1.予期せぬ歓迎
大変お待たせしました。四章です!
週一くらいのゆっくりペースで更新していきます。
むかしむかしの話だ。
今はもう失われた森の奥、迷い込んだ先で、大変見目麗しい少女に出会った。
美しい見た目に反して、手は日々の生活に荒れ、髪も爪も栄養不足がわかる様子に、出会ってそうそうにこの少女はなぜこんな生活を強いられているのかと眉を潜めた。
「すてられたのですわ」
不躾な問いにも関わらず、少女はケロリと告げた。
「おかあさまは、わたしの顔など、にどと見たくもないのだそうよ」
少女は言う。
まだ体に対して大きすぎる寝台に腰掛けて、足をぷらぷらさせながら。
「ふさわしくないじぶんをしっていたのですって。とってもりっぱなおとうさまに、とうていつりあうはずがないって。それでも、あいしてしまったから。だから、ふさわしくあるために、あらゆるどりょくをしたけれど」
でも、わたしがそれを台無しにしてしまったのですって。
だから、しかたがないのです。
全てを見限った微笑みで、彼女は目を閉じた。
どこまでも続く草原を見渡し、蒼穹を見上げ、頭を空っぽにして深呼吸をする。
この草原の、さらに向こうは砂漠という地域になるらしい。見たことはないので想像もできないけれど、中洲にあるような細かい砂が乾いており、見渡す限りの一面にさらさらと風に流され、不思議な模様を描くのだとか。昼間の日差しは厳しく、夜は対照的に冷え込むだとか。
そして、そのさらに向こうに、魔法の使えない人々が暮らす、幾つもの小国があるのだと。魔物もいない、人と人が、よりよい社会のために手を取り合って研鑽を積み、対話を重ねる地域が、あるのだと。
命知らずの商人たちががいるから、伝え聞くことのできる別世界だった。
「ローズ姫」
呼び声に、少しだけ時間をおいて、返事とともに振り返った。
「はい。クライドお兄様」
歩きやすさを重視した編み上げの長靴で草を踏みしめ、クライドやフェルバートに歩み寄る。フェルバートは私をじっと見下ろした。
「本当に行くんですか」
「まぁ。ここまできて今更、なにを言うの」
本気で驚いてしまって瞬くと、隣のクライドがくつくつと笑う。フェルバートは憮然とした表情だったけれど、でも、笑われて仕方がないと思う。
「族長イシル・イリルが、私一人でとご指名なのだもの。仕方がないでしょう」
「せめてエマかトトリを」
「フェルバート様」
昨夜も平行線だったやり取りである。無駄に繰り返すつもりはないのだ。
「異民族についての概要は、トトリから教えてもらったわ。それに、今日は本当にお話をするだけなの。用向きを伝えて、談話の場を整えてもらえないかお願いしに来たのよ」
おつかいみたいなものよ、と微笑むと、フェルバートだけでなくクライドまでなんとも言えない顔をした。
「それなら本来、文官である俺が交渉役でしょうに。……あちらは何をお考えなのか」
「それも昨夜聞いたわ」
今よりももっと口汚く荒れた様子で、くどくどと注意事項を言いつらねていた。エマがすぐそばについていたのに本性をあらわにしたのは、使用人に対しては開き直る方針になったのかしら。
とにかく、と肩をすくめる。
「私が、一人で、と言われたのよ」
それなら、従うべきだ。一度逃げ出した身で図々しくも押しかけたのだから。
問題は、個人的に族長のイシル・イリルが苦手かもしれない、と言う点だけれど、これを言えばまた話がややこしくなってしまいそうなので黙っていた。あの赤毛に翠の鮮やかな色彩を持つ偉丈夫は、一度は王都の街中で私をさらおうと仕掛けてきたのだから。すぐさまフェルバートが取り返してくれたけれど、抱え上げられて運ばれて行く体験は、できればもうしたくない。
「学院外套を着て行くわ。お守りもつけたし、何かあれば鳥を飛ばすから、そのときは助けに来てくれる?」
「くれる、じゃねえよ……」
深々とため息をつかれてしまった。小さな声の悪態も耳に届く。
「鳥といえば」
すぐに持ち直したクライドが、私の顔を覗き込んだ。
「白銀の魔術師に鳥は送りましたか」
「セファに? どうして」
「辺境に行ったこと、連絡は」
「しないわ。赤の魔法使いの査問会のことだけ考えてもらわなくちゃ」
きっぱりと言い切った。
灰色の瞳が訝しげに細められる。
「……なら、いつになったら、姫の今の状況を知らせる鳥を、送るんです」
「落ち着いたら送るわ。クライドお兄様は気にしないで」
うまく笑えているだろうか。隙のない貴族令嬢の微笑みで、どうか、納得してくれますように。そう祈りながら、けれど確信を得る前に自分から視線を逸らした。
「朝から行くことになっているのでしょう? 迎えはもうきているのだから、行ってくるわ」
刺さるような視線を振り切って、迎えの馬車へと乗り込んだ。
異民族は、彼ら自身の間では「精霊の民」というのだそうだ。
族長と巫女を祀り、精霊に祈りを捧げ、小さな集落で自給自足を営み、自然とともに生きる。族長と巫女が暮らす宮殿は、いくつかの集落が集まったもっとも規模の大きな都にあり、その都市が青の王国の辺境城塞都市に最も近い。
いくら都市結界と王国結界に覆われているとはいえ、辺境城塞都市と異民族の集落や都市とは特別気候が違うわけではないのに、伝わる文化や思想、技術が全く異なるのが不思議といえば不思議だ。
馬車に揺られながら窓の外を見ていると、次第に近づいて来るその景色に、そんな感想が思い浮かんだ。
低い建物が立ち並び、奥の小高い丘に大きな建物が見える。きっと、あれが族長と巫女が住まう、青の王国でいう王城のような建物なのだろう。宮殿とでもいうべきだろうか。
大通りを歩く人々や、お店から顔を出す人々は、皆物珍しそうに王国の馬車を見遣って、子どもたちは一瞬ぽかんと口を開けたかと思えば、表情を輝かせて走って追いかけてきた。その誰もが、羽織った着物を前で重ね、はだけないよう帯で止める見慣れない衣装を着ている。襟や袖、裾などに装飾のための刺繍、防寒のための毛皮がついていた。この季節には非常に暖かそうだ。
宮殿のほど近いところで馬車から降ろされ、つづら折りの階段を登るのだそうだ。歩きやすい靴と服装でよかったわ、といく先を見上げつつ案内に従って一歩踏み出すと、いま馬車で通った道の方、はるか遠くから子どもたちが走って来る姿が見えた。そして、何やら口々に叫んでいる。
「ローズねーちゃあーん!」
「おかえりいいいい」
「セファにいちゃんどこー!!」
「あーそびーましょー!」
いまなんて? と振り返ろうすれば、横から割り込んできた大人たちに担ぎ上げられた姿だけがかろうじて見え、あっという間に姿を消してしまった。
「……」
品格は保たなければ。優雅な動作で、案内の者や宮殿前を警護する武人の方々を見やる。沈黙が痛い。微笑みとともに小首を傾げれば、案内の者が咳払いをした。あぁ、そう。見なかったことにしろと。
——でも、本当に待ってほしい。
一年半の空白を、正直、甘く見ていたのだ。
青の王国での私は、めったに姿を現さない深窓の姫君だとか呼ばれていたらしい。交流が少なく、顔見知りも少なかったのは確かだ。そのため、異界渡りの巫女がどんな振る舞いをしようと、大きく問題はなかった。
魔術学院ですごしたことだってそうだ。私を知る人なんていない。自分じゃない誰かが私の身体を借りて振る舞ったことに配慮する必要性は、どこにもなかった。
対して、辺境と集落での『異界渡りの巫女』は、どうだったか。魔力濃度が急激に上がり耐性の低いものが倒れていったという、その対処法と魔力濃度を緩和する結界装置を広めるために奔走した、と言っていた気がする。そうすることで恩を売り、融和をなしたのだと。
ここにきて。本当に、ここにきて、だ。
ここにきて、わたしは気づいてしまった。異界渡りの巫女の振る舞いを、なぞらなければならない窮地にいるということに。




