59.闇彩色の魔石
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薄明かりの中、膝を抱えてうずくまる。首から下げて肌身離さず持っているセファの魔石を、抱えるみたいにすると、不思議と安心する。
お茶会室から談話室の方を見やる。床に積まれて行くだけだった本の整理に取り掛かっているトトリとエマの、ああでもないこうでもないと話す声がなんだか微笑ましい。
ここは魔術塔、セファの工房。私は、セファの帰りを待っていた。
ぼんやりと外を眺めながら、セファと初めて会ったときのことを思い出す。あのとき、セファは庭園の東屋で泣きそうな顔をしていた。
『異界渡の巫女』に導かれて王都へやってきたセファ。『異界渡の巫女』によって居場所を得て、いざ世界を救く彼女の助けになろうと意気込んでいた矢先、その人を失ったばかりだったセファ。
背が高くて、白い外套に銀の髪。一目見て、ずっと年上の人かと思ったけれど、話してみると年下のように思えた、同い年の男の子。
わざと嫌われようとして、仲良くする気は無いと言い放って、それでも、『異界渡の巫女』の願いを果たすために、私の力になろうとしてくれた。
事故に巻き込まれ転移した私を追ってきてくれて、何もできない私を呆れながらも、放り出すことなく王都まで送り届けてくれた。
関わる気のなかった私に、そこまでのことをしてくれた。それだけでなく、私の話を聞いてくれて、私の望みを引き出そうとしてくれて、——私の願いを、叶えてくれた。
『……それなら、セファは私の友達かしら?』
どれほどの勇気を振り絞って告げた言葉か、きっと知らないだろう。
『望んでくれるなら、それに応えたい』
どんなに嬉しかったか、セファはきっと知らない。
友人になってくれて、魔術を教えてくれて、弟子にしてくれて、工房に迎え入れてくれて、魔術学院の研究室のみんなにも会わせてくれた。
目を見て、笑ってくれた。いつだって、もらってばかりで。
過保護なくらい、そばにいてくれる。いつだって、迎えにきてくれる。
「セファが望むのなら、なんだってするのに」
それほどに、もらいっぱなしのままだった。お返しどころか、役に立ててもいない。勢い余って独り言を口にしたとき、トトリとエマの声が聞こえた。セファが帰って来たようだ。ぱっと椅子から降りて、談話室の方へと駆け寄る。セファの姿が見えた途端、駆け寄ろうと一歩踏み出したときだった。
あ、と思った時には、セファの外套を握りしめていた。
「……ローズ様」
「ちが。違うのよセファ。わざとじゃ……ご、ごめ」
「別に、君が謝ることじゃないよ」
一瞬でセファの目の前に移動した自分に、慌てながら飛びのこうとしてよろける。それを、セファが当たり前のように腕を伸ばして支えてくれた。
「……リリカの部屋を出る時、感覚はわかったら気をつければ大丈夫って言ってなかった」
「言ったわ……。言ったわね」
言い訳もできなくてただうなずく。あぁもうと頰を両手で押さえながら視線を逸らすと、トトリとエマが私を凝視していた。
二人の視線の意味を察して、あっ、と声をあげた。
「……そういえば、何も言ってなかったわね」
「あの、今、何をされたんです?」
「なんですか今の、え、すごいことしませんでしたか!」
エマの戸惑いとトトリの歓声が対照的で、どう話し始めるべきか困って、つい笑ってしまった。
トトリとエマは軽い食事とお茶の用意をして、談話室の本の整理へと戻っていった。私は、いつかのようにセファと向かい合って座り、他愛ない言葉を交わしながら本題についてどう口にするか考える。
露台を背にしたセファが飲み物を口にした時を見計らって、切り出した。
「結局、噂の出所はわからないみたいだけれど、メアリたちは好きに言わせておけばそのうち気が済んで飽きるだろうって」
セファを誹謗中傷する噂については、表面的な当たり障りのないところだけを伝える。わざわざどれだけの人間が卑劣な考えで面白おかしく口にしてるかなんて、知ったところでどうしようもないのだから。
気に入らないけれど、腹は立つけれど、通りすがりの学生を片端から捕まえて詰問するわけにもいかない。
「そうだろうと思った。気にしてないよ本当に。……君の不名誉にならないかだけ、気になるけど」
「それこそ、『セファの弟子』という記号だもの。平気よ」
メアリたちの前で慌てたことくらい、秘密にしてもいいだろう。澄まし顔で答えたのに、セファは楽しそうに笑う。
「そんなこと言って。君のことだから、慌てたんだろ」
「そんなことないわよ!」
もう! と噛み付けば、セファは意地悪く、くつくつと笑う。知らないわ、と憤慨しながら食事を進めれば、セファは手を止めて、じっと私を見つめてきた。
「……なあに?」
もぐ、としながら、つい聞いてしまう。聞かなければいつまでも言い出しそうにないからだ。なんだか言葉に迷っているような、後ろめたような、なんともいえない表情になっている。
「……セファ?」
重ねて名前を呼べば、観念したように口を開いた。静かな動作で少し小首を傾げるようにして、雑に結んだ銀の髪が、肩からさらりと落ちる。
「今まで、ずっと、言いそびれていたことがあるんだけど」
「なあに、あらたまって」
「クライドに預けた鳥の魔石のこと」
「あれがどうかしたの? 今も持っているわ」
あれは、そう。フェルバートと黄金劇場に行く直前だ。ドミニク様のところへ行って、クライドやアンセルム殿下がやってきて、話をした。その別れ際に、クライドから手渡された。セファから預かったものだと言うから、護符と似たようなものかしらと思って常に持って歩いている。あれから鳥が必要な時に使ったこともあるけれど、どこが特別仕様なのかはいまいちわからないままだった。
うつむいて、学院外套の中から取り出そうとすれば、制止される。
顔を上げれば、気まずそうなセファの顔があった。ええと、と首をひねった。
「セファが作ってくれた魔術具よね。特別仕様、って聞いているけれど」
「うん」
「そういえば、聞きそびれていたわ。どの辺りが特別なの?」
「……………………君から僕、僕から君へ送る場合だけ、結界の強さや種類に関係なく、届くようになってる」
たっぷりの沈黙が気になるけれど、とりあえずは便利ね、とうなずいた。何が問題なのだろう。
「都市結界も王国結界も越えられると言うこと? いったいどんな作り方をしたのよ」
制止されたけれど無視して石を取り出す。相変わらず、美しい魔石だった。目を凝らせば中に魔術陣が刻まれていて、繊細な細工物のようにも見える。
石からセファへ視線を戻すと、気まずそうな顔をしたままだった。何かしら。なんとなく、叱られるのを待っている小さな子のようで、何が何だかわからないなりに笑わないようキュッと口元を引き締める。
鳥と呼ばれる伝言用の魔術具は、個々の魔力と技術によって送る距離や声を吹き込める時間が変わる。都市結界や王国結界を越えるほどの鳥なんて聞いたことがなかった。聞いたことがないものを作ったというだけで、こんな顔をするだろうか。
「……まぁ、そうだよ」
「魔力が少ない私でも? セファに限ってなんてこと、ありえるの?」
「そういう風に作ったんだ。どこにいても、……世界の果てと果てだって。なんでそう嬉しそうなんだい」
「だって、すごいわ」
「僕が、ローズ様用に魔術陣を組んで叩き込んであるから、僕ら以外には使えないけど」
「……セファって、もしかして力技で術具を作ってる?」
「複雑なものは懇意にしてる術具師に頼むけど、まぁ、自分で使うものは結果的にそうなるかな」
膨大な魔力量を誇るからこそのやり方に、真似できないわねと肩をすくめた。錬金術具を得意とするメアリや、生活術具が専門のジャンジャックから話を聞く分に、きっともっと改良の余地があるのではないかと思う。セファがめちゃくちゃな理屈で作ったものというのは、つまり汎用性が低いのだ。
それでも浮かない表情のままだったので、まだ何を隠しているのかとじっと見つめる。
「……あと、お互いの大まかな位置が、わかる」
鳥にそんなことができるだなんて、初耳だった。特別仕様だからって。私とセファ用に調整しているのだから、副次的な機能としてついてしまったのかしら、とひとまずは納得する。
「僕の魔力と君の魔力を目印に行き来するように、道を作ったというか。そもそもは赤の魔法使いの転移術式の応用で、別に本当にそうしようと思ったわけじゃなくてふとできそうだなと試しに組み込んで見たら思ったよりずっと容易に——」
息継ぎしているかしら。どんどん早口になっていくセファの言葉が聞き取れるうちに、私は手のひらを突き出した。
ピタリとセファの口が止まる。
「なら私、どこに行ってもセファには見つかってしまうと言うこと?」
「……怒ってもいいんだけど。あの時はなんとなく、その、予感がしたし。結果的に、禁足地に迎えにいけたのはそういう理由だし。神殿でだって」
青の魔法使いの結界に取り込まれた時も、なにかしらの反応があったようだ。これがねぇ、と袋から取り出した魔石を眺める。
「それなら、セファだけは必ず迎えに来てくれるということね」
素敵ね、とつい囁いてしまった。セファの返事はない。私を見つめたまま、話しかけることもなく、見つめてくる。何か言わなくてはと思うけれど、ぱっと出てくる言葉はなかった。
「あの、荒地へ助けに来てくれたでしょう? あの時、本当に途方に暮れていたから、嬉しかったのよ」
居住まいを正して、笑いかける。
どこに行っても、どこに逃げ出しても、きっと、セファは来てくれる。そう信じられたら、何も怖くない気がした。
「ありがとう、セファ」




