4.思うままに、疾走
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振り返ってすぐ、見上げる羽目になる。ずいぶん背の高い男だった。見慣れない服装で、頭に布を巻きかざりをつけ腰に縄や武器を下げ、物々しいいでたちだった。話にしか聞いたことがないけれど、魔狩りを生業にする人だろうか。
年頃は、よくわからない。同年代よりも兄やクライドよりももっとずっと年上だと思うけれど、年頃の子どもがいても不思議ではない年齢かといえば違うような気もする。
ともかくセファに比べても背が高くて、ひょろ長いというよりずっと厚みがあるし腕もなんだか太いように見える。似たような印象を受けたゴダードとはまた違った意味で、「大きな人」だった。
——異界渡。
どきりとする単語だ。探るように相手を見返すと、男は虚をつかれたような顔をして、口を開いた。まるで、こちらの反応が予想外だというように。
「えーと、なんだ。久しぶりだな」
クライドとエマは私がどう対応するかを見ている。トトリに対応を問いたかったけれど、現状不可能だった。何も言わない私を見て、男は首をかしげる。そして、はた、と気が付いたというように、なるほど、とうなずいた。何か勝手に納得しているけれど、大丈夫かしら。
「もしや、俺のこと、そこの新しいお付きには内緒だったか?」
口元に手をかざし、隠す気のない小声で問われた。隣のクライドの気配が怖い。辺境追放を命じられて以降の私は、いったい彼にどれだけの秘密を持ったことになるのだろう。
「失礼ですが、どなたか伺っても?」
クライドが平坦な口調で問いかけた。男は私をちらりと見る。私はそっと目をそらした。やはり、男は不思議そうな顔をしながら、クライドに向き直る。傍目に見てもぶしつけな視線で上から下まで見下ろした。
「俺はフォロス。そこのお嬢さんとは前に縁があってな、魔狩りを生業にしている。普段は辺境城塞都市を根城にしていて、お嬢さんともそこで。な? あれから元気にしてたか? フェルバートのやつはいまうちの連中が借りてるんだったか。——……ん、なんだ、細っこい魔術師が居たろ。あいつは?」
「セファは来ていないわ。あなたが会いたがっていたと伝えておくわね」
先ほどの子どもといい、セファはここの人たちにも大人気だ。魔力酔い対策の功労者は私ということになっているけれど、実際に結界装置を開発して調整して設置して回ったのはセファなのだから当然かもしれない。
無難な返答になるよう言葉を選んだつもりだったのに、男はやっぱり不思議そうだ。うーん? と唸っている。
「なんか、雰囲気変わったな」
「そうかしら」
困ってしまう。フォロスと名乗ったこの人についてわかったのは魔狩りということだけ。結局以前どんな関係を築いたのかはさっぱりわからないままだ。
トトリとこっそり打ち合わせするべく、宮殿から戻ったばかりで疲れていることを告げて出直して来もらうべきだった。そう告げようと居住まいを正した時、私のすぐ隣から進みでる人物がいた。
「——姫様はお疲れです。一度、お引き取り願えますか」
「エマ」
一歩前に進み出たエマが、フォロスに向かってそう告げた。フォロスはエマを見つめ、へぇーとつぶやき、ひとつつうなずく。
「気が変わったな」
言うなり私の目の前に片膝をついた。
「久々にこっちへ戻って来たあんたに、折り入って頼みがあるんだ。手を貸してくれないか」
手を差し伸べられる。既視感に戸惑って、フォロスの目を真正面から見つめた。薄い青灰色の瞳がこちらを見ている。「まずい」そう口走ったのはクライドだろうか。
そうね。クライドは、私のこと、よくわかっているものね。
フォロスが差し出した手に手を重ねる。「ひめさまっ」「んのばか」エマの悲鳴に隠れて、クライドの罵倒が聞こえた気がした。
「場所を変えましょう。あなたの話、ひとまずは聞くだけなら構わないわ」
きっと、「異界渡の巫女」はこんな言い方をしなかったのだろう。私の答えに、フォロスは虚をつかれたような顔をしたかと思えば、「こんなことをいうやつだったか?」と混乱をあらわにした。
最初から、なり変わらないと決めていた。異界渡の巫女だって私の身体で思うまま振舞ったのだから、私だって私のまま振舞うしかない。人は勝手に辻褄を合わせる生き物だ。私はそれを利用して、素知らぬ笑みを浮かべれば良いのだった。
幸い、「ローズ・フォルアリス」の身に起きたことは枚挙にいとまがなかった。それらをつなぎ合わせていってくれればいい。
「クライドとエマはここでフェルバートからの連絡を待っていて。トトリ一緒に来てくれる」
「はい!」
「ローズ様、何を勝手な」
乗せた手でフォロスの手を握る。ぐっと引けば、軽やかに立ち上がった。やっぱり納得いかない顔をしていたけれど、なんだかさっきより楽しそうだ。
「フォロス、このまま走ってみようと思うのだけど」
「……ほーん? いや、やっぱなんか雰囲気変わったよな、あんた。噂に聞くけど、いろいろあったからか?」
「想像に任せるわ。とりあえず、今はここを離れたいのよね」
「よくわからんが、——んじゃまぁ行こうか」
手を強く握り返されて、ぐん、と引っ張られる。そのまま足を動かした。振り返り、唖然とするクライドとエマに手を振る。
「晩ご飯までに戻るわ! 鳥も飛ばすから!」
「ぶふっ」
トトリが同じく走りながら吹き出した。器用なことだ。私の足が遅いのはわかっていたけれど、見かねたのか笑いながら私の空いている方の手を掴む。フォロスとトトリに運ばれるようにしてその場を逃げ出す。
クライドがいると、話せることも話せなくなるのだから仕方がないのだ。クライドを差し置いて、トトリが話に入るわけにもいかないし。
「……なんで、あんなこと。ローズが」
「今までの、反動……なんでしょうか。あなたが過保護すぎたのでは? やだすごい目」
「目の前であんなふうに請われたら、ローズが断るわけがないんだ。くそっ」
「あぁ。お城では目の前にたどり着ける人間も選別してたわけですね。あなたが」
エマとクライドはうまくやってくれるだろうか。とはいえ、まだお昼前なのだ。フォロスの話を聞くくらい、わけないだろう。
「なんかローズ姫様、楽しそうです」
トトリの言葉にそうかもね、とうなずいた。すでに息も絶え絶えで返事ができない。あっ、とトトリが声を上げて、フォロスの肩をバシバシ叩いた。
フォロスの案内で魔狩りが出入りする狩小屋のような場所にたどりついて、ようやく椅子に座って一息つく。
「茶を出そうにもろくなものがないからなぁ……」
「お湯が沸かせれば十分ですよ! 持って来ていますから」
トトリが手を上げて、フォロスがそりゃいい、とお湯を沸かし始める。何か手伝えることがあれば良いのに、と狭い煮炊き場を見てため息をつく。私はその辺の床や机の上を指先でちょいちょいしながら、埃をを外に追い出していた。
お茶の用意が終わった三人ともが腰を落ち着けて、さて、とフォロスが身を乗り出した。
「またせたな、お嬢さん。それにしても、ほんとに雰囲気変わったなー。あ、わかった。髪型が違うのか。そんなふうに全部まとめるのも似合ってんな。前の馬の尻尾みたいなのも似合ってたけど——。なんだ? 呆けた面して」
ほうけたつら。
今、私の顔を見てそう言ったのかしら。ほうけたつら……呆けた面? それってどういう意味。
それよりもなんだか聞き捨てならない言葉を聞いた気がした。
「……トトリ、以前の私って、もしかして」
「結んでましたよ!! ちゃんと! かろうじて毎日!!」
「かろうじて毎日って何!?」
やば、と短く言ったのを聞き逃しはしない。薄々考えないようにしていたけれど、やっぱりもしかしてそうなのかしら。
そう、ちょっと気になっていたのだ。以前、荒地から王都に戻る道程で、セファにあれこれと世話を焼かれたときに、髪を結んでもらったことを思い返して欲しい。
セファが、どうして女の子の髪を結べるのか。
「…………〜〜もうっ」
行き場のない怒りというのは、きっとこういうことだ。




