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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
三章.天機に触れた、宮廷魔術師
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64.うまれかわり

 今頃どこにいるのだろう。転移陣を使っているから、もう、青の王国は出ただろうか。一日あればどれだけ進めるのか、そんなことも私は知らない。

 一人で学院寮から魔術学院内を歩く。聞こえてくる言葉や、投げかけられる視線。それらの全部を無視して、友人たちの姿を探す。

 いないとわかっていながら、セファの研究室までやってきてしまった。全く無意味なことをしているわ、と思いながらも、その扉に手を伸ばす。鍵がかかっていないことに驚きながら、中をのぞいた。





「でもよかった」


 わざわざ研究室から持って来た道具を使って、講義室でお湯を沸かす。のんびりとお茶を飲みながら、リリカが笑う。

 私も同じように茶器を手にしながら、どういう意味? と瞬いた。隣の研究室にリコリスがいるので、頭からすっぽりかぶった学院外套の頭巾を、リリカに顔が見えるようちょっとだけずらす。


「思ったより、ロゼが元気そうで。みんな心配してたんだよ」


 心配。してくれていたらしい。何をかしら、と考え込みながら、リリカと同じようにお茶を飲む。隣の研究室からリコリスの悲鳴混じりの怒声が聞こえて、二人で顔を見合わせた。リリカが苦笑するのに合わせて、やっぱり同じく小さく笑ってしまった。


 今日のこのセファの研究室が、施錠されていなかったことと、リコリスの悲鳴は同じ理由だった。

 私が来たのはほんとうに偶然だったけれど、セファの研究室の鍵を借りて来たのは、研究室の所属学生であったメアリとミシェルとジャンジャックだ。この三人、どうやらセファに内緒で行なっていた実験があれこれあり、しかもその痕跡をかなり雑に秘匿していたようなのだ。それを片付けるためにきたのだと、三人はごにょごにょと私に告げた。

 目の前で、研究室の隅に隠してあった木箱を引っ張り出し、中からでてきたのは洗浄されていない実験器具の数々。私が絶句しているところに、学院にいるならお昼を一緒にどうかとリリカとリコリスがやってきて——。


『信じられませんわ信じられませんわ信じられませんわー!! なんてものを隠してどれだけ箱に押し込んでいるのです!! 器具の後片付け一つできないなんて、研究者の風上にもおけませんわ!! 万死です!! 片付けますわよ! いますぐに!!』


 リコリスの悲鳴がほとばしったというわけなのだった。

 なおも続く妹の怒りの声を聞きながら、リリカと二人でお茶を飲む。お菓子があればよかったね。と、笑いあっていると、ひょっこりと顔を出したジャンジャックが焼き菓子を置いて行った。以前もらった時、美味しかったと言葉を尽くしてお礼を伝えたものだ。覚えていたのだろうか。きょとんとしていると隣で、まめねー、とリリカが呆れる。

 その横顔を見ながら、問いかけた。


「私、そんなにセファがいないとダメに見えた?」

「ダメっていうか」


 うーん、とリリカが微笑む。


「セファとロゼって、いつも並んで立ってるイメージだったからかな。はなればなれって、変な感じ。セファ先生も大丈夫なのかな」


 変なのはリリカだ。だって私とセファが出会ったのはこの夏が初めてで、それまではセファのいない人生を歩んでいたのに。セファだってそうだ。セファが頼りにしていたのは、辺境で会った異界渡の巫女。私じゃない。もともとべつべつに、生きて来たのだから。

 私がいなくても、セファはきっとだいじょうぶ。

 セファがいなくても、私もきっとだいじょうぶ。


「そういえば、せっかく二人きりだし救世についてリリカに聞きたいことがあるんだけど」


 曖昧に笑って見せて、話題を変える。声を潜めて切り出すと、リリカは額を付き合わせるようにして顔を寄せてきた。


「聖剣を宿した剣で、魔女を倒す。のよね、でも、リリカは魔女については知らないってこと?」

「うん。神殿で教えてもらったのはそれだけで、あとはとにかく聖剣を生み出せってそればっかり。ロゼは何か知らない? 魔王とか魔女とか」

「——魔王と、魔女」


 そっと視線を逸らした。


「……『世界から魔力が消え去った時、闇の森より魔王が生まれ落ちる』……だったかしら」

「なにそれ?」

「辺境で語られるおとぎ話って聞いたわ」


 セファとトトリからそう聞いたのを覚えている。確か、異界渡の巫女がそういった逸話を聞いて調べて回っていた、と。

 ふうん、とリリカが口元に手をやって視線を落とした。


「それから、魔女については——森の魔女。前回の救世の災厄の魔女カフィネが一般的かしら」

「魔女カフィネの話以外にも、魔王とか魔女の逸話はあるってことだね」


 考え込みながら、リリカは頷く。


「こっちの世界って、生まれ変わりとかってあるのかな。もしくはそういう、魔女とか魔王の因子を受け継いで生まれるとか。もしや聖剣で倒すべき相手ってまだ生まれてないとかまであるんじゃ……。だから聖剣が生み出せない? 魔女と聖剣、どっちが先なんだろ」


 生まれ変わり。聞こえた言葉の響きに、何か心惹かれるものがあった。リリカの顔をじっと見つめる。


「救世自体がこれまで何度か行われて来たというなら、聖剣で倒すべき魔女もしくは魔王についても、その時その時に存在していたってことで——。倒されて生まれ変わってってのは定番でありがちだよね。推論でしかないけど——、ロゼ? どうかした?」

「生まれ変わり、って?」

「あぁ、こっちの世界にはそういう概念ないのかな。ええと、魂ってわかる? 一度死んだ人が、また新しい命として生まれ直す、ってことなんだけど」


 覚えがないので首を振った。私の知識には偏りがあるので、民間でそういった伝承の残る地域はあるかもしれないけれど、少なくとも青の王国や神殿でそういった言い伝えは聞いたことがない。

 そっかー。とリリカは頭上を仰いだ。


「そういう概念がそもそもないなら違うかー。うーん。救世しなきゃいけない世界の危機ってつまり、大気中の魔力が減少していくことに歯止めがきかない現状のことでしょ。そもそもの原因を突き止めた方が話は早いのかな」


 リリカは『ローズ・フォルアリス』が、どうして婚約破棄をされたかを知らない。辺境に行って、儀式を行い魔女にならなければならなかった存在について、何も知らない。それでいて何も知らない女の子に救世を求めるなんて、ほんとうに、神殿はどうかしている。

 そうしなければ壊れてしまう、世界は。


「ロゼ?」

「なあに、リリカ」

「……ううん、なんでもない。聞きたかったことって、そのこと?」

「ええ。救世のためには、聖剣で魔女を倒さないといけないのでしょう? その最後の決め手について、確認しておきたくて」

「魔女もわからないし、聖剣も作れてないし、結構状況詰んでるよね」


 詰んでる。それは、異界渡の巫女の口癖だったかしら、とふと思い出した。


「このまま世界の魔力が減少していって、その伝承どおり、魔女とは別で魔王が現れたらどうしようねー。なんてね! 辺境の伝説なら、ちょっと行ってみようかな。詳しく調べるなら、現地が一番でしょう? 考えてみれば、異民族についてもよく知らないし。ホルミスが許してくれるかどうかだけど」


 明るい声を出して、リリカは研究室の方を振り返った。向こうはまだ終わらないのかな。と様子を気にして、飲み終わった茶器とお湯を沸かしていた道具を片付け始める。それを見て私も同じように動く。セファの研究室だったこの部屋に、こんなふうにみんなで集まるのも、きっと今日が最後だ。きちんと洗って、拭いて、片付けなければ。


「そういえばロゼって学院講師のセファ先生の弟子ってことで出入りしてたよね? セファ先生、講師じゃなくなっちゃったけど寮はどうなるの?」

「魔術学院って、関係者以外立ち入り禁止でしょう? 私も寮を出なくてはいけないわ」


 メアリが用意してくれる食事は本当に美味しかったので大変名残惜しいけれど、こればかりはどうにもならなかった。


「私、弟子としてセファの工房を預かることになったから、そこで寝起きする予定」

「あ、工房は残るんだ」

「ええ。宮廷魔術師の身分は一時返上したと聞いているけれど、青の王国も優秀な魔術師を手放したくはないでしょうから、魔法使いになるまではセファを使うつもりだと思う。戻って来たら宮廷魔術師の証も再度受け取る予定だから、魔術塔の工房はそのまま残してもらえるって」


 よかったね、とリリカが笑った。私も笑顔を返して、研究室に顔を出す。セファの研究室所属の三人が真剣な顔で実験器具を洗っていて、その横でリコリスが腰に手を当て立っていた。


「うわ仁王立ちじゃん。手伝おっか?」


 リリカが腕まくりをしながら進み出ると、ジャンジャックが断りの返事をした。


「え。でもこれ、すっごい除去がめんどうな薬剤とか残ってるよ。大丈夫なの? 終わる?」

「この三人の不始末ですのよ。図々しくも手伝ってほしい、なんて言った時はわたくしが許しません」

「さすがリコ、真面目だ……」


 やれやれと首を振り、それ以上言いつのるのは諦めたようだ。私もできることがあるならと腕まくりしたところだったので、これ以上どうしていいかわからない。ミシェルと目が合うと、彼は一瞬ぎょっと私の手元をみやり、ふるふると首を振ってきたのでそっとまくった袖を戻した。

 メアリはその隣で、これはどの実験に使った器具だったかしらと記憶を辿りながら、沈着してしまった色を落とすために必要な薬剤を割り出している。


 作業用の広机に椅子を寄せて、リリカは三人の作業を頬杖ついて眺めることにしたようだ。


「魔術学院では、もうこうやって集まることはできないでしょ? わたしが暮らしてる神殿だって、自由に出入りはできないし、セファ先生不在の魔術工房に学生が入り浸るのもダメだよね。えー、せっかくだからまた集まりたいのに」


 魔術塔の工房で寝起きするようになったなら、あと行く先といえば王城のフェルバートのところだけれど、王城なんてなおさら気楽に出入りする場所ではない。かといって、ほかに提案する当てもなかった。残念そうなリリカには悪いけれど、今後は私抜きで魔術学院の中庭などに集まってもらうのが一番だと思う。

 そう言おうとみんなの方を向くと、ジャンジャックと目が合った。私の視線から何を汲み取ったのか、ため息をつきながら口を開く。


「街に降りるのはダメなのか、リリカ様」


 思っても見なかった選択肢だった。何も諦めなくていいのだったわと思い知る。禁じられていた全ては私自身の行動を制限するためであって、外敵がいるわけではないと知ったばかりだった。


「そっか。卒業はほぼ確定だから、みんな査定と論文が片付けばいいだけだもんね。街に降りる時間だってあるか」


 なあんだ、と弾む声になって、リリカが私を見た。


「簡単に会えなくなるかなって、心配しちゃった。ねー、安心したらお腹すいたから、お昼に行こうよ。終わらないならお昼のあとにしない?」


 リコリスが腰に手を当てたまま、私とリリカを流し見る。この子のこういう、意思を曲げない視線は羨ましくも苦手かも、などと思いながら、つい外套の下で怯んでしまう。それをどう受け取ったのか、リコリスが「わかりましたわ」と怒りを解いた。


「では、学院の食堂でお昼にしましょう。三人とも、いま手にしているものが終わったら、中断して、食堂へ行きますわよ」


 三人の返事が聞こえて、リコリスは私たちに向き直る。


「リリカとロゼは、席を取りに行ってくださいます? まだ人の多い時間帯ですし」

「まかせて。ロゼ、いこっか」


 リコリスの指示に従って、リリカと二人で食堂を目指す。人気のない廊下をしばらく進んで、曲がって進むを繰り返していくと、徐々に人が増えて来た。私が身に纏う、白銀の魔術師の標が入った黒の外套が、すれ違う学生たちの視線を奪っていくのを肌で感じる。

 隣を歩くリリカが、戸惑うのもわかった。


「そういえば、白銀の魔術師って」

「セファ先生って」

「研究室解体したって本当」

「あいつらゴダード先生のところに移ったんだろ」


 口々に、身近な人々の名前が話題に上がるのが聞こえてくる。リリカの歩みが鈍るのを、無言でせき立てた。

 語り始めは、興味本位。好奇心と呼ばれるもの。


「——あぁ、いなくなったの、あの銀の」


 やがて、一滴の悪意が混ぜられる。


「やっと」


 知らなかったのだ。セファの銀の髪が、ここまで忌避されるものだなんて。

 だれも、私に触れさせなかった。セファの周囲にはそんな悪意があることを。


 私はセファが触れてきた世界を、本当に、少しも知らなかったのだ。


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