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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
三章.天機に触れた、宮廷魔術師
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幕間:宵闇の君と 1/2

そろそろ始めようかなーと思います。


 個人的に進めている研究のため、調べ物をしに図書館を訪れる。目当ての棚には思わぬ先客がいた。

 こちらと目があうと、宵闇の瞳が疲れをにじませ、ほっと肩の力を抜く。


「ミシェル。なんだか、久しぶりですわね」


 行方知れずの姉を探すリコリスが、そこにいた。





「姉が最後に目撃されたのは黄金劇場ですので、成り立ちや見取り図を調べていましたわ。かつて神殿だっただけあって、意外と資料が多くて」


 息抜きに付き合ってくださる? と声をかけられ、断れないまま中庭の東屋に移動した。

 白銀の魔術師セファの研究室所属である僕とメアリとジャンジャックには、共通の秘密がある。そういうと少し大げさだが、それは、白銀の魔術師セファの弟子ロゼが、ローズ・フォルアリスその人である、というものだ。

 目の前のリコリス・フォルアリスが探している、彼女の実の姉でもあった。


 ローズ・フォルアリスについて、詳しくは知らない。本来一学年違いである彼女とは同時期に学院に通うことになっていたにも関わらず、異例中の異例として、貴族の中でただ一人、魔術学院に通うことのなかった存在だからだ。

 曰く、元王太子の婚約者。曰く、奇天烈伯爵唯一のできそこない。曰く、深窓の姫君。彼女に関しては、伝え聞くだけでも存在さえ疑われるあやふやさだった。

 双子の妹(メアリ)の友人にして、学友(リコリス)の姉でもなければ、とてもじゃないけれど実在を信じることはなかっただろう。

 とにかく、噂を耳にしたことはあったけれど、そういう人がいるらしい、という以上の存在ではなかった。


 けれど、白銀の魔術師の弟子ロゼが現れた。

 そして、友人ジャンジャックは、彼女がローズ・フォルアリスだと知っていた。

 こうして流れで秘密を持つことになってしまったけれど、改めてその行方を捜すリコリスを前にすると、当然だけれど後ろめたい気持ちになってしまう。かといって、自分がここで明かす訳にもいかない。ジャンジャックやメアリはどういう気持ちで、リコリスにロゼのことを黙っていられるのだろう。


 必死に行方を捜しているリコリスが、かわいそうだった。


「……ローズ・フォルアリス様、ってどんな人ですか」


 だから、そう問いかけたのは同情だった。

 顔の両脇の金髪を一房ずつ結んだ、白の髪飾りが揺れた。こちらを見ているのがわかったので視線を合わせると、紫紺の瞳が瞬く。そうですわね、とリコリスは上品に微笑んだ。


「我がフォルア伯爵家は、母と父が同じだけの仕事量をこなしそれぞれ事業を抱えていて、かつどちらかが不在の折には代わりを務められるだけの技量と情報の共有が徹底されていました」

「それは、なんていうか。ものすごい仕事中毒……」

「ええ、まさに。そんな両親と、規格外れの家風のための数少ない使用人。わたくしが、誰に育てられたかわかって?」


 問いの形だったけれど、こちらの返事を待たずに、彼女は続ける。


「兄達とは十以上歳が離れていました。わたくしが物心ついた時、彼らはちょうど魔術学院に在学中。卒業後はそのまま、それぞれ領地経営と出仕の道へ。彼らが末の妹を思い出し、最初に会話したのなんていったいいつのことでしょうね。『会話が成り立った』ことだけは確かですわね」


 言葉だけを捉えると、リコリスは寂しかったのだろうかと思う。自分は地方の商家の生まれで、家庭の事情は複雑ながら兄妹もいたし下働きの子どもも多かった。身内に期待され、構われて、充実した幼少期を過ごした自覚がある。それを踏まえれば、リコリスが大きな屋敷で両親にも兄達にも構われず、孤独に過ごしていたであろう情景は、物悲しい印象があった。


「姉だけでしたのよ」


 けれどその言葉によって、その一人ぼっちの小さなリコリスの隣に、ロゼがふわりと思い浮かんだ。

 現実のリコリスは、じっと膝の一点を見つめ呟く。落ち着いた口調でありながらも、強く。


「姉だけが、わたくしのそばにいてくれました。幼い頃のおぼろげな記憶の中で、手を握ってもらっていたことを、確かに覚えていますわ」


 幼少時の記憶というのが、どれほどあてになるだろう。僕は幼いメアリを覚えているけれど、でも、それが実際の光景かどうか自信はない。物心ついた後になって、いくらでも補完できてしまう。

 それでも、リコリスがローズとの繋いだ手の記憶を、大切にしていることだけは伝わった。


「姉は穏やかで、落ち着いていて、寛容で、人を導くのが昔から上手でした。兄妹の中では、そうですね。長兄と似ているでしょうか。次兄と私はどちらかといえば感情的になりやすくて。長兄も姉も、感情的になるところは滅多に見ません。父も、そうでしょうか。

 その分、溜め込んで居ないか心配ですけど……。父には母がいますし、長兄には義姉がいます。でも姉は……」


 言葉が途切れる。小さな吐息が漏れて、取り繕うように笑った。


「……いまごろ、どうしているのでしょう。ハミルトン侯爵家の発表を鵜呑みにすわけにもいきませんわ。ひょっとしたら、どこかで軟禁されているのかもしれません」

「軟禁」


 物騒な言葉に思わず口を挟んだ。突拍子も無いことを言うわけではありませんわ。とリコリスが口を尖らせる。


「姉はほんの五歳で王太子の婚約者という立場になってから、王家の人間が屋敷に出入りするようになって、その立場を監視されるようになったのです。ええ、そうですわ。今ならはっきりといえます、あれは、監視でしたわ。淑女教育のための教師だなんだと送り込んで、その補佐のための侍女も数多く。姉が過ごす屋敷の一角には近寄ることさえ許されなかった」


 予想もしていなかったロゼの境遇だった。いや、でも確かにあのどことなく浮世離れしたというか、人に慣れていないところや当たり前の常識が身についていなかったりする点について、納得できる部分があった。

 ロゼの境遇について深入りしないほうがいいと言っていたのは、ジャンジャックだっただろうか。徐々にその意味を理解する。

 五歳の時からずっとそうだっと考えるなら、注ぎ込まれた人の数や金額は相当なものになる。果たしてそんな女の子が簡単に婚約破棄など言い渡されるだろうか。

 そう、ローズ・フォルアリスはかつて、婚約破棄を言い渡されたはずなのだ。

 渦中にいたのは在学中のリリカだったために、よく覚えている。あの時、リリカは貴族の夜会に訳も分からず呼ばれて、困惑の中ろくに話したこともないローズ・フォルアリスの糾弾劇に巻き込まれたと嘆いていた。


 意味ははかりかねたけれどその当時、すべて『茶番』だったのだと彼女は言った。決まり切った台本になぞらえた、『三文芝居』だったと。口を挟む余地もなく演目は終わり、ローズ・フォルアリスの辺境行きが決定してしまったと。悔しそうに。

 さっきまで、僕らとセファ先生の研究室で実験を眺めてたロゼ。思い浮かべた彼女の足元に、逃れられない鎖が巻きついている幻覚を見た。

 何か唐突に、彼女が僕らの手の届かない場所に行ってしまう予感があった。


「それで、ロゼが、その手がかりを握っていると思うのですけど」

「えっ」


 しまった。話し続けていたリコリスの言葉を途中から全く聞いていなかった。焦りのあまり素っ頓狂な声が出て、ぱちりと目があう。おかしな声、とリコリスが笑うので、いやだって、と眉を寄せて視線を逸らした。冷や汗が止まらない。どうか気づかれませんように。

 幸いにも僕の様子に気づいた様子もなく、リコリスはだってと身を乗り出した。


「姉は、追放された辺境でセファ先生を見つけたでしょう? それなら、ロゼも同じく姉に拾われたのかしら、と思うの」

「……ローズ・フォルアリス様が、ロゼを……」


 真実を知っている身からすると、遠い目になる。リコリスはえぇそうよ、と頷いた。


「お人好しの姉のことだわ。だって変ですもの。魔法使いになれるほどの白銀の魔術師が、魔術師になれる見込みもないロゼを弟子にする理由がないわ。お姉様の口利きでロゼがセファ先生の弟子になったとすれば、納得がいく。セファ先生にとってお姉様は、辺境からその力を見出して王都に連れてきてくれた恩人ですもの」


 なかなか機会がなくて、聴けていないのですが。とリコリスは身を乗り出した自分を恥じるように、そっと姿勢を正した。こほんと咳払いをして、上気した頰を背ける。


「王家に利用されるのをよしとする姉を、止めなければ」


 それが、リコリスの本音だった。

 彼女はただ、姉を心配していた。叶うなら、家族の時間を取り戻そうと足掻いていた。取り戻そうとしていた。たった一人の姉を、失わないために。


 その感情に覚えがあった。僕だって、たった一人の双子の妹メアリのためならなんだってしてみせると決めていた。にも関わらず、この時リコリスに対して口を閉ざしたのは、果たして正しかったのだろうか。

 もしも逆の立場だったなら、僕は、許せるだろうか。


明日につづきます。これが終わったらおさらいをして、四章突入です。よろしくお願いします。

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