60.赤い別離に
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私の顔を見つめて、セファはそのまま何も言わずに食事を続け、お皿をからにした。なんだか深刻な表情で考え込んでいる様子にかける言葉が見当たらず、同じように食事を進める。せっかくトトリとエマが用意してくれた軽食なのに、なんだか味気なく感じた。
食器を流しへと運ぶ。お皿の汚れをきれいにできるかしらとじっと見つめたけれど、うまく像を結べず諦める。私の魔力量では、いくら少し増えたと言ってもほとんど心象頼みの力技なのだった。
セファはそんな私を横目で見ながら、横に立てかけてあった大杖を片手に、こんこんと床を叩く。私は、セファの魔術によって瞬く間にきれいになる食器を恨めしそうに眺めてから、手作業で食器棚へと片付けた。
「……何か怒ってる?」
「べつに、怒ってるわけじゃないわよ」
ちょっと悔しいだけだわ。という言葉はかろうじて飲み込んだ。だって、セファは魔術の師匠で、白銀の魔法使い候補なのに。私が悔しがるような相手ではなかったのだった。
「ところでさっきの、やっぱりちゃんとしよう。ローズ様」
「なあに?」
二人して立ったまま、セファが真剣な表情で見下ろしてくる。あんまり近くに立たれると首が痛いから、一歩下がってもいいかしら。あんまり下がると露台に近くなってしまうので、目撃されたことを思うと歩幅は小さくなる。
私の戸惑いもそこそこに、セファはいいかい、と人差し指を立ててふりながら言い募る。
「了承もなく居場所を探知できる魔術具を仕掛けられていて、『ありがとう』はどうかと思う」
「当の本人からそんなこと言われるのも、なかなかだと思うわよ」
仕掛けた本人が何を言っているのだろう。と咄嗟に言い返してしまったけれど、ささやかな行き違いに気がついて私は両手を振った。
「ち、ちがうわ。さっきのありがとうは、あの荒地にいた私を、見つけてくれてありがとう、ってことよ。べつに魔術具を仕掛けてくれてありがとうなんて言ってないわ」
わざわざ言うのではなかったとため息をつく。セファと私の間に感覚の違いや常識の違い、価値観の違いがあることはよくわかっていたけれど、違っていることを前提にそんな早合点をされるとは思わなかった。
「——でも、ちゃんとするってどういうこと?」
「いや、あるだろう。いろいろ、怒るとか、突きかえすとか……」
「居場所を把握されるくらいで?」
「常に監視されてるってことじゃないか」
「セファったら、私のこと監視しているの」
「してないけどさぁ!」
やだ、ちょっと遊びすぎたわ。声を荒げるセファは珍しくて、思わず口を閉ざす。本人も驚いたように固まってしまっていた。むっと睨むようにして見下ろして来た。
「君、僕で遊んでいるだろう」
「ちょっと面白くなってきたところよ」
「正直すぎる」
憮然とした顔のセファにクスクスと笑って、でも、本当に怒ってないのよと繰り返した。調理台にもたれて俯くセファの顔を覗き込む。
「居場所を把握されるのも、監視されているのも当たり前だったもの。不快に感じたことはないし、セファだったらずっとそばにいても構わないくらいなんだもの。平気よ」
思うままに本音を告げたつもりが、今何かとんでもないことを言わなかったかしらと言葉を終えてから気がついた。口元は笑ったまま、淑女の笑みのつもりでそれを保つ。取り乱してなるものか。セファがじっとこちらを見下ろしてくるから、見上げたまま首をかしげる。
「……なら、本当に、ずっとそばにいるかい」
ぽつりと、セファが言う。え、と聞き返す前に、手を取られる。
「僕がここを離れると言ったら、君、ついてくるかい」
返事ができない。何を言われたのか、言葉はわかってもその真意がとらえきれない。以前にもこんなことを言われた気がするわ。そう、あの、旅の途中。高台で。
——お城になんか戻らず、一緒に逃げよう。だったかしら。
あの時とは何もかも違うのに、頷けないのは同じだった。セファの薄茶の瞳を見上げたまま、ゆっくりと首を振る。拒絶したのに、セファの瞳は静かだった。一度目を閉じて、息を吐いて、握った手が離れて行きそうだったのを掴み返す。
「どこか、行くの?」
「赤の魔法使いに呼ばれてるんだ」
告げられた言葉に瞬いた。赤の魔法使い。呼ばれていると言うことは、赤の魔法使いの居場所、赤の王国に行くということだ。
「少し前から決まっていて、準備も進めてて。さっき師匠に呼ばれて研究室に行ったら、予定が早まったと言われたよ。……数日中にはここを出ないといけない」
赤の王国は、黒の王国よりもずっと向こうの王国だ。結界王国群の中でも青の王国は南に寄っていて、セファは北に向かうことになる。王国結界内の気候は安定しているけれど、結界の外になる王国間はこれからの季節どんどん雪深く、危険な旅になるのに。そこまでのことをするのは。
「魔法使いになるために、必要なこと?」
セファが小さく笑う。ちょっと困ったように。何か隠し事がある顔だった。
「そうだね、これを乗り越えれば、きっと」
握りしめたままの手に、力を込める。両手を添えて、上背に見合った大きな手をなんとかして包み込むように。その手元を見つめながら必死に考える。何か力になれることがあるといいのだけれど。
黙ってうつむいたまま、じーっと見つめていたら、ゆっくりと頭を撫でられた。撫でると言うよりは、のせるだけと言うべきか。
「師匠と行くから、黒の王国内の移動は転移陣を利用できるし、赤の王国に入れば赤の魔法使いが迎えに来てくれるらしいから、それほど大変な旅じゃないよ。青の王国内も宮廷魔術師として、国内の都市間移動陣の利用許可が下りているし」
「赤の魔法使いといえば、転移魔導師でしょう? 呼びつけたりせず自分から来てくれればいいのに」
「一介の魔術師のために、魔法使いが国をあけたりはしないよ」
「青の王国の魔術学院で講師なんてしてる黒の魔法使いは?」
「あの人は特別」
「引きこもってる青の魔法使いだって」
「あのオーミルも例外」
「ちゃんと国で務めを果たしているの、緑と赤だけじゃないの」
そう口を尖らせれば、まぁそもそも三人たりてないし、とセファがなだめてくる。ぽんぽんと頭の上で跳ねる手のひらを、もう、と弱く撥ね退けた。
「僕は行く。……だから、君にこの工房を預ける」
聞き返す暇もなく、セファの指が私の胸元に突きつけられる。服の下に隠しているそこに、あるのは。
「このあいだ渡した魔石は、ここの鍵だよ。君の分の、この工房の鍵」
魔術師が、自らの工房の鍵を他人に与える。いくら私でもその重大さは理解しているつもりだった。セファの手を撥ね退けたまま浮いていた手を、胸元に押し付ける。肌身離さず首から下げて持っている、あの丸くて平たい魔石。
「工房内に設置してある結界装置の調整については出立までに覚えてもらう。お守りは手放さないように。何かあれば魔術師ゴダードに頼んでいるけれど。——できれば僕が戻るまで、魔術学院にも、フェルバートの執務室にも、近寄らないでほしいな」
薄茶の瞳が、私の顔を覗き込む。優しく緩むように細くなって、片手で頰を包まれた。
「これは、師匠として命じてるんじゃなくて、友人としてのお願いだ。それでも君が望むなら、好きにするといい」
私、どんな顔をしているのかしら。きっと、頑なな顔をしているわ。素直に頷けなくて、セファを困らせている。でも、なんて言葉を返していいかわからなかった。
セファが、遠くに行ってしまう。でも大丈夫。帰ってくるのなら、平気だわ。待っていればいいんだもの。
それよりも、どうして一人で何もかも決めてしまっているのかしら。そんな、とっくに決めたことを伝えるみたいにして。必要なことだからと、次々と言ってくることが、こんなにも、腹立たしい。
「そばにいられない間、私を工房に閉じ込めておきたいということね」
「わかってるよ。無茶苦茶だってことは、わかってる。だから、君は好きにしたらいいんだ。あぁ、またおかしなことを言っているなと、呆れて笑い飛ばせばいいよ」
「ずるいわ」
「そうとも」
握りっぱなしだったセファの片手を解放する。両手を組んで、目を伏せた。
「赤の魔法使いの用が済んだら、すぐに帰ってくるのよね」
「できるかぎりね」
「なら、無事に帰って来てね」
祈るようにして、旅の無事を願った。セファがうなずいて笑う。束ねられたまっすぐな銀髪の付け根に、いつもの赤い羽根飾りがないことに気づいた。宮廷魔術師の証だから、業務外の出国のために一旦返上したのかもしれない。
そろそろ帰るわ、とセファから離れる。談話室をのぞいてエマに声をかけ、トトリに軽食のお礼を伝えた。振り返ると、セファが不思議そうな顔をして佇んでいる。
「セファ?」
「ところで、どうして待ってたんだい?」
返事に詰まる。どうして、って。そんなの。
「もう少し、セファとゆっくり話がしたかっただけだわ」
それも、赤の王国への出立の話でそれどころではなくなってしまったけれど。青の魔法使いのこととか、もっと話したいことはたくさんあるのに。
救世のことだって。
でも、いいのよ、と首を振る。
「出立準備で忙しくなるでしょう? 手伝えることがあったら、なんでも言ってね」
そう申し出た、実際には何の役にも立てないとわかっていた。セファだってそうだろう。荷造りなんてやったことがないもの。私は明日から、学院寮とフェルバートの執務室を往復して、呼ばれたときにセファのもとに行けばいい。出立までに急ぐのは工房の使い方くらいだろうか。
「おやすみ、ローズ様」
「おやすみなさい、セファ」
すっかり夜になってしまって、エマと二人、魔術学院寮への帰途につく。何も言わずにただ歩く。エマの心配そうな視線が感じられたけれど、笑いかける余裕がなかった。
青の魔法使いのことも、救世のことも、何もかも中途半端で、なんにもわからないのに。ただでさえ考えなくてはならないことがたくさんあるというのに。
——セファが、赤の魔法使いに呼ばれて行ってしまう。
「……ローズ様」
気づけば足が止まっていた。息も詰めていて、深呼吸をする。大丈夫。と、エマにうなずいて、また歩き始める。転移陣を起動してもらって、寮までたどり着くとメアリが出迎えてくれた。セファが鳥を飛ばしてくれたのだろうか。
「メアリ」
いつもならメアリの方が駆け寄っってくるのを、私が先にメアリに抱きついた。小柄な彼女は、私の胸に寄り添って、腕の中でなあに、と見上げてくる。
「お願いがあるの」
「きらきら、眩しい。とっても素敵よ、ロゼ」
私の真剣な言葉に、メアリは嬉しそうに目を細めた。
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