴れ狂う何かを、無意識のうちに必死で押さえ込んでいた。
「ここは、どこ。あなた、は……?」
口にした問いかけはかすれた。大丈夫よ、と優しい声が繰り返される。
「ここは中央神殿。あなたは無事辿り着いたの。あなたは異界渡の巫女として、立派に役目を果たしました」
中央神殿。なんて遠い。目の前が真っ暗になる。
ぐらぐらと回る視界は、酷い焦燥から来るものだ。
「わたくしは、この中央神殿を司る魔法使い。黄金の魔法使い。あとは、救世の儀を執り行うまで、ゆっくりしていらして」
優しい声に、とっさにかぶりを振った。救世どころではない。クレナを。クレナを助けなければ。
「戻らなくてはいけないのです」
私の囁きを聞いて、黄金の魔法使いは戸惑いを浮かべた。どうして、と悲しそうな顔でつぶやく。
「もどって、助けなくてはいけない人がいるのです」
中央神殿から辺境の向こう、精霊他の民の地までどれくらいだろう。どうやって戻ればいい。クレナはまだ無事なのだろうか。あれから、どれくらい時間が過ぎているの。
気になることが多過ぎた。ひどい目眩と体の痛みで、考えもうまくまとまらない。
どうすれば、どうすれば。
その時、別室から一人の男がやってきた。その姿を目にした途端、全身が総毛立つ。
「あぁ、目覚めたのですね」
「神官長」
そんな私に気づかず、黄金の魔法使いは振り返り、朗らかな声で応える。
「えぇ、一時はどうなることかと思ったけれど。どうにか渡り巫女は救世を行える状態までこれたわ。ほんとうにありがとう」
「いえ、僕は何も。ですが、夢の巫女については……」
「……仕方がないわ。役目をまっとうしたということでしょう。前例のない形ではあったけれど、彼女も長年良くやってくれたわ」
「黄金の魔法使いからそう言われれば、巫女クレナも報われることでしょう」
呆然と二人の会話を聞く。神官長と目が合う。
「異界渡りの巫女。神官たちの代表として、最大限の感謝を。あなたは世界のために、他の誰にもできない危険な渡りを成功させてくれました。……どこか痛むのですか?」
ことさら心配げな声をあげて、神官長が一歩こちらに近づいてくる。ぱっと振り返った黄金の魔法使いが、私の顔を覗き込んだ。
「白銀を呼んでくるわ。なにか体に良いものを持ってきてもらいましょう」
黄金の魔法使いの背中で、神官長が笑う。
その笑みに気づかず、黄金の魔法使いが行ってしまう。神官長と二人きりになる。その醜悪な笑顔を取り繕うこともなく、彼は私が横たわる寝台にどさりと腰を下ろした。
手が伸ばされて、頬に触れ、顔を寄せる。
醜悪な笑みを浮かべた口元から、息が吐きかけられる。
「巫女クレナは、とっくに死にましたよ」
胸の痛みが、増した。抑えていた力が、溢れていく。
気づけば、かつて母に捨てられ、やがてクレナと出会った辺境の森上空に浮かんでいた。
どうやってここまできたのかも、どうして飛んでいるのかもわからない。
ただ、ずっと苦しかった胸が嘘のようにスッキリしていた。視界はくっきりとしていて、体が軽い。
ばさりと、巨大な羽音が聞こえた。空中でふり仰ぐ。太陽を遮る影が、はるか上空から降りてきた。
「フォスフォロス」
笑顔を浮かべて、両手を伸ばす。首が伸ばされ、どちらからともなくすり寄った。
フォスフォロス。クレナに会うまで、一人ぼっちだった私を、森で育ててくれた養い親だ。
人間ではない。もっとずっと高層界の生き物で、きっと私たちとは違う理由でそばにいてくれたのだけれど、私にとっては大事に慈しんでくれた存在だった。
ずっとそばにいてくれた。森でも、村でも、ただそばにいて、私を見ていてくれた。
ただ、この本来の姿はとても大きくて、目立って、人間の恐れを買ってしまっていて、無粋な呼び名がつけられてしまっているけれど。
「銀鱗竜だと」
他者がつけたその無粋な呼び名が聞こえて、眉を寄せる。フォスフォロスに抱きついたまま首だけで振り返れば、そこにいたのは魔法使いのひとりだった。そう、我に返った時にはずっとそこにいたのだ。
「黄金と白銀をどうした」
「知らない」
答えを聞くや否や、魔法使いが術式を構築しぶつけてきた。魔力量にものを言わせて魔法使いもろとも吹き飛ばす。フォスフォロスは何もしない。ただ、私がすることをそばで見ている。
魔法使いの姿が消えて、私は気を取り直してフォスフォロスに抱きつき直した。
「フォスフォロス、クレナを探しにいこう。どこに行っちゃったのかしら。変ね。オリクだって、こんな時はすぐにやってきてクレナの様子を教えてくれるのに、ちっともきてくれないの」
くるるる、とフォスフォロスが鳴く。変ね。いつもはわかる言葉で話してくれるのに。
まぁいいか、と私は笑う。世界を巡って、クレナを探そう。
各国にはそれぞれ魔法使いがいるのだから、彼らに聞けばその国にクレナがいるかどうかわかるはずだ。
隠し立てするのであれば、容赦はしないけれど、大丈夫。きっと教えてくれる。
ひとりひとり、丁寧に。きちんと聞けば、答えてくれるはずだ。
■□■
最後の二人の魔法使いの抵抗は凄まじかった。一人また一人と各個撃破されて行った魔法使いを踏まえ、二人は対策を練り、罠をはり、協力をして、アーキフェネブを追い込んだ。
渾身の結界陣に捕らえると、救世に使われるはずの魔力を限界まで発散させ、弱体化させ、動くことさえできなくなったとことで、聖剣の巫女の前に連れ出した。
少女が震える手で、聖剣を振りかざす。
剣の扱い方も知らない小娘だった。なんの覚悟もない。震える手で、青ざめた顔で、すがるようにかたわらの騎士を見上げて。泣きじゃくって剣を取り落とした。
わずかなやりとりで、聖剣は騎士へと預けられる。騎士は剣の扱い方もたしかで、覚悟もあった。その剣を振るうことに、なんの躊躇もない。
聖剣を託された騎士の手で、アーキフェネブの心臓は貫かれた。
アーキフェネブの顛末でした。




