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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
四章.異界へ渡る、救世の巫女
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5.再演へ誘う者

大変お待たせしました。

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 子どもらしからぬ笑みを浮かべた少女を庇護下においてからしばらく、その森の少女と赤い髪の少女を引き合わせたのは、ほんの気まぐれだった。

 まず、いくら森が自然の恵みにあふれているとはいえ、子ども一人で生きていくにはこの先到底無理がでるだろうと思ったことがひとつ。


「女の子! ほんとにいました! かーわーいーいー!」


 そして、何やら勘付いた赤い髪の少女を止めきれなかったという事実。

 集落からこっそりとついてきたらしい。振り切ることは容易かったけれど、森に置き去りにするわけにもいかず、気付いてからそのまま連れてきてしまった。

 寝台に押し倒されて目を白黒させている少女に心の中で謝りながら、飛びついた挙句のしかかる形となった赤い髪の少女を摘み上げる。


「いつもそわそわそわそわ、ふらーっとどこかに行くかと思えば、こーんなところに女の子隠してるなんてねぇー?」


 つまみ上げられている分際で、脇腹を肘で突こうとするのでそのまま床に落とす。べしゃりと落ちた赤い髪の少女は、ぐぇえと女児あるまじき無様な悲鳴をあげた。

 ふん、いい気味だ。鼻を鳴らすと、悔しそうな呻き声が返ってくる。


「うぅ……。ひどいですぅ」


 赤い髪の少女は呻きながら身体を起こし、ふるふると首をふる。肩につくかどうかの長さの髪は女児にしては短いが、役目を持つものとしてずっと受け継がれてきた集落での習わしだった。

 短い赤い髪に、白衣と緋袴。ただそれだけで、彼女の身分が知れる。とはいえ、この森の少女が知っているかは定かではないが。


「はじめまして! 私はクレナ。あなたのお名前は?」

「っ……」


 とっさのことでうまく言葉が出てこないらしい。赤い髪の少女ことクレナは、それでも目を輝かせながら待っていた。


「____ブ」



「……アーキフェネブ」

「ふぇねぶ? です?」

「カフィネと呼ぶひともいたわ。……ずっとまえにね」


 森に住まうアーキフェネブ。

 彼女の不幸は、「りっぱなおとうさまにつりあわないじぶん」を嘆いて、ふさわしくないと判断した子どもをあっさりと手放す母親の元に生まれついたこと。


 それが、ひとつのはじまりだった。











 一度頭を冷やすのに、ずいぶん時間を使ってしまった気がする。

 トトリのお茶は相変わらず美味しい。深々とため息をつきそうになるのを、なんとか堪えていた。


「……俺そんなまずいこと言ったか?」


 醜態を晒したのは間違い無く、なんとか取り繕う必要があったけれど、いざ何か言おうとしても言葉が出てこなかった。なんとか笑って見せることには成功しているけれど。

 取り繕えないなら、さっさと話題を変えてしまえばいいのだわ。


「そんなことより私に頼みたいことって何かしら」


 居住まいを正していつもの笑みを浮かべれば、なんとなく心の余裕が生まれた。背筋を伸ばして、胸を張る。そうすることで、いつもの自分を取り戻せる気がした。


「白銀の魔術師セファについてだ」

「セファの?」

「面倒ごとに巻き込まれてるって聞いた。あの魔術師が窮地にあるというのなら、助けたい」


 赤の魔法使いに呼び出されたことを言っているなら、私たちにできることは何もなかった。それでも、そんなふうに言われるセファが誇らしい。精霊の民と融和を結んだことによって、辺境城塞都市に住む彼らが恩を感じているということなのだ。


「査問会には、勝算なく挑むわけじゃないと言っていたわ。心配したところで、なんてことない顔で帰ってくるに決まっているわよ」


  私が首を振ると、フォロスは瞬いた。目が合うとちょっと気まずそうに上を見上げて、そりゃそうかもなとぼやいている。セファのことをずいぶん見知っているらしいそぶりに、一体どんな接点があったのかしらと思った。辺境城塞都市の片隅、常連客ばかりの診療所に引きこもって暮らしていたセファと、魔狩りのフォロス。一見、関わることなんてなさそうだけれど。


「とはいえ、相手が魔法使いじゃ、魔物狩りを単身でこなすのとは訳が違うだろ」


 青の王国において魔物狩りというのは、騎士が複数の杖持ち騎士が連携を用いた訓練を経て組織立って行うもののことだ。魔物討伐遠征だって、そのために塔の魔術師を招集し事前に訓練を重ねて行うものだというのに、何か、ひどくおかしい言葉を耳にした気がする。


「魔物狩りを、単身で……?」

「ん? あぁ。あんた見たことなかったか? 魔術師セファは、あの大杖一本で魔物を倒すんだ」


 咄嗟にまさか、と思ったけれど、すぐにあり得る話だと思い直した。


「セファは強いものね」


 優しくて、強くて、綺麗な、御伽噺の魔法使いみたいな魔術師なのだ。なんだか頬が緩んだ。離れた場所でセファのことを話す機会があることに浮かれてしまう。フォロスの視線を感じて慌てて口元を引き締めようとしたけれど、満面の笑みを浮かべられて瞬いた。


「セファのこと、怖く無くなったんだな」

「怖いと思ったことなんて無いわ」

「んなことないだろ。前は怖がってた」


 前は、怖がっていた。

 フォロスの言葉に虚をつかれる。怖がっていた、といった? 

 誰が。——異界渡の巫女が。

 誰を。——セファを。


 セファは、異界渡の巫女に怖がられていた?


「……銀色、だから……?」

「いつも、騎士の後ろに隠れていただろ。銀色は魔物の、……魔族の色だから、ってな」


 見つめ合う。薄い青灰色の瞳が、私を射抜く。以前は怖がっていたはずの私が、なぜそんな顔をするのか心底不思議がっている。強い猜疑心を孕んだ眼差しだった。


「フォロス?」


 その眼差しに思わず名を呼んだ。身を乗り出そうとして、トトリに腕を引き止められる。寒気がするほど優しい視線が一瞬こちらの肌を撫で、瞬きした次の瞬間、フォロスの薄い青灰色が魔力を帯びて青銀に輝き始める。真意を探るための術式が展開され、青い光が私とトトリの周囲を走った。真実を暴くための呪言だった。あの術式を乗せた青い光が喉に巻きつけば真実だけしか言えなくなる。魔術学院で過ごした日々が、私にそれだけのことがわかる知識をくれた。

 人の意思を捻じ曲げ矯正する術式は、禁じられていることも知っている。

 青灰色から青銀色へと変じた輝く瞳を綺麗だと思いながらも、抵抗するための詠唱は迷わなかった。

 早口に唱える。


「結界術式展開、精霊王の大前に白さく」


 ……魔力、不十分。術式、未成立。魔力特性、特級。心象、強固。


 結界陣、成立。


 歪な結界だと、知識を得た今ならわかる。あやふやな術式は点と点をつなぐようにして陣を結び、かろうじて結界を成立させた。フォロスの青い光を弾いて、白い光が私とトトリを半球状に護れることが不思議なほど。特性値と心象力のみを拠り所にした結界は、それでも強固に私たちを護ってくれる。

 私の結界を見て、フォロスは目を見開いた。どう猛な笑みを浮かべ、その声には喜色がにじむ。


「たいした術式だな! それだけの力を得てわざわざ戻ってきたということは、カフィネの再演を望むか、異界渡り」


 カフィネの再演。思いもしない言葉に思わず首を振る。

 かつて五人もの魔法使いを殺し、世界を混沌の渦に叩き込んだ大罪の魔女カフィネ。またの名を、常闇のアーキフェネブ。かつて憧れた森の魔女とは思えない悪名を世界に轟かせている、大罪人。


「魔法使いを殺し、結界王国群の秩序を乱し、層界の均衡をも不安定にさせた張本人。あれだけのことをまた、お前はやってくれるのか」


 青銀の瞳を輝かせたフォロスが、堪えきれず両腕を振り上げ歓喜の声を上げる。腕が天に突き上げられると同時に青い光がひらめき、その手に大剣が現れる。装飾の一切ない使い込まれた無骨な剣は、そのまま私の結界へと叩きつけられた。

 硬質な音が響き、白の波紋とともに結界がわずかに歪む。補強すべく術式を重ねて詠唱するけれど、魔力も足りなければとっさに術式を編み出す知識もない私では無意味に等しい行いだった。


「世界を救うのだと囁くその可憐な唇で、すべてを滅ぼすつもりなら」


 二度、三度と、大剣が振り回される。前に出ようとするトトリをかばいながら、いざとなればトトリごと転移術式を行使することも考慮しつつ、フォロスの様子をじっと見ていた。

 向こうも、こちらを伺っている。私がどう振る舞うのか、何か、彼は見定めようとしていた。


「絶望したアーキフェネブの意思を継ぐというのなら」


 五度目の衝撃で、とうとう結界が破砕された。粉々に砕けちる白色の光を貫いて、剣先が私の眼前に突きつけられる。


「このフォスフォロスが手を貸してもいい」



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