65.私はローズ・フォルアリス
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もともと噂はあった。だれかが悪意をもって虚飾した、たちの悪い流言。
けれど今、この学院に満ちているのは、それよりも数段上の何かだ。
リリカが私の方を見つめてくる。気持ち強めに手を引いていて、その力はここから離れようと告げていた。
それに気づかないふりをして、全員が座れるだけの空いている席を探す。ちょうど囁き合っていた一団と目が合うと、彼らは決まり悪そうに立ち去って行った。
「リリカ、ちょうど席が空いたみたい。あそこにしましょう」
丁寧な所作で、まるで付き添うようにリリカを導く。戸惑いながら、彼女は従ってくれた。
卓の一つを確保したのだとわかるように、真ん中の席に向かい合って座る。周囲から向けられる視線は、変わらず私に注がれていた。
ローズ・フォルアリスでも、ロゼでもない。今朝旅立ったばかりの『白銀の魔術師の弟子』へ、一心に興味が向けられている。
「リコリスたちはまだかかるかしら。先に何か頼んでおく?」
「みんなが揃ってからでいいんじゃないかな……。ねぇ、ロゼ、本当に大丈夫?」
大丈夫も何も、彼らの興味の矛先は結局私ではなく、その先のセファへ向けられているのだ。本人がいる前では表に出せなかった好奇心を、私に対しどう発揮しようかといったところだろう。攻めあぐねていると言ってもいい。
ささやきは、セファについて私が知りようもなかった様々なことを教えてくれる。
辺境出身の平民で、銀の髪などという色彩を持った異形。
そんな存在が、我が物顔で学院内を歩く、その屈辱。
面と向かって言えもしなかった鬱憤を晴らすには、どうすべきか。注がれる視線が物語っていた。
——どこ面々も、今後この国の次世代を担っていく貴族の子女ともあろう者たち。自らの立場がどういうものか、自覚がないのかしら。
すうっと頭が冷えて行く。明瞭な思考回路で、周囲を見回しその囁きを聞き取っていった。
「赤の魔法使いに呼ばれたって噂、本当かな」
「魔法使いに?」
セファを、その、持っている色彩を忌避し、排除したい感情を持つ者がいれば、ただ興味を惹かれ注目するだけの者もいる。ただそれだけのことだ。
セファは、一部で慕われていて、一部で好奇心の的となり、一部で非常に嫌われていた。よく考えれば、ただそれだけの。
「えー、セファ先生ってやっぱりすごいんだね」
「……魔法使いによばれるってことがどういうことか知らないのか」
深刻な声に思わず振り返った。誰が口にした言葉かわからないまま、食堂にやってきたジャンジャックへと意識がそれる。急いでやってきたことがわかるその様子に、リリカと私は首を傾げた。目が合うや否や、ジャンジャックがすぐ近くまで駆け寄ってくる。
「ロゼ様、すい、ませ……」
「どうしたの、ジャンジャック。息を整えてちょうだい。何をそんなに急いで」
「場所を変えましょう。こういう場所は、今は」
ジャンジャックが周囲へ睨むように視線を投げかけると、多数の顔がそらされて行く。
「研究室所属学生だった俺たちにとっては、こんなのいつものことです。でも、リリカ様やロゼ様が晒されていいものではないっす。気にせずいきましょう。さぁ」
彼らにとっては日常だったのかと、聞いていたはずなのに思い至らなかった自分に衝撃を受けた。私の目を見て、気にしないでください、とジャンジャックは繰り返した。
「平民や不相応に力を持つ下位貴族をを毛嫌いする奴らなんて、いくらでもいます。でもそういうやつらこそ、相手にする時間がもったいないんで」
ジャンジャックは私たちが好奇の目にさらされるであろうことに気がついて、慌てて追いかけてきたのだと言う。食事は食堂ではなく、どこか外で調達し、中庭で食べようと促す。メアリとミシェルをリコリスに任せたので、もう間もなく追いつくだろうと。
足早に食堂でていこうとする途中で、ジャンジャックが明るい声を出す。
「大丈夫っすよ、セファ先生が戻ってきたら、また」
「戻ってくるかよバーカ」
優しさを叩き潰す、直裁的な罵倒に足を止めた。ジャンジャックとリリカが首を振って、私に早く食堂から出るよう視線で訴える。
「魔法使いに呼ばれたんだ、なんでそんなおめでたい発想ができるんだか」
今度はこちらに向かってではない。周囲に向けて、同意を求めるような静かな声だった。けれど、こちらに聞こえるとわかっていて言っている。
「国王を介さない魔法使いじきじきの呼び出しは、魔法使いの定めた禁忌に触れた場合だけだ。青の王国の連中はそんなことも忘れたらしい」
言葉を発している学生を見つける。こちらに背を向けて座って、体をそらすようにして振り返っている、体の大きな男子生徒だ。体ごとそちらに向いて、じっと佇んだ。どーも、と男子生徒は手をあげた。周囲にいるのは取り巻きのようなので、ずいぶん高い身分の家柄であることがうかがえる。
けれど、私の頭に入っている彼だと推測できる貴族の家柄はなかった。周囲と本人の態度から、まず平民ではないことは確かなのに。
「あなたは」
声をかけようと一歩進み出れば、新たな登場人物によって遮られた。
「なんですの、この騒ぎは」
食堂の入り口からまっすぐにやってきたのは、リコリスだ。曲がった事が大嫌いで有名な、フォルアリス伯爵家のご令嬢。今後の学生生活および卒業後も末長く平穏無事に済ませたいのならまず敵に回すべきではない、周囲へ多大な影響力を持つとされる最上級生。さざ波のように人垣が割れ、リコリスは歩を緩めることなく私の元へとたどり着く。
「ロゼ」
佇む私と、私の視線の先にいる学生を見比べて、リコリスがそっと眉をひそめる。手をかざし、耳打ちしてくれた。
「彼は緑の王国からやってきた、……そう、留学生というやつですわ。王家の後ろ盾を持っているので、衝突は避けてください」
ピクリと、肩が震える。こらえて、とリコリスは繰り返した。
「黒の魔法使いが教鞭をとる青の王国魔術学院は、結界王国群の中でも図抜けて有名なのです。魔法使いの薫陶を受けたいという学生が時折やってきますの。国家間で約定が交わされ、王家がその身柄を保障することで成り立ちます。……肝心の黒の魔法使いが研究室を持っていないと言うことで、当てが外れたとさっさと帰る人間も多いのですが——、何を揉めているのです?」
どうやら、彼は卒業までいるつもりの人間のようだった。リコリスの問いかけになんと答えていいかわからないまま、私はただ学生の挑戦的な眼差しを受け止める。
「白銀の魔術師は戻ってこない。赤の魔法使いの定めた禁忌に触れて、粛清される」
リコリスがわずかに息を飲んだ。ひとまずその一言で、私が引くに引けなくなったと理解したのだろう。見守るようにして、一歩下がる。
無知をせせら笑うようにして、緑の王国からやってきたと言う学生は繰り返す。セファは、戻ってこない、だなどと。そんなことは聞いてない。私は知らない。セファが戻らないなんて、そんな可能性があったことさえ考えもしなかった。だって、ただ行って、戻ってくるだけだって、そう言っていたもの。
ぎゅっと拳を握る。学院外套の裾を握り込んで、息を吸う。
「白銀の魔法使い候補でも?」
「魔法使いじゃない存在に、魔法使いが敬意を払うとでも」
青の王国には魔法使いがいない。より正確に言えば、存在するが長く不在にしている。王も、貴族も、民も、誰一人として自国の魔法使いの振る舞いをこの目で見た者はいなかった。彼のその言葉を、否定できるだけの根拠を持つものなどいない。
「あんな異形、見出した者がその行動責任を負うべきなのに、あの白銀の魔術師にはそれがなかった。辺境で見つけてきたというのは、ローズ・フォルアリス、でしたっけ? この国じゃ有名人なんでしょう? なぁ、リコリス・フォルアリス先輩。でも、本当にそんな人がいたんですかね。黒の魔法使いが箔づけのために『そういうことにして』辺境から引っ張り出してきただけじゃ?」
リコリスの表情が凍る。紫紺の瞳を学生に向け、ひたとみすえた。その眼差しにひるむことなく、彼は続ける。
「野放しにされた結果、禁忌に触れ、魔法使いに呼び出され、処刑される。化け物には似合いですね」
その根底にあるのは妬みだ。黒の魔法使いの力の片鱗を間近に見るべく、緑の王国から遥か南の青の王国までやってきて、その目的を果たせぬまま過ごしてきた矢先。突如と前触れもなく現れた、黒の魔法使いを師匠と仰ぐ銀髪のセファ。
それも、ほとんど同年代の自分と同じ学生という立場ではなく、王宮魔術師からの特別講師として、授業を持つだなどと。あげく黒の魔法使いではなく、その弟子が講師として研究室を開くという。
とうてい、受け入れられるはずがなかった。
「後ろ盾のいない化け物は、やらかしたことの責任を自分で負うしかない。弁明もできず赤の魔法使いの作った規範に則って粛清されて、白銀の魔術師はおしまいですよ」
その物言いは、全くもって聞き捨てならなかった。
だって、セファは戻ってくるのだ。色々整理して、引き継いで、憂うことなく旅立ったけれど、彼はここに戻ってきて再び講師として生徒を指導するつもりでいた。赤の魔法使いに呼び出されることがどいうことか、セファは知っていたのだろうか。知っていたのだろう。だから、何かあったときのためにと色々残して行ったのだ。
胸元の工房の鍵を、服の上から抑える。だから、セファは私に工房の鍵を渡したのだ。
その上で、戻ってくる。と言った。
セファが何をしたかは知らない。赤の魔法使いがどんな禁忌を定めていたのかも。それでも、私にできることがある。
「後ろ盾がただしく弁明できれば、セファは粛清されないと言うのね」
「っは。ただの弟子風情が、何を」
一歩踏み出す。
「では、私がセファを王都に引きずり出した者、後ろ盾として、彼の行為の正当性を保証するわ。国王陛下を通じて、赤の魔法使いへ白銀の魔術師粛清についての異議申し立てを」
頭からかぶっていた学院外套を脱ぎ去る。リコリスと目が合ったものの、すぐに学生へと向き直った。目の前の学生は訝しげに眉をひそめる。食堂内のそこかしこで、目を疑う声が上がった。
緑の王国出身の学生は、周囲の様子を敏感に感じ取りながら、声を低くして問いかける。
「あなたは誰です」
「変ね。先ほどお前が言ったのよ」
ふん、と鼻を鳴らした。
「私は、ローズ・フォルアリス」
背筋を伸ばして、つんと顎をあげる。
「第一王子より婚約を破棄され、辺境に追放されたフォルア伯爵家の第三子」
胸を張って、ゆっくりと腰を落とす。頭は下げない。衣装の膨らみも丈も足りないながら、指の先まで意識した隙のない挨拶の仕草をして、笑ってみせる。
そう、笑え。
家名はなく、衣裳もかつてとはくらべるべくもないけれど、それでも今ここですべきことはただ一つ。
「まずはお礼を。魔法使いについてのお話、偶然教えていただけて幸運だったわ。お恥ずかしながら、青の王国には魔法使いの事情など馴染みないもので」
視線は逸らさない。うろたえる学生の心情など知ったことではない。今この場で、セファが魔法使いに粛清されねばならない魔術師だと植えつけられた印象を、覆さなければならなかった。
「私は私の使命のために。なすべきことをすべく、セファのそばにいたの」
息を吸う。立ち向かうのも、言葉を聞かせるのも、この学生だけではない。食堂に集いこの騒動を見守る学生たちに、聞こえるように。
「あれだけのことをした私が、どうして今ここにこうしていると思うの。誰がどう関わっているか——、いくらお前でも、考えたら、わかるでしょう?」
誰の名前も持ち出さない。ここへいたる筋書きなど、目の前の、周囲の人間に勝手に想像させればいい。
学生の目が泳ぐ、まさか、と驚愕に目が見開かれたところへ、問われる前に畳み掛けた。
「それ以上、根拠のない、くだらない妄想を流布するつもりなら——」
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