10.自分の手で、できるということ
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もにょもにょと頰を抑えてくる手の平は暖かく、髪にかかる彼女の黒髪はくすぐったくて、本気の目で叱りつけてくるその声が、なんだか嬉しかった。
「なに笑ってるのよおおおお」
呑気にニコニコしていたら、思い切り両頬を引っ張られてしまったのだけれど、それはそれ。さすがにそこまでされるのは納得いかなかったので、えい、と両手を伸ばして頰をつまみ返した。
二人して赤くなった頰をさすりながら、部屋の真ん中に座り込む。草を編んだ敷物の上で、精霊の民のお屋敷は外履きを脱いであがるので汚れたりはしない。けれど、随分足を崩して座り込んでいるのですっかり裾の合わせ目が乱れてしまった。
服の構造としては、足元まである一枚の羽織ものを体に纏わせて腰のあたりを紐で結ぶ。それを何枚か繰り返し重ね合わせたものなのだ。最後に刺繍を施した太めの帯を巻きつけ結ぶ。帯の柄や刺繍の文様で、その人の格や職業がわかるらしいけれど、私はまだ習っていないことだ。
下働き仲間に真っ先に教えてもらった服の整え方を思い出しながら、着ている服のあちこちを引っ張る。引っ張る場所を間違えると悲惨なことになるので、間違えないよう少しずつ慎重に、だ。
私が着ているのは、下働き用のお仕着せで、紺の無地のものだったけれど、リリカが着ているのは薄紅色で、柄も華やかなものだった。私は『非常にいいものである』、ということしかわからないけれど、精霊の民の中でも指折りの職人が技術の粋を集めて染め上げたものなのだろう。
さすがにリリカのために誂えたとは思えないから、歴代族長の身内の誰かか、もしかすると巫女のものを借りたのだろうか。
彼女の黒髪は長くまっすぐで、香油を揉み込まれてツヤが出ている。族長の客人として十分なもてなしを受けたのだ。私はと言えば、髪も体も同じ石鹸と水で洗い、布切れでまとめただけ。驚きの差だったけれど、なぜかしら。
「……ロゼ? えっ、何?」
リリカの手を取って、立たせる。ほっぺを引っ張り合ってもみくちゃになったリリカも、同じように合わせ目がよれて乱れていた。私のお仕着せと違って重なった布は多く、見えてはいけないものが出ているわけではないけれど、とても人前に出せる姿ではない。それを、手早くとは言えないながらも私自身の手で整えていく。
ふふ、と声に出して笑ったのは、私だろうか。いいえ、多分、リリカだ。
「ね、ローゼ。 どうしたの?」
優しく名前を呼んで、リリカの人差し指がツン、と私の頰をつついた。
その爪だって、優しい薄紅色でツヤが出るまで磨かれ、美しく整えられている。私が最後に爪を磨いてもらったのは、いつだったかしら。トトリもエマも私に尽くしてくれていたけれど、移動中にそこまでのことはできない。辺境に着くまでと着いてから、そして精霊の民の居住地まで、ここ数日は特に時間がなく、爪の先まで行き届きはしなかった。
だから、記憶にある限り今が一番ボロボロの私。それでも、なぜかしら。
「なんでそんなに、嬉しそうなのかな」
ほんとうに、なぜかしら。リリカ。私、自分でも不思議なの。
こんなふうに、自分のことを自分でできるようになった。それが、こんなに誇らしくて、嬉しくなるなんて、知らなかったの。
友人の衣服だって、慣れないなりに見てあげることができるようになったことだってそう。
リリカにつられるようにして、ふふ、と笑い声が漏れる。突かれた感触を確かめるように自分の頰に触れて、リリカを見つめた。
「リリカ、私ね」
「ロゼっ」
何か言おうとしたその時、ヒナの声にハッとする。リリカも他に人がいたことを思い出して、あっ、と声をあげた。
「いやちょっとまってストップ! どっかいかずにちゃんと説明してよ!?」
腰を浮かせた私を逃すまいと、リリカが一息に叫び私の腕を取る。ひとまず私は、ヒナを振り返った。
「ヒナ」
「えっと、知り合い、なの?」
「そうなの。あのね、——人払いをお願いできる?」
「え、あ、はい!」
下働き姿で告げた言葉に、ヒナが反発しないか心配したけれど、彼女は即座に返事をして周囲を促す。下級氏族出身と言っていたけれど、割り振られている役割といい周囲の反応の良さといい、何か特別な肩書きでもあるのかしらと邪推する。
そのくらい速やかに、静かな足音とともに人の気配は遠ざかって行った。おそらく、全員遠さがってくれたはずだ。
「……さすが。慣れてるねぇ」
「こんな身なりでも言ってみるものね」
「いやいや、めちゃめちゃ迫力あったよ」
私の言葉を否定しながら、リリカは笑った。なんだか泣きそうな顔で、どうしてそんな顔をするのだろうと思うと同時に両手を広げられて抱きつかれる。
「あのあと、何も言わずにどこかに行っちゃうんだもん。心配した」
「……急いでいたから」
「言い訳なんか聞きたくない。謝って」
「謝って……?」
どうして私が? と驚いていると、いいから、と促される。
「ええと、ごめんなさい」
「だめ、全然心がこもってないよ」
「えぇ……」
どうしたらいいのだろう。だってわけもわからず言わされるがままなのだ。リリカは私にどうして欲しいのか。
「リコリスも、すっごく驚いてたよ」
「……リコリスが驚くのは、無理ないわね。私、ずるかったもの」
「あと、フォルア伯爵夫人にも会った。心配してたよ。たくさん、ロゼがどんなふうに過ごしていたか、たくさん聞かれた。言わないでって言われたけど、ねぇ、フォルア伯爵夫人のこと、嫌い?」
「……今更、伯爵夫人やリコリスには関係ないことだわ」
質問には答えなかった。濁した部分を追求することはなく、リリカは曖昧に笑って、そっか、と言いながら頭に頰をすり寄せてくる。
そっと離れて、私の顔を覗き込んだ。
「——でも、もし機会があったなら、話をして。ちゃんと話をして欲しいなって思うよ」
色々な言葉を飲み込んだような物言いと表情だった。
こんな場所で再会して、まさからそんなことを言われるとは思わなかった。リコリスは友人として過ごした数日があるけれど、伯爵夫人については深く考えたくなくて思考を押しやる。そんなことより、とリリカに手を伸ばして服の端っこを掴む。
「リリカはどうしてここに、——?」
問いかけた勢いは、リリカの人差し指が唇に押し付けられてしまった。そのまま親指が添えられて、むにっとつまんで唇を閉ざされる。
「それはこっちのセリフですぅー! わたしは聖剣顕現のため、伝承調べに辺境とか異民族の居留地に行こうかなって、あの日の食堂で言ったでしょ」
むぐ。返事ができないままリリカを見つめる。もう! とリリカは腹立たしそうに続けた。
「それで? ならロゼは? どうして何にも言わずにいなくなって、ここにいるの? なんっか隠してることあるでしょ? 救世について、いっちばん大事なこと、実は隠してたりするんでしょ? 洗いざらい全部吐いてもらうから。まずはそこから。わたしの話はそのあと!」
リリカの問いかけを否定できない。隠していたことと、言いそびれていたことと、なんとなく言わないまま過ごしてきたものが色々とあった。ええと、と視線をそらせば私の唇をつまんだままの指が再度ぎゅっとされる。いひゃい。これ、地味に痛いし身じろぎできないから本当に放して欲しいのだけれど!
内心が漏れてむぐむぐ言っていると、弾みをつけて唇が解放される。思わず両手で唇を抑えた。痛いのだけれど!?
何か言おうとしたけれど、リリカの目を見れば真剣に心配そうな顔をしているので、ちょっと目をそらしてため息が出てしまった。
元はと言えば、誰にもなにも言わず、心配させた私のせいだとも、たしかに思う。少しだけ。
放っておいてくれたらいいのに、と思ったけれど、これを言えば怒られることくらいは想像できた。関係ないと言い放ってセファを激怒させたことは記憶に新しい。
「……話せば長くなるし、私自身にもわからないことともあるけれど。……それでもいい?」
「いいよ!」
「でも、本当に、なにから話したらいいかしら……」
「こういうの順序立てて話すの、得意そうだけど」
「どこから話せばいいかしら、って……」
伯爵家で暮らしていた時のことから話すべきだろうか。王太子妃として教育を受けるきっかけとなった事件のことから? それとも、まずはつい最近の出来事から?
うーん、とリリカが腕を組む。漆黒の瞳はじぃっと私を見つめていて、少しだけ気圧されてしまう。
「それじゃ、まずはどうしてここにいるかを教えてくれる?」
それを説明するのにも、色々と経緯があるので長くなるのだけれど。そう前置きしながら、私はどう伝えたらいいかしらと考えながら、口を開いた。
本作品のリコリスは、彼岸花じゃない方のリコリスが由来です、という裏設定(どこかで言ったかもしれません)
マメ科。甘草。紫の花を咲かせます。
この世界にリコリスという名前のその植物があるかどうかはまた別の話です!




