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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
三章.天機に触れた、宮廷魔術師
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幕間:宵闇の君と 2/2



 騒ぎを聞きつけて、リコリスとメアリとともに、魔術学院の食堂に駆け込む。リコリスは人ごみをかき分けて、伯爵令嬢である身分をかさに人垣を割って渦中へと飛び込んだ。メアリと僕は身を寄せ合って、人波をかき分けどうにかその背中を追う。

 佇むロゼに、椅子に座ったままの誰かが絡んでいる。見えるのはそれだけだ。仲裁しようと割り込んだリコリスが一歩下がって、ロゼはその誰かとの会話を続ける。


 そして、ひときわ大きく響いた声に、ハッとした。


「後ろ盾がただしく弁明できれば、セファは粛清されないと言うのね」


 セファ先生が赤の魔法使いの呼び出しについての噂は、嫌でも耳に入っていた。そもそもセファ先生自身の評判についても。悪くいう人間は以前からずっといて、それがロゼの耳に入ったといので貼れば、彼女が引かないのも納得できた。けれど、それでも、リコリスの前で。

 だめだ、と口走ったものの、声になったかどうかわからない。


「ロゼ」


 隣のメアリが、小さく悲鳴をあげる。


「では、私がセファを王都に引きずり出した者、後ろ盾として、彼の行為の正当性を保証するわ。国王陛下を通じて、赤の魔法使いへ白銀の魔術師粛清についての異議申し立てを」


 黒の学生外套を脱ぎ捨て、ロゼが素顔を晒す。碧の瞳は一度リコリスへと向けられ、実妹には何も言うことなく名乗りをあげた。





「……ロゼが、お姉様だったなんて、気づかなかった」


 騒ぎの中から、呆然としたリコリスを連れ出す。ジャンジャックやリリカ、メアリはロゼを魔術塔へと連れ出しているはずだ。リコリスは僕に任せるよう告げると、彼らは険しい表情で言葉少なに頷いた。誰も彼も、リコリスに後ろめたいに違いなかった。


「ミシェル、ねえ、ほんとよ。わたくし、気づかなかった。ちっとも、お姉さまだって気づかなかった」


 中庭の人目を避けられる奥の東屋へ腰を下ろす。リコリスは促されるまま隣に座って、僕にそう訴えた。家族なのに、と呻きながら続ける。


「何もおっしゃってくださらなかった。どうして、お姉様は教えてくれなかったのかしら。ロゼとはあんなに、いろんな話をしたのに。お茶を楽しんで、お菓子を食べて、セファ先生の話を聞いて。声も、たくさん聞いたのに。笑いながら、あんなに、話して——」


 ——どうして、わたくしは気づかなかったのかしら。


 震える声に、何も言えなかった。その資格があるとも思えなかったけれど、手を伸ばして、その小さな頭を抱え込む。しゃくりあげそうな声が聞いてられなかったのだ。拒まれたならすぐに解放するつもりで、不格好に抱きしめた。


「……」


 言葉を失ったリコリスは、しばし身じろぎひとつしなかった。やがて、大きく深呼吸をする。


「……——。ミシェル、離してくださるかしら」


 冷静さを取り繕った声に、そっと両手を挙げた。真正面からじぃっと睨めつけられ、息を飲む。


「多少、頭が冷えました。感謝いたしますわ。ただその態度はいただけません。なんです、まるでわたくしがあなたを糾弾するかのように、身構えた態度」


 失礼でしてよ、となじるのはいつものリコリスに見えたけれど、彼女も貴族令嬢として感情を押し殺すことに長けているために、真実はわからない。

 わからないけど、なぜだろう。非常に、その紫紺の瞳は怒りに燃えているように見えた。


「ええ、落ち着きました……。頭も冷えました」


 リコリスはそう言って深呼吸をして、背筋を伸ばした。遠くを見据えて、決意した様子で、膝の上で拳を握る。


「残念でしたわね、お姉様。わたくし、蔑ろにされるのは慣れていますのよ」


 思いもよらぬ言葉に、目を丸くする。そんな僕の視線に気づいてか、こちらに視線を移したリコリスはわずかに表情を緩めた。


「友に弱音は吐きました。なら次は、願うこと、すべきこと、できることをしなければ」


 彼女の強さが眩しくて瞬きを繰り返す。メアリの言う「キラキラ眩しい」というのは、こういうことなのだろうか。休憩は終わりだと立ち上がったリコリスは、当然のように僕へと手を差し伸べた。

 バカみたいに口を開けて見上げているだけの僕を見て、ご令嬢然とした様子とはかけ離れた、同年代の女の子のように笑いかけてくる。


「ミシェル、何か色々知っていたでしょう。あ、やめて、そうじゃないのですわ。つまり私は、ただ今後のことを考えたいのです」

「……貴族の女の子って、みんなリコリス様みたいに冷静なんですか」


 もっと感情的に当たり散らしてもいいだろう。いっそ、平手の一つも覚悟していたのに。あまりにも切り替えの早いリコリスが不思議すぎて、つい、言わなくてもいいことを言ってしまう。だというのに、リコリスの返事は平坦だ。

 なんです、そのもの言いは、とリコリスは差し伸べていた手を翻して、僕の手首を掴む。


「上の二人が優秀で、三番目は両親の悩みのタネ。そこに、優秀で手のかからない末っ子がいたとして、その扱いがどうなるかはお察しでしょう」


 リリカやジャンジャックの影響だろうか、ぞんざいな言い方が似合わなくて、戸惑ってしまう。ふふん、とリコリスはなんだか得意げだ。こんな目にあったらこういう気持ちになってこう反応するだろう、だなんていう僕の思い込みを、片っ端から砕いていく。


「まずはリリカに話を聞きましょう。救世の巫女としての彼女は言っていましたわ。王国はお姉さまを、『何が何でも、確保しておきたい』のだと。であれば、救世に姉がなんらかの役割を担っていることは明白です。王と民と世界のため? 冗談じゃないですわよ」


 大嫌いと言ったのに、何にも伝わっていないのだから。そう悪態をついて、リコリスが僕の手を引いて東屋を飛び出した。されるがまま、僕は彼女を拒むこともできなくて、その軽やかな足取りに従うだけだった。


「リコリス様、なんで僕まで」

「責任を取っていただきませんと」

「せきにん!?」


 声が裏返った。伯爵令嬢であるリコリスに求められる責任の取り方なんて空恐ろしい連想しかできない。


「わたくしだって、泣いて喚いて怒り狂って当たり散らしたかったですわ。それを、あなたが台無しにしたのではないですか」

「しましたか!?」

「びっくりしすぎて荒れ狂う感情もひっこむというものですわ」

「そんな」


 全く身に覚えがなかった。そういうところですわよ、と呟くリコリスの声は恨みがましい。


「以前から思っていましたけれど、ミシェルってたちが悪いのですわ」

「……はい?」

「一見、人畜無害そうな穏やかな表情で、騒ぐメアリとジャンジャックの一歩後ろで落ち着いて笑っていて、その内心でいろいろと考えているでしょう」

「人聞きが悪いですよ!?」

「いいえ、わたくしにはわかります。罪悪感を抱くようなことも、そう思いつつ必要とあらば平気な顔でやるでしょう。最後に丸く収まればいいと思って。わたくしはそうはいきませんから」


 小さな歩幅にゆったりと合わせながら、途方にくれる。背中で揺れる金髪を眺め、なんて弁明しようと考えていたら、リコリスがため息とともに「もういいです」だなんて言う。いや僕は全然よくない。ちょっと待ってほしい。あぁもう。


「——フォルア伯爵令嬢であるわたくしをあんなふうに抱きしめるなんて、高くつきますわよ」


 空に向かってつぶやかれたリコリスの独り言も、ほとんど耳に入ってこないのだった。

ところでリコリスの名前ですが、ユリ科ではなくマメ科の方です。

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