13.サクラサマラとリリカとローズ
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日の出前に起き出して、身支度を整えようと室内を見回せば、着替えがないことを思い出す。
「……どうしたらいいのかしら」
起き抜け状態で、布団の上に座り込んだまましばらく。下働きしていた頃と違って、朝早く起き出して仕事をしなくてもいい、という状況に戸惑ってしまう。野菜洗いにすっかり馴染んでしまった自分に、ちょっと笑ってしまう。
そうして木枠に薄紙が貼られた窓を細く開け、空が明るくなっていく様子を眺めていると、足音を殺してやってきたヒナが声かけと同時に扉を開けた。
「おはよぉ、ローゼっ」
「ヒナ」
驚きながらも挨拶する。ヒナはにっこりご機嫌だ。
「おはよう」
「着替え、持ってきたよ。支度しよ」
「支度って?」
部屋に入ってくるなり道具を広げる。慣れた手つきで準備を進めていくその様子は、化粧師として振る舞うトトリを思い出させた。
「今のロゼの仕事は、お客様のお話相手だからねぇ。身なりはそれなりに整えないとダメなんだよぉ。リリカ様は族長様の大事なお客様だもの。不愉快にさせるわけにはいかないでしょ?」
滑らかな布地の着物に腕を通して、帯を締めてもらう。床を引きずるほどの上着を着せかけられて、身動きができない。
「歩くときは、こう。座るときはこう。椅子に座るときはこう」
「足の向きが、こう。裾の捌き方が、こう。上着をはらって、こう」
「うんうん。姿勢がいいし筋もいいね」
ひとつひとつ、ヒナが振る舞い方を教えてくれる。繰り返すとやがて合格をもらって、隣室に移動すると同じように精霊の民の衣装に身を包んだリリカが待っていた。
彼女の目配せ一つで、支度を手伝っていた下働きや女官が下がっていく。ヒナもそれに続いて、残ったのは護衛か目付役が二人。壁際に下がっている。
リリカも私も、彼らには特に注意を払うことなく、朝食の用意が揃えられた卓を見て、向かい合わせに座った。
先ほど習った通り、裾や袖に気をつけて椅子に座ると、リリカがクスリと笑う。
「せっかくだからここの服を着せてもらってるけど、やっぱり慣れない着物は大変だね。結界王国群の衣裳も大概だったけどさ。コルセットとかこの帯も、体を絞り上げるみたいなのは苦手」
「確かに、この帯が革の胴着と同じように体の真ん中をさ支えてせてくれているようだわ。近いものがあるかもしれないけど。それでも、私は慣れたあちらのほうが動きやすいわ」
正直な気持ちを告げる。ただし、もちろん夜会用の衣裳は別だ。一人では着ることも脱ぐこともできないし椅子に座るのでさえ人の助けが必要なあの衣裳はどんなに慣れていても動きやすいとは言えない。けれど、昼間のお茶会用はもっと身動きしやすいし、室内着はずっと気楽なものだ。
「馴染みある服が着やすいのは当然だけど、でもこっちの世界だと神官服ほど楽なものもないんじゃない? ワンピースとかチュニックとか、ガバっと着て細帯巻くだけだもん。ドレスと和装に比べたらぜーったい楽! 救世の時に着る巫女服も見せてもらったけど、大事な儀式用の服でも一人で着れるよ」
あぁ、と特に反論もなく同意する。リリカは私が神殿で過ごしたことを知っているので、ほらね? としたり顔だ。神官服は確かに簡素なもので、最初はどうしてみんな夜着で出歩いているのかしらと不思議に思ったものだった。
朝食を進めながら、リリカの故郷の衣装や私が夜会で着た衣装の話、神殿の神官服の話から、彼らの武者修行の話と、とりとめなく話題を広げて行った。
こちらに着てからのリリカは、昨日はイシルイリルと話をしたり巫女姫サクラサマラとお茶をしたりして過ごしたのだそうだ。今後の予定次第で書庫を見せてもらい、街に降りることもあるらしい。ただ今日は配備する人員の都合で宮殿にとどめ置かれるそうで、予定がなにもないとのことだった。
食事が終わる頃、今日はこうしておしゃべりをしていようかしらというリリカの提案に、理由もないのにそんな怠惰な一日を過ごしていいものかしらと瞬く。別にいいじゃん? とリリカは笑うけれど、思わず苦笑して首を傾げた。
そのとき、壁際に控えていた武人が動いた。
リリカがふすまと呼んだ引き戸が、なんの前触れもなく開け放たれる。
「朝食はおすみですか、ローズ・フォルアリス」
ひらけた空間の向こう、庭を背に、朝日に照らされ輝く赤髪の少女が、綺麗に作った笑顔を貼り付けて立っていた。
巫女姫サクラサマラ。
隙のない美しい着姿で、滑るようにしてこちらに近づいてくる。しゃらん、と彼女の髪飾りが音を立てしゅるりと衣擦れの音が床を転がっていく。
驚きと不慣れのために立ち上がることもできず、サクラサマラが目の前にやってくるのを待つ。歩きながら彼女は告げた。
「いますぐ青の王国へお戻りを。帰れと言ったはずです」
「サクラ、なんで」
「リリカにも忠告したはずですよ。ローズ・フォルアリスに関わるべきではない、と言いいました。あれほど言ったのにどうして昨日の今日でこんな」
その歪められた翡翠色と目が合うと、サクラサマラの言葉が途切れた。あぁもう、と苛立たしげに目を閉じて首を振る。
「だいたい! どうして貴族のお姫様が下働きなんてしようとか考え付くんですか!」
地団駄の音を受け、反射で身を瞑る。リリカにも言われたわ、と私はそーっと目を開きながら、頰に手を当てた。そんなに似合わないかしら。
「そんなに似合わないかしら? みたいな顔しないでください! 似合いませんよ!! ローズ・フォルアリスに! 下働きなんて!! 座って笑ってお茶を飲んでるほうがずっとらしいじゃないですか——!! ——って、なに、笑って……」
「だって、なんだか褒められているのかしらって」
「褒めてません! あぁもおお!!」
機敏な動作で頭を抱えうずくまるサクラサマラは、さすがにこの地の人間なだけあって、この衣装でも自由自在に身動きできるのだと感心する。思わず吐息を漏らすと、リリカになんだか生暖かい目を向けられた。いま絶対場違いなこと考えてるでしょ、と指摘されたけれど、今この場を見たままの感想を思い浮かべただけなので、ちっとも場違いじゃないはずだ。
よいしょ、とリリカが掛け声とともに席を立った。なんだか脱力している様子のサクラサマラのそばに膝をついて、肩に触れる。
「ねぇ、サクラ。たしかに、その忠告は昨日聞いたけど、ぜんぜん意味がわからないんだから仕方なくない? わたし、ロゼとは友達なんだよ。その友達が、自分が滞在してる宮殿で下働きなんてしてるところ見ちゃったら、ねぇ? ほっとけないよ。わかるでしょ?」
「……言いたいことは、わかりますよ」
「そうそう。そりゃ、話を聞きたくなるってものだよ」
「わかりますってば……わたしだって聞きたいですよ。なんでそんなことしてるのか……」
二人からため息交じりに視線を向けられて、ええと、と視線をそらす。リリカはともかく、サクラサマラにそんな視線を向けられる理由はないと思う。ほとんど初めてこうして会話をしているのに、どうして彼女はまるで顔見知りのように振る舞うのだろう。
ひとまず二人の会話に割り込んでみようかしら。
「あのね、サクラサマラ。あなた、帰れ帰れというけれど、そこまで言われるその理由こそまず知りたいわ。私、他にも知りたいことが沢山あるからここにきたのよ」
「知る必要は、ありません」
「でも、世界を救う手立てを調べたいの」
「あなたが救う必要なんてないです」
「サクラサマラ、精霊の民の巫女姫なのだから、もちろん詳しいわよ。いままでの救世がどうだったのか、精霊の民がカフィネの大罪以前の記録を保持していないか。あなたは何か知ってる?」
「知りませんよ!」
サクラサマラが弾かれたように叫んだ。
「サクラ?」
彼女の肩が震えていることに気づいたのは、その肩に触れていたリリカだ。その手を振り払うようにして、サクラサマラは私すぐそばに立ち卓に手をついた。
「リリカと一緒に、青の王国に帰ってください。あなたも、リリカも、ここにいたらだめです」
「——青の王国に帰ると言えば、今すぐ私の知りたいことの答えをくれるの?」
ぐ、とサクラサマラは唇を引き結ぶ。叫びだしそうなのを、耐えたように。
きっと教えてくれないとわかっていて、こんなことを言ったのは意地悪だったかしら。
彼女は何か胸に秘めて、必死にあがいているように見える。不思議と言葉の端々や眼差しから、私を憎んでいたり望んで敵対しようとしているようには思えないのに、拒絶するのはなぜかしら。
彼女と私が信用して合って、打ち明けて、それぞれの事情を理解して、擦り合わせて、譲歩しあって、妥協点を探りあえたらいいのに。
そうでなければ、私だってなにひとつ譲れない。
「リリカ」
目標を変えて、サクラサマラはリリカへと体を向け言いつのった。
「ロゼがここに残れば、いずれあなただって後悔します。その時になってからじゃ遅いんです」
「そんなふうに言われても……」
リリカが戸惑ったように私とサクラサマラを見比べる。
「サクラサマラの事情を、もう少し打ち明けてよ。そんなの、中途半端な脅しにしか聞こえない。サクラは何を知ってて、どうなることを恐れてるの」
「っ……」
「未来を知っているっていうの? このままロゼがここにいたら、どんなことが起きるの? わたしが何をどんなふうに後悔するのか、知ってることを教えて。わたし自身のことならどんなことでも知りたい」
「リリカの、こと……」
サクラサマラの体がこわばって、固まる。握りしめた手は震えるほど強く力が込められて、手の甲に視線を落としている瞳は揺れている。
握りしめた手をそのまま、ゆっくりと自分の顔に押し付け視界を覆った。
それで、私はサクラサマラが何を知っているのかわかった気がした。
「……このまま、今までの方法で救世をすれば」
あぁ、ほら。やっぱり。
「リリカが顕現させた聖剣によって、ローズが死ぬんですよ」




