68.天機に触れた、宮廷魔術師
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昨日、2021/11/28(日)にも更新してます。未読の方はそちらからお読みください。
熱い。
風が渦巻いて、目の前の扉が開く。中にいた三人の視線が一斉にこちらを向いた。
「セファ、どうしてここに」
黒の魔法使いが椅子から立ち上がり駆け寄ってきたけれど、無意識に弾いた。守護が発動し、干渉波が起きる。黒の魔法使いの足が止まる。いつもだったら常に余裕ある笑みを浮かべているのに、翡翠の目に焦りをにじませ、僕を捕まえようと何度でも手を伸ばして来る。
子どもの頃からの知り合いだ。おじいさんがいなくなったあと、生活の面倒を見てくれた人。周囲の視線から庇ってくれた人。魔術の研鑽を積ませてくれた人。辺境にいながらにして、魔術学院の卒業資格を取得させてくれた、師匠で、恩人だ。
彼なりの目的や、考えを持っていることは知っていた。彼の研究に役立つからそばに置いてくれたのだとわかっていた。それでも、僕の何もかもを肯定して助けてくれた、最初の人だった。
難色を示したのは、ローズに関わること、ただそれだけだ。
なぜだったのか。今の会話が、その答えだったのだろうか。
「どうしてだって……?」
師匠の言葉を繰り返す。目が熱くて、視界は霞んでいた。耐えられなくて、片目を両手で押さえる。
「あぁ、これが、白銀。なるほどね」
「黒の、彼、もう」
年若い青年と、初老女性は椅子に座ったまま、こちらを一瞥した。こちらの様子など大した脅威ではないとでもいうように。代わりに初老女性はこめかみに手をやってため息とともに黒の魔法使いの方を見やる。
「黒の魔法使い、あなた、わたくしたちにどれだけ隠し事をしていたのです」
「えぇ、今聞きますか師匠。それ。それより僕の愛弟子をですね」
「これだけの魔術師をなぜ秘密裏に育て上げたのです。どういうつもりで……」
黒の魔法使いの師匠、であれば、この女性が赤の魔法使い。宙に手を伸ばし、ぱちりと指先が軽く弾かれる。虹色の干渉波が広がって、しわの刻まれた顔がわずかにしかめられた。
「あぁ、もうこれはどうにも、止められないわ。すでに天機に手が届いている」
「なんですって」
「彼の目を見なさい」
赤の魔法使いの言葉に、魔法使いの視線が再び集中する。黒の魔法使いの翡翠の瞳、赤の魔法使いの紅玉、そして青年の瞳は黒の魔法使いのそれよりも濃い翠玉の瞳。
独特の輝きを向けられて、わけもわからず混乱する。なんの話をしてる。今は、僕が聞きたいのは。
「常人にあらざる、輝く黄金の瞳。天機に触れた者」
柔らかな声音で、歌うように赤の魔法使いは告げる。
「新たな魔法使い。その資格を持つ者が今、ここに誕生したわ」
まほうつかい。
だれが。
ぼくが?
——セファが魔法使いになるのを、楽しみにしているわ。
ローズ様の声が、ひらめくように響く。
彼女が嬉しそうに言うから、だから、腹をくくった。白銀の魔法使いになって、胸を張って、僕がこれからどうしたいかを、彼女に伝えるために。
もう誤魔化せないから、正直に伝えて、彼女自身を願って、ローズ様が僕を許してくれたなら、騒ぎ立てる周囲から何がなんでも引き離そうと。
魔法使いなら、それができると。
でも、こんなことはのぞんでいない。
「黒の」
赤の魔法使いが、黒の魔法使いに手を差し伸べる。
「祝福なさい。わたくしがあなたにしたように。白銀の魔術師の導き手として」
こんな。ふうに。こんな、乱れた思考で、こんな、千々に焼き切れそうな感情を抱えたまま。
なることそのものに疑問はなく。
積み上がった、やるべきことの一つだった。それをこなして、晴れやかな気持ちで、彼女との未来を望むつもりだった。
黒の魔法使いの翡翠の瞳がこちらに向けられる。祝福を授けるのだとわかった。僕の瞳の色は本来薄茶の瞳で、それが黄金に変じたのだと赤の魔法使いは言う。
銀の髪に、黄金の瞳。その容姿を持つものを、僕は知っていた。
師匠。だから、僕をそばに置いていたのか。
ラジスラヴァ。ワタシの小さなセオルセファ、などとふざけた調子で呼びかける、あの美女は、僕のなんだというのだろう。
全部こうなるって知ってたのか。ローズ様に入れ込む僕を見ながら、こうなることを、予知してたのか。
師匠。
黒の魔法使いの手が、僕に届こうとする。ちりちりと虹色や黒色の干渉波があちらこちらで咲き乱れ、やがてひときわ大きくパチリと音が響く。
わずかに衝撃が来て、一瞬思考に空白が生まれた。
そこに滑り込んで来るのは、ローズ様と交わした会話だ。
——全部が片付いたら僕の話を聞いて欲しい。君が世界を救って、自由に生きられるようになったなら。
——……世界を、救ったら? 世界を救った私に、白銀の魔法使いになったセファが?
——僕が魔法使いになる前に。かな
約束をした。その時のローズ様の顔が、よく、思い出せない。
——私……世界を救う前に、セファが魔法使いになるところが、見たいわ
そういえば、早く見たいとしきりに言っていたような気がする。早く、僕が魔法使いになったところが見たい、と。何度も、何度も。
自分が世界を救う前に、と。
「ローズ様も、知っていたのか」
自分が、どんなふうに世界を救うか。
知ってて、ずっと、どんな気持ちで。
何で。
全身を包み込んでいた熱が引いていた。黒の魔法使いが目の前に立っている。自分よりも少し背の低い師匠とは、視線が合わない。祝福とはなんだったのだろう。
体が軽い。目の痛みもない。ただ、人外へと変じたことで増幅する魔力が、腹の底に渦を巻いて残された。次から次へと溢れて止まらないそれを、どう扱うのか。
「は、は」
笑いがこみ上げる。なぜだか、唐突に理解した。手に取るようにして、どのようにしてあの悲劇が起きたのかがわかる。
魔女カフィネの殺戮。
彼女もきっと、こんな絶望に塗りつぶされたのだ。
《天機に触れた、宮廷魔術師 おわり》
結界に覆われていない空を見上げる。王国結界と都市結界の二重天蓋によって見ることのできない満点の星空に、息を吐くことさえためらわれた。
空気は冷たく、きんと張り詰めていて、鼻から吸うと肺の中まで凍るようだった。
「姫様」
慌てた様子のエマが暗がりから駆け寄ってくる。当然だ、天幕を抜け出してここにいるのだから。
見張りに立っていたフェルバートは気づいているだろうけれど、同室で眠っていたエマが慌てて探しにくるのも無理はない。
彼女の後ろにはなぜか従者姿のトトリもいて、温かい飲み物を二つ差し出してくれた。お礼を言ってから、ありがたく飲む。
「眠れませんか?」
エマが毛布で私を包みながら問いかける。そうね、と私は曖昧に笑った。
「いよいよ、明日、異民族の長に会うと思うと」
セファの危機を知った私は、なにがなんでも査問会でセファが罰せられる前に世界を救うため、王都を出た。
何もかも、世界を救う私のためにやったことだと、赤の魔法使いに示すために。
セファを白銀の魔術師として見出して、王都に連れてきたその責任を、果たすべく。
一度は、聖剣に貫かれる魔女に変じるため、追放された辺境のはずだったのに。
異界渡の巫女がどうにかあがいて勝ち取った、私の一年。結局、彼女の望みが何かもわからないまま、何も成せずに戻って来てしまった。
彼女は怒るだろうか。それとも、優しいセファのためなら、許してくれるだろうか。
「綺麗ですね」
エマが頭上を見上げて囁く。夜とはいえ、声をひそめる必要なんてないのに。大きな声を出せば星が落ちてしまうとでもいうように。
「姫様は、二回目なんですよね。以前もこのような星空でしたか? 結界の外に住む異民族の者たちは、みんなこんな星空を当たり前にしているのでしょうか……こんなの……、美しすぎて、怖くないんでしょうか……」
「……えぇ、そうね」
戸惑いを悟られぬよう、たっぷりの沈黙を置いてから頷く。名残惜しいけれど、また明日も見れるわ、とエマを促して、天幕に戻ることにした。離れた場所で周囲を警戒していたトトリと合流する。
今回の旅に同道してくれているクライドとエマだけれど、二人をごまかすことこそが大変だった。私は初めて辺境を訪れるけれど、二人はそうは思ってくれない。異界渡の巫女として来ているのだ。口数が減る私を、フェルバートが「当時の記憶は曖昧でいらっしゃる」と証言することで庇ってくれた。婚約破棄直後の辺境追放で、それどころではなかったのだと。あの時ゆっくり見ることのできなかった景色を、今、ようやく堪能しているのだと思ってもらえるだろうか。
護衛のフェルバート、交渉担当の文官クライド、侍従のトトリと侍女のエマ。そして私。五人での辺境訪問だ。辺境城塞都市まではほとんど移動陣を使って、そこから異民族の集落までは馬車だった。付近までたどり着いたものの、結界王国群青の王国からの来客とあって、先触れもしたのに、中に入るのに時間がかかっている。
結局丸一日に待たされて、異民族が用意してくれた天幕に泊まることとなり、寝る前に、『明日の朝からの立ち入りが許可された』との連絡を受けた。
やっと、一度は背を向けた役目に向き合うことができる。異界渡の巫女に乗り移られなければとっくの昔にすんでいたはずの、救世を。
そのはずだった。
訪れた族長の屋敷。王都で会った時は一氏族の長にすぎなかったイシル・イリルが、族長として会ってくれるというので面会すべく私一人が案内されていたところだった。
屋敷と屋敷が渡り廊下によって繋がって、族長が座すという中央の建物にたどり着くまでの、その途中。「なんの騒ぎですか」と顔をのぞかせた少女がいた。
肩口で切りそろえられた、真紅の髪がさらりと揺れる。
「……な、んで……ここに……。」
その琥珀の瞳が見開かれた。
異民族独特の衣装を身にまとった少女が、目の前でわなわなとふるえている。なにがどうなって彼女がそうなったのか皆目見当がつかず、どう声をかけていいかもわからない。
「……どうして、あなたが」
「え……?」
わらわらと女性たちが集まってくる。おひいさま、おちついてくださいまし。おひいさま。とくちぐちになだめようと声をかけていた。少女は身分が高いのか、誰も無理にその場を連れ出せない様子だ。
「なぜ、あなたがここにいるんです。どうして」
その頰に朱が散る。怒りで、だ。怒気もあらわに、少女が私の前に立ちふさがった。
「お帰りください。今すぐに」
周囲の女性たちから悲鳴が上がる。魔力酔いの対処法を広めた観点から、どうやら異民族の者たちの間で『ローズ・フォルアリス』というのは恩人なのだ。
それでも、少女はなんの関係もないことかのように言い放つ。
「いますぐ、ここから、立ち去りなさい!!」
胸の前で腕組みをして、苛立たしげに指先で肘をトントン、と叩きながら、叫んだ。
「王都に帰れ!! ローズ・フォルアリス!!」
《あの人がいなくなった世界で つづく》
これにて第三章、完結です。
第四章は年明けを予定しております。それまで幕間やおさらいなど更新予定です。引き続きよろしくお願いします。




