2.深紅の拒絶
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——なんどもなんどもなんども。
——なぞるように、ただ、彼女だけを見ていました。
コッコッコ、と華奢な靴のかかとが硬質な音を響かせる。
「先日行った、魔力精査の結果を申し上げます。——ローズ・フォルアリス嬢。残念ですが、あなたに代表的な魔力特性の才能は見受けられません」
ローズ・フォルアリスは、ずっと、楽しみにしていた。
兄たちが魔術を見せてくれるたびに、父や母が調合を見せてくれるたびに。自分もいずれ、魔術学院へと通うのだと。
ひとつ年下の妹とは在学期間の大半が一緒なので、学院生活をともに過ごすことを心待ちにしていた。
ずっと。ずっとだ。
そうして、その入学準備段階で、魔術教師を家に招くことになった。魔術学院に通う次兄の友人の母なら任せて安心だと、彼女の両親も喜んだ。
事前に魔力の測定を行い、最初の日にその結果を知らせてもらって、授業方針を決める流れになっていた。
浮かない表情をした魔術教師から告げられた言葉を、ローズ・フォルアリスは、きっと、今でも覚えている。
目を見開いて首をふって、震える手で口元を押さえた。
なにをいわれたのかわからなくて、なにをいっていいかわからなかった。それで、それって——。
「わたし、——どうなるの」
小さく囁いた言葉は、何よりも自分自身に突き刺さり、小さな彼女は突発的に部屋を飛び出した。
兄たちのように華々しい成績を修めるのだと意気込んでいた。いずれは両親のように、定められた相手と結婚し、支えるべき伴侶と手を取り合って、仕事に取り組むのだと、信じて疑わなかった。その目標が、夢が、音を立てて崩れていった。なけなしの幼い魔力が膨れ上がり、爆発するようにして、その場から逃げ出して、泣き喚いた。五歳までのしつけの範疇ではあったが、きちんと淑女の振る舞いを身につけていたのに。浮かれていた反動で、目の前が真っ白になって。
隠れていた部屋に探しに来てくれた兄の友人にすがりついて、また泣いた。
彼もまた、痛みをこらえる表情でローズを抱きしめた。最初の自己紹介を裏切ることなく、まだ大人と呼ぶにはほど遠い身であっても、一つの決意を胸に秘めて。
胸に思い描いたものは、たやすく破壊される。
ローズ・フォルアリスが小さな絶望思い知った、最初の出来事だった。でもそれが、その後何年にもわたって繰り返されることになるなど、幼い彼女はまだ、予想もしていない。
そのささやかな絶望は繰り返される。正しい振る舞いを教え込まれ、感情を表に出さぬよう繰り返し唱えられ、その中で、さとい彼女は気づくのだ。
自分が何になるべく生きているのかを。
——だからわたしは、そんなものからは逃げ出していいのだと、なんどでも伝えたいのです。
屋敷と屋敷が渡り廊下でつながっている不思議な造りの宮殿内を、武官らしき身なりの男に案内されるままについていく。
履き物は屋敷内では脱ぐもので、室内履きを用意してくれたのはトトリだ。異界渡りの巫女がこちらでそのように振る舞っていたのなら、私もそれに習うべきだろう。慣れない文化だからと靴のまま屋敷内をあるいて、以前と違うと気づかれては困る。
ボロを出さないよう、細心の注意を払いながら歩いていると、前に立っている案内が角を曲がろうとしたところで足を止めた。耳をすませると、なにやら身分の高い人々と行きあったようだ。
先頭の武官が、向こう側からやって来た年嵩の女性と軽い口論をしている。
その時、すぐそばの引き戸が開いて、鮮やかな赤が目に飛び込んで来た。
「何の騒ぎです」
現れた少女は、肩口で切りそろえられた深紅の髪を揺らし、武官と女性を交互に見る。叱りつける母親のように、腰に手をやった。
「おひいさま」
「今、そちらに伺おうとしたところですのよ」
「われわれは、イシル・イリル様へお客人を連れて参っておるところです」
それを、この者たちが邪魔立てしましてな。と、武官が当てこするように言えば、まぁ! と女性は袖口で口元を隠した。
「そのような意地の悪い言いかたをするなんて。わたしどもは、物々しい武官たちが珍しいかたをお連れになっていたので、お声をかけていたまでのこと」
「珍しい……?」
少女が首を傾げた。周囲を見渡すように首を巡らし彼女が振り向くと、印象的なほど大きな瞳の吸い込まれるほど澄んだ翡翠の美しさに、私は思わず息を飲む。
同時に、その瞳が見開かれた。
「なん、で」
ここに。
掠れた声のつぶやきを、何とか拾う。そんなふうに狼狽される覚えは当然なく、異界渡りの巫女が何をしたのか必死に考えた。
わなわなと震えている少女が身にまとっている白と緋色の着物は、他に見ない色彩であるため、彼女しか許されていない色なのかもしれない。などと考えがよぎると同時に、であれば、彼女の身分、「おひいさま」と呼ばれる立場は、と思考が巡る。それを遮るようにして、固い声が響いた。
「どうして、あなたが」
「え……?」
少なくとも、今、考えるべきではないことに気を取られていたために、対応が遅れる。
今や彼女は、怒気もあらわに私を睨みつけていた。
「なぜ、あなたがここにいるんです。どうして」
足音荒く踏み出して、目の前に立ちはだかる。
「お帰りください。今すぐに」
周囲からどよめきと悲鳴が上がる。おひいさま、とおろおろとなだめる声がしたけれど、誰も無理にこの場から引きはがせない様子だった。では、やはり、彼女は巫女だろうか。
この地における巫女、というのは異民族、——つまり精霊の民を束ねる族長と並び立つ存在、とだけしか知らないけれど、私と年齢は大きく違わないように見える。それでも、族長の客人である私へのこの態度を許されるなら、名ばかりではなく実質的な地位を持っているのだろう。
「いますぐ、ここから、立ち去りなさい!!」
自身を抱くようにして腕組みをする。その仕草は自衛だろうか。苛立たしげに指先で肘をトントンと叩きながら、反応しない私に苛立つように、畳み掛けた。
「王都に帰れ!! ローズ・フォルアリス!!」
しん、とその場が静まる。取り巻きの女性たちは、彼女に向かって手を上げたり下げたり落ち着かず、私を案内していた武官は構わず先に進むべきか否か迷っている。族長の客人として招いた私を案内しないわけにもいかないが、巫女である彼女の言葉を無視もできない。板挟みのようだった。
「精霊の民を束ねる、イシルイリル様の許可を得てこちらにいるのだけれど」
あれこれ推測は立てるけれど、所詮、現時点で彼女は名乗りもしない無礼者で、身分も不確かな相手だ。
垂らしたままの顔の横のひとふさを肩の後ろに払いながら、私は彼女の方を見ずに続ける。
「あなたの許可が、必要あって?」
しん、と、その場が静まり返る。誰もが言葉を失ったようだった。私を案内していた武官でさえ、私の方を見つめて動かない。
自分たちが信奉する相手に、こんな無礼な振る舞いをする人間がいることを夢にも思っていなかったといった反応に、少し面白くなってしまう。顔に出さないよう全神経を注ぐことになってしまった。
「必要なのかしら」
当然の疑問として、その可能性を確認する。武官も取り巻きの女性たちもしどろもどろに弁解するには、この精霊の民において巫女と族長というのは同等に並び立つものである、という既知の事実だ。
二つの役職は、互いの決定に異議を唱えることができる。今回の場合、私が族長に面会を求め、族長が許可を出したけれど、それに巫女が否を唱えたために巫女の許可も必要になってくる、という。
いざ面会をするというこの土壇場にその異議が通るというのが、私にとってはまずあり得ない話だった。
けれど、目の前に立ちふさがったまま退く気配がないということは、ここではそれが通るということなのだろう。
ため息とともに、巫女に向き直る。赤い髪の少女はやはり同年代にしか見えず、いっそ年下なのではとさえ思えた。
「許可をいただくには、どうしたらいいのかしら」
「わたしは、あなたがこれ以上ここにとどまることを許しません。今すぐに王都にお戻りください」
取りつく島もない。でもはいそうですか、なんて言えるわけがなかった。けれど、彼女の許可がなければイシルイリルにも会えない。どうすればいいのだろう。
長期戦も覚悟の上で、策がいる。情報も。ひとまずは一度みんなのところに戻って、辺境城塞都市で長期滞在の用意をすべきだろう。
「……本日のところは帰りましょう。あなたの気が変わるといいのだけれど」
何をもってしてこんなふうに立ちはだかってくるのか、それを知るのが第一だったけれど、皆目検討もつかなかった。思考を止めぬまま踵を返せば、背を向けた途端に呼び止められる。
「……ローズ・フォルアリス」
「何かしら」
「フェルバートは……いやあの、……そう。セファは……」
突然あげられた名前に返事をしないわけにも行かず、半身で振り返る。二人を知っている? ということは、前回来た時に会っているのだろうか。フェルバートから前回辺境訪問時の詳細は聞いていたけれど、精霊の民の巫女にあったという話は聞いていない。
恩を売った関係上、一方的に顔と名前を知られているというのはありえる話だけれど。
ますます、一度戻ってフェルバートに確認しなくては。
「フェルバート様でしたら、ともにこの地にきているわ。彼がいれば面会を許可してくださる?」
「! すぐ連れて帰ってください! 王都に!」
無駄だろうけれど提案したら、思いの外ぴしゃりと拒絶された。




