12.刻限の告知
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書庫から文官の執務室へ移ると、いつものように茶菓子が向かい合わせに並べてあった。
私を椅子に座らせた後、イシルイリルは茶菓子に見向きもせず隣に座る。
「再び迎えにいこうと準備を進めていた矢先に、この地を訪れていただけるとは。知らせは受けていたのですが、巫女姫の拒絶は我らも予想外のものでした。速やかに登殿させることが叶わず——お怒りだろうか」
「いいえ」
「そう言いますが、気に障ったからこそこういった形で今ここにいるのでは」
もう一度、気に障ったわけではないわ。と、首を振る。視線を落として、イシルイリルを見ることなく、つぶやいた。
「ただ、どうしてなのかしら。と、思って。巫女姫の拒絶に何か理由があるならその理由を聞くべきだと思ったの。救世について、不審な点があまりに多すぎるから」
リリカと私がもつ情報の食い違い。フォロスの意味深な物言い。青の魔法使いにもっとちゃんと話を聞けばよかったと、今更ながらに振り返る。魔女の役割について神殿はどう認識しているのだろうか。リリカにもちゃんと詳しく話して意見を聞くべきだったけれど、いまだに伝えることができていない。
イシルイリルは何かをつかんでいるのだろうか。
私はそもそも、何ひとつ知らされることなく辺境で儀式を行い、魔女と成り、聖剣によって討たれるだけの役回りだった。
朝から晩まで詰め込まれた王太子妃教育なんてものは、その役割を疑問に思わせないための理由づけ。同年代と触れ合う機会がなかったのも、魔術について勉強させなかったのも、全部そのためだったのだ。
そもそも王太子妃教育だって、母とアンセルムの嘆願の結果といえる。それさえなければ、『魔女ローズ・フォルアリス』の人生は、どんなものとなっていたのだろう。
「イシルイリル様は、救世について何かご存知ですか」
「それをあなたに語るのは、我が花として手折ったその時と定められています」
顔を上げる。それはつまり、こちらが求めるている疑問の答えは、ほとんど持っているということにならないだろうか。
イシルイリルは、こちらを気遣うように視線を合わせてきた。
「我が花。清廉なる救世の乙女ローズ・フォルアリス」
翠の瞳が、私の裏側を探る。
「この地に救世の儀を求め、舞い戻られたと思ってよろしいですね」
口を開くことなく、私は微笑した。
聖剣に討たれるさだめの魔女になりに来たのだと、はっきり言葉にするのは恐ろしかった。
そんな迷いを見抜いてか、イシルイリルはそれ以上何も言わず、話を続ける。
「では、私も巫女姫を説き伏せましょう。何を考えてあなたを拒絶したのか。今回はどう考えても過ぎたわがままです。我らのあり方にそぐわぬこと。気のすむまで話し合えればいいのですが、あの娘は都合が悪くなると逃げる癖がある」
嘆息しつつも、その物言いは気安い。精霊の民の族長と巫女姫として、対等な立場であることが伺える。そういえば、現在すでに三人ほどの伴侶がいるとのことだったけれど、そのうちの一人が巫女姫である可能性もあるだろうか。
「そういえば、あなたは今回逃げませんね」
思考の最中告げられた言葉の意味がわからず、瞬いた。私のその反応にこそ、イシルイリルは訝しげに眉をひそめる。
「以前は会話さえも成り立たず、逃げてばかりいたでしょう」
「……今は、それどころじゃないもの」
「本当に、覚悟を決めたということですね」
私に成り代わっていた異界渡の巫女がどういった理由からイシルイリルを避けていたかは知らないけれど、ボロを出さないためには多くを語らないようにするしかなかった。
イシルイリルの眼差しは優しかったけれど、言いようのない不安を煽る色をしていた。慈愛というには、悲しみが強い。
知っている眼差しのような気がした。かつては気に求めず、気付かず、受け流していた感情だ。
今はもう、知っている。少しずつ、わかって来た。
そう、まるで——哀れむような。
「巫女姫の説得、話がしたいと言うのなら、急ぐといい。その刻限は十七最後の日までと心得よ」
十七、最後の日。私が十八歳となる誕生日の前日。
「救世の儀は、我らの婚儀の翌朝。あなたが十八になるその日に執り行われる」
告げられた言葉を繰り返しなぞる。ゆっくりと、衝撃に取り乱す前に、事実として受け入れる。
「……救世の儀を執り行う前提として、イシルイリル様との婚儀がある……?」
「族長の妻というもっとも一族にとって大切な存在を捧げることで、救世を成す覚悟を精霊王に示すのです」
自分の言っている意味がわかっているのだろう。イシルイリルの声が硬い。彼の求婚が腑に落ちて、笑い出しそうになる。そう、彼はずっと一貫している。救世に必要だから、私を求めていたのだ。
世界を救うために、必要だから。
目を閉じて呼吸を整える。深く吸って吐いて、目を開けた。
今はもう秋も半ばで、私の誕生日は晩秋だ。本当に時間がない。
「巫女姫の説得が叶ったなら、フォルア伯爵令嬢ローズ・フォルアリスとしてお招きする。そうでなかったなら下働きのロゼを召し上げる。私はどちらでもいい。どちらにせよ、もともと力づくでお招きするつもりでした」
「……救世を、成すために」
「左様。我が花よ。今はあなたも、同じ思いですね」
目的は別にあって、これは手段の一つだけれど。
「ええ。イシルイリル様。私は救世を成すためにやってきました」
そうだわ、と両の手を合わせた。
「救世のためなら、どんな質問にも答えてくださる?」
イシルイリルは瞬いて、ゆるく微笑む。
「我が花として精霊王に誓いを捧げ、語ることが許されたその時に。あなたの問いのすべてに答えましょう」
「それが定め?」
「古来より伝わる精霊王との契約です」
今はまだ、この口から語ることができない。誓約によって戒められているのだと言う。それでもいくつかわかったことがあった。
イシルイリルとの婚儀をあげたあと、十八の誕生日のその日。
すべてを教えられ、私は、儀式に臨み魔女となる。
イシルイリルの手が、私へと伸ばされる。頰に触れるかどうかのところで、翠の目がこちらの反応を伺うように見ていた。
「聡いかただ。——私は、救世の巫女の一人である巫女サクラサマラがこの地で誕生したとわかったその時、いずれ儀式を執り行うものとしての教育を受けた。結婚相手である巫女を、我が至上の花として受け入れ、御心を癒し、唯一の拠り所となって慈しむよう」
しかし、困ったな、と笑う。
「あなたに恐れはないのか」
「もっと悲壮な顔をしていた方がよろしかった? 私、自分のすべては王と民と世界のために。と、そう教育されたの」
「……それを、裏切られたと聞いていますが」
「期待されたことと、私自身がすると決めたことは別だもの。誰に何をやれと言われたとしても、やると決めたのは私。望んでいた見返りが無かったから、あなたのためにやったのに、だなんて泣き喚いて何もかも放り出すのは自分勝手で、無責任すぎるもの」
世界のために育てられた私なのだから、それを果たしてみせる。世界は救う。それだけは、もうずっと決めていることだった。
今はそこに、セファの安否がかかっているだけだ。
「それが、あなたの矜持か」
言われて初めて、なるほどそうかもしれないわ。と、笑った。これだけしかないのだとは、口にしなかった。
「ここから逃げ出す気がない、というのが真実であれば、ここにあなたがいることを巫女姫の耳に入れようか。あの娘なら、追い出しにかかるために接触するだろう」
「下働きを追い出す権限があるのでは?」
「それはない。それらは族長の領分であり、それを許せば巫女姫の独断で雇用契約を乱すことになる。下働きのロゼとしてなら、あなたは問題なく宮中に居座れる。……なるほど、手引きした者は賢いな」
果たしてフォロスがその辺りの事情を知っていたかどうかはわからなかったけれど、それなら安心だ。
「明日は救世の巫女……、聖剣の巫女、と呼ぶほうが正しいのかしら。リリカのもとに呼ばれているかもしれないから、巫女姫が乗り込んでくるのならちょうどいいわ」
「気性が荒いので、お気をつけて。伏せがちで体力はありませんが、素の性格は以前のあなたに少し似ています」
以前の私。と聞いて、またたく。
異界渡の巫女を名乗る何者かに乗っ取られていた私のことだろうか。続けて問うべきか迷っていると、ふい、とイシルイリルが顔を上げた。
「そろそろ戻らねば。では我が花よ。また」
立ち上がるなりイシルイリルが言い、去っていく背中に向け慌てて席を立って軽く膝を曲げ、別れの挨拶にかえる。紺のお仕着せ姿では見栄えはしなかったけれど、見もされなかったし気にしても仕方がない。
私も下働きの部屋に戻ることにした。文官の執務室を出てしばらく歩くと、廊下に文官が立っている。部屋に戻る途中だろう。目があうと何か言いたげに口を開いたけれど、結局、彼は何も言わずに目をそらす。
どうかしたのだろうか。あぁ、でも、一つ言わなくてはいけないことがあった。
「お茶菓子、食べ損ねてしまいました。せっかく用意していただいたのに」
ぱっと視線がこちらに向く。
「それから、明日には書庫整理が終わりそうです」
「……そうか。助かった。感謝する」
「いえ」
そんなに大きくない書庫だったし、精霊の民が扱う書物に触れられたのは得難い機会だったように思う。セファの書斎も、同じように整理すればよかったと残念に思った。
「……なにも、なかったのか」
そう聞かれて初めて、この文官はイシルイリルが訪ねてきたことを知っているのことに思い至った。いっそ、席をはずすように直接命じられたのかもしれない。下働きの娘の元に族長がやってきて、部屋を追い出されたとあれば、ただ事ではないだろう。この反応もうなずけた。
「イシルイリル様とお話ししましたが、それだけですよ」
「そうか」
「はい」
会話が続く気配がなかったので、では、また明日きます。と挨拶をして、その場を離れた。下働きの部屋に戻ると、ヒナから私がリリカに召し出されたことを伝えられた。では明日からリリカの元へ行けば良いのだと思っていたら、私物として扱って良い支給品が手渡される。
「部屋も移動だよぅ。なさそうだけど、もしも追い出されたら、気にせずいつでも戻ってくれば良いからねぇ」
驚いて言葉をなくしていると、ほら、と背中を押される。渡された荷物を確認すると、着替えがない。
「待って、ヒナ。着替えが」
「紺のお仕着せは下働き用だよぉ。御客人の話し相手だと、もう少し良いものを着せてもらえるの。向こうでもらってねぇ。夕餉をともにって伺っているからぁ、もう時間だよ。貴人の思惑一つで部署異動なんてよくあること。同じ宮中で働いてるんだもーん。お別れするわけじゃないんだから、さぁほら、キリキリ動いて」
背中を押され、そのままリリカの部屋まで案内される。
「いらっしゃい! ご飯食べよ!」
出迎えてくれたリリカは大喜びで手招きしてくれて、昼前は使っていなかった隣室の板の間の調度が整えられている。この服だと、食事は机と椅子が食べやすいよねぇ、としみじみ言っていた。




