7.トトリの事情1
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クライド・フェロウ
思えば私は最初から、この男のことはあんまり好きではなかったんだ。
「みんなへの説明を、トトリに全部任してしまうことになるのだけれど……大丈夫かしら」
心配そうにこちらを見つめるのは、いつもと違った装いの姫様。フォロスの手配で精霊の民の上位氏族の館へと入り込み、その家の少女たちの手で装いを改めた姫様は今、精霊の民と同じいでたちをしている。魔狩りという組織において、中堅以上の立場に当たる彼は、なんだか言葉巧みにその屋敷の者たちを言いくるめて、調子よく望みのものを差し出させていた。たちの悪い詐欺師のようだ。
その出で立ちは魔狩りの中でも群を抜いて風変わりだった。頭にぐるぐると布を巻いて、布を重ね合わせた袖の無い服をまとい、首飾りや腕飾りがいくつも下がって、腰には武器や道具がこすれて音を立てるほどさげられている。魔狩りというからには魔物を退治し解体し素材を回収するのに必要な道具なのだろうけれど、狩りに赴いたことのない私には、見慣れないものばかりだった。
くすんだ青の瞳はどこか楽しげで、時折こちらを見るけれど、話しかけられる前に顔を背ける。背けた先に姫様の顔があったので、慌てて取り繕った。
「大丈夫ですよ」
笑顔でうなずいてみせる。クライドやフェルバート、エマへこの事態の説明は確かに難儀だろうと想像できたけれど、問題ないと請け合った。なにせ姫様の望みなのだし彼らにだってこの事態を覆すだけの力はない。誰もが秘めた目的を持っていて、独自に暗躍するというのなら厄介なのはたしかだけれど、それらを把握することそのものは大した労ではないだろう。
どうせ彼らは、彼らの手段しか知らない。
姫様は伺うように笑顔の私を見ていたけれど、やがてフォロスに促されて歩き出した。そうすれば、彼女はもう振り返らない。彼女の中で優先すべきことは決まっていて、それがどんなに恐ろしいことでも振り返らずいくのだろう。
ピンと背筋を伸ばして、フォロスの主人のような振る舞いで、歩いていく。
精霊の民の衣装を身に纏って、それに似合うよう髪と化粧を整えたのは私自身だ。主人が去っていった部屋で、広げた道具を一つ一つ確認しながら片付けていく。見張りなのか案内役なのか、部屋の隅には少女が控えていたけれど、急かしてくる様子もないのでいつも通り振る舞った。
私にとって、化粧道具は命と同じくらい大切なものだ。
同年代に比べ体は小さかったけれど、愛嬌のある顔立ちに生まれたおかげで劇団に入ることができ、舞台に立つよりも裏方が向いていたために今の技術を手に入れた。他には何も無い私だったけれど、こうして役立てる瞬間があるというのは幸運なことだった。
姫様は時々、「平民なのだから、好きに生きられる」というようなことを言う。その度にセファは首を傾げ、私は微笑むだけにとどめた。あぁ、姫様には想像もできないのだろう。私たちとて安穏と生きていくには力が全てなのだと。——私たちが貴族の子女の生活を想像できないのと同じように、彼女にも私たちの生活は想像できない。
結界王国群に住まう人は、結界の及ぼす範囲でしか自由に生きられない。街はそう簡単に大きくならないし、人が暮らせる土地は限られる。都市結界と王国結界の端が重なる辺境城塞都市は特に、魔物と戦うすべを持つものが優遇されるのは当然のことだった。
まだ子どものうちに生き方を定め、徒弟となり自らを高めていく。自由に選べるといえば聞こえはいいかもしれないけど、決断に迫られるのはまだ何も知らない子どもの時分。貴族はいいな、と思う。全ての貴族は魔術学院に入って、立場の同じような子どもが一堂に会して学び、知識を共有し、選択肢を増やし、十分な準備ののちに将来選ぶ機会が得られるのだから。
勝手に想像して決めつけて羨んだところで、ああなりたいかといえば、それはどうだろうなと思いながら、屋敷の者に挨拶をして帰路につく。
進み行くのは慣れない精霊の民の集落、町、と呼んだほうがいいのだろうか。宮殿があるのだから、ここは王都に相当する場所なのだろうけれど、それにしては随分閑散としていて人通りが少ない。
頭上を見上げれば、王国よりもずっと広く近く感じる空があった。その空も色が変わりつつある。随分日が落ちるのが早くなったなとなんとなしに思った。
さて、まずは誰が出迎えてくれるだろうか。誰が相手でも事態の説明を飲み込ませるには時間がかかるだろうなぁと再び意識を戻し、小さくため息をつく。
「それで、ローズ姫はどちらに」
まず最初に向けられた、作った笑顔とわざとらしいまでの丁寧な口調。王都ではずいぶんやり手と聞く、文官クライド・フェロウ。この慇懃無礼なところが好きじゃ無いんだと再認識する。フェルバートも戻ってきていて、クライドと距離を開けて壁際に立っている。一見して怪我をしている様子はなく、無事でよかったと思う。
エマはそのどちらとも距離を置いて、おかえりなさい、と戸惑った様子ながらも迎え入れてくれた。
主人に置いていかれた者たちが、思い思いの立ち位置にいる。同じ主人に従っていても、その目的も心持ちもそれぞれで、団結もしていない私たちは、本当にバラバラだった。
さて何から話そうかと居住まいを正した。
「魔狩りのフォロスをご存知です? 辺境城塞都市じゃ名の知れた実力者で、いろんなところに口が利く、親しくしておくと非常に便利な方です。前回こちらに来た折に縁がありまして。今回も助力いただけるということで、ありがたくお受けしました」
丁寧な口調には丁寧な口調を。クライドの柔和な笑みが一瞬崩れかけるのを見るに、どうやらこの男もフォロスの名は知っているらしいとわかる。仮面はすぐに取り繕われたけれど、その心中は荒れているようだった。
その仮面が姫様の前で崩れるのを知っていた。姫様の前だとぶっきらぼうになって、乱雑な口調で、あまつさえ姫様の頰をつかんだり睨んだりと、気に入らない。姫様も姫様で、彼にはそれを許すのだから、ほんっとうに腹立たしい。
周囲の認識では、姫様を利用することしか考えてない、王妃の子飼い。実家が没落して家族全員が領地謹慎の中、たった一人自由を許され夜毎過ごす女性を変えながら人脈を広げ、復権の機会を狙う狡猾な獣。時折、その噂と実際目にする振る舞いに微妙な齟齬を感じることがあるけれど、思い悩むだけ徒労に終わりそうで、深くは考えない。
「あいつの協力、というと」
おなじく以前同行していてフォロスを知っているフェルバートに向かって頷く。
「向かった先は、宮殿です。精霊の民族長、イシル・イリルとの面会を都合してもらいました。当初の目的どおりですよ」
「……巫女姫が拒否したために、一度は追い返されたと先ほど聞きましたが?」
「その巫女姫の同意を取り付ける手段か、同意がなくとも族長に接触できる抜け道があったということでしょう。私程度ではこれ以上のことは詮索できませんでしたので、どうぞご容赦を」
言い放てば、よくもぬけぬけと、などとまったくもって心外な悪態をつかれる。
「化粧師トトリ。これを機に聞いておきたい。お前は何を目的にローズ姫に取り入っている」
「へ?」
「クライド・フェロウ」
クライドが、一つ踏み込んだ問いを向けてきた。フェルバートが咎めるように名前を呼ぶが、それだけだ。青の瞳はこちらへ向けられていて、フェルバート自身も気になっているということだ。
私は戸惑った顔を浮かべて、首を傾けた。
「……取り入るだなんて人聞きの悪い。私は姫様がこの地に流されてきてから、その振る舞いに感動していたところ、たまたま身支度をさせていただく幸運に恵まれた。その結果、お側にいることを許されただけですよ」
クライドとエマは確か、異界渡の巫女と姫様の入れ替わりを知らないのだったか。
なにかしら探っていて、何かしら掴んでいるものはあるかも知れないけれど、わざわざ教えることもないだろう。
「あの……。私も、トトリを疑うつもりはないのだけど。あのね、トトリ。ひとつ教えて」
思いもよらぬ声に身構える。エマが詰め寄るように一歩進み出た。
「あなた、どうやって生活しているの」
とっさには答えられなかった。
フェルバートとクライドはつぶさに私の反応を伺っていて、何か気づきを得たのか、続いてエマを振り返る。
「というと?」
「……どこで、寝泊りしているの」
先にクライドが彼女へ問いかけた。勢いに押されながらも、エマは言葉を選ぶようにして、問いを重ねる。私はその問いにもなんと答えたものかと曖昧に笑った。
「……ローズ嬢と一緒ではないのか?」
「フェルバート様がそうおっしゃるということは、ハミルトンの屋敷にもいないということですね。姫様のそばにいるはずありません、だって、魔術学院の女子寮に、トトリは立ち入ることなどできませんから」
そうでしょう? とエマが言う。肯定するしかない会話の流れに、相槌のようにそうだね、と肩をすくめた。
「魔術師セファの工房で寝泊りしているのかとも思っていたけど……。でも、ねぇ、あなた、お給金は誰からもらっているの?」
「……エマがそんなに私に興味があったなんて、なんか照れますね」
「はぐらかさないで。私、あなたと一緒にハミルトン侯爵夫人に雇われていると思っていたのに、夫人に聞いたら違うと言うのだもの。変に思って当然でしょう」
できれば気づかないで欲しかったし、指摘しないで欲しかった。なるほど、エマはそういう、見て見ぬ振りができない性格だったのか。普段黙々とローズ様のために振る舞う様子しか見てこなかったから把握し損ねていた。
自覚なく首を突っ込んでいって、危険な目に合わないといいけれど、と余計なお節介を思い浮かべて、あぁ、だから、ローズ・フォルアリスの侍女になっているのかとすでに彼女の事情を察する。
「……ローズ嬢は私財を持っていない。彼女は雇うことができない。学院女子寮には入れない。セファの工房には出入りしている様子がない。宿に寝泊まりしているというなら、その生活費はどこから。確かに、疑問が残る。トトリ、できれば聞かせてくれないから」
「ね、トトリ。私の思い過ごしならいいのよ。あなたの生活費がどこから出ているのか、知りたいのはそれだけだから」
「フェルバートまで。ええと、ご期待に添えるような、かくしごとじゃないんですけどね」
三人の視線は、誤魔化しを許さない。じっと見つめられて、両手をひらりとあげた。
「そりゃ、育ての劇団ですよ」
「……劇団?」
拍子ぬけたようなエマの様子に、だから言ったでしょう、と苦笑する。
「姫様の元にいくために劇団を離れる理由が『見聞を広めるため』でしたから。餞別に換金できるものをいくらか持たされていて、生活費はそこから」
「では、ローズ姫のそばにいることに、なんの目的もないと?」
「クライド様ほどの人が、そうやって真正面から聞いてくるくらいです。調べても何も出なかったのでしょう? それが全てですよ」
どうやらこれ以上の追求材料はなさそうだ。怪しまれているのは残念だけれど、私はただ、巫女姫様の望みを引き継ぎたいだけだ。でも、これは誰にでも言いふらしたいことではない。
誰にも踏み荒らされたくない、私の一番柔らかな部分の話だ。
私の大切な人は、ローズ様の意識を乗っ取り、憑依した巫女姫様。
姫様と——異界渡の巫女と出会ったのは、今から一年と少し前。十五になってすぐの夏のことだった。
ちょっとだけ続きます!




