58.ひどく気に障るので
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セファの研究室では相変わらずミシェルとメアリとジャンジャックの三人が研究を続けていて、三日ぶりに姿を現した私を歓迎してくれた。
とは言え、寮では毎日一緒に過ごしていたので、ここに現れた私が久しぶり、ということだ。
「メアリ、そろそろ離して……」
ぴったりと抱きついてきたメアリを受け止めたものの、なかなか解放されない。しかたないわね、とぎゅーっとすれば、彼女はくすぐったそうに笑った。ミシェルが呆れた顔をして、ジャンジャックが不思議そうな顔をする。
「今日は神殿に行ってたんじゃ? セファ先生の急用って」
「黒の魔法使いに呼ばれたんだ。行って来るから、ローズ様を頼むよ」
「いそがしいですね」
私の肩を押してセファが言うと、ジャンジャックはなるほど、とうなずいた。黒の魔法使いがそういうなら仕方がない、というような様子から、いつものことなのだと推察する。
そのまま身を翻して行ってしまったセファを見送って、よし、と両手で拳を作る。
「セファはセファの用事を済ませている間に、私は私にできることをするわ」
「ローズ様も何かあったんですか?」
「得意分野よ」
得意というと語弊があるけれど、セファよりは対策を知っているはずだ。知っているだけで生かせていないので、雪辱戦ということになる。戻ってくる間に聞いたフェルバートの言葉を思い返しながら、ジャンジャックの真正面に立つ。
「魔術学院で妙な噂が流れていると聞いたのだけど、何か知っていて?」
言い終わる前に、あ、これ何か知ってる顔だわ、とわかった。ジャンジャックの顔が少し引きつって、メアリがそっと離れていこうとするので掴まえた。
ミシェルはそれを見て逃げられないことを悟ったのか、一歩引いた足を戻した。
「ジャンジャック」
「なんで俺だけ」
名前を呼んでにっこりすれば、悲鳴混じりの声が上がった。
じっと見つめていると、ジャンジャックは助けを求めるようにミシェルとメアリを交互に見て、名前を呼ぶ。
「いや俺から話すよりは……、メアリ」
ジャンジャックがメアリを呼べば、彼女は私に寄り添っていた顔をしぶしぶあげる。むぎゅーとくっついたまま、むー、とメアリは口をまげた。
「……ロゼが気にするような、噂じゃ、ないよ?」
「でも、噂によっては無視できないものもあるでしょう?」
根も葉もないものなら、胸を張って、堂々としていれば大丈夫。——そんな風に悠長に構えて、足元をすくわれることがある。
それを知っているからこそ、私はメアリの頰に両手を添えた。小柄な彼女の顔を上から覗き込む。メアリが若葉の目を瞠って、頬に朱を散らした。
「おしえて、メアリ。セファと私についての、どういう噂?」
確信があるわけではなかったけれど、あえて特定的な聴き方をした。む、とメアリが眉を寄せる。むむむ、と口を引き結んでいたけれど、やがて観念したかの様に唇を開いた。
「……本当に他愛のない、噂よ。『セファ先生』と」
「セファと」
「『その弟子』が」
「私が」
「『二人きりの工房で親密な様子だった』っていう、それだけの」
何を言われたのか理解するまで、数秒が必要だった。何も言わなくなった私から、メアリがそーっと離れる。ミシェルとジャンジャックも、遠巻きに私を見つめてきた。
『セファ先生と、その弟子が、二人きりの工房で親密な様子だった』
まるで、目撃談だ。
「ちょ、大丈夫ですか? ロゼ様、顔真っ赤」
「うわ……。青くなって、白くなって……いやこれ本当に大丈夫スか」
「でも、色々言われているけど、多分途中から誰かが脚色しているわ」
大丈夫よ、ロゼ。と、メアリの小さな手が肩に乗せられる。
「誰かによる、セファ先生とロゼを題材にした素敵な空想が広まってるだけだと思えば」
「何も大丈夫じゃないわ……?」
ふらふらとしだした私へ、三人が椅子を用意した。思考停止して座り込んだ私の前に、お茶が置かれた。一口飲むなり研究室の作業台に突っ伏した私の隣にメアリが座って、よしよしと頭を撫でてくれる。
「セファ先生の工房の露台って、魔術塔の廊下の窓から、見える位置にあるらしいのね」
言われて、ちょっと考える。確かにそうかもしれない。いやでもだからって。
「セファとロゼが親密そうにしてるのが、誰かの目に止まったってことですね」
「だから二人とも距離が近すぎるんすって……」
「ていうか、露台付近でいちゃついちゃ、だめよ」
「いちゃっ」
距離が近い、とは再三指摘されていた点だった。そんなつもりじゃなかったもの、と机に突っ伏したまま呻く。頭を撫で続けてくれるメアリの手が優しい。
「これが、そもそもの、発端の噂」
ポツリと呟かれた彼女の言葉に、私はそっと顔を上げる。メアリの若草色は静かだった。その瞳の奥で、なにか苛立ちのような感情がくすぶっているのを見て取る。
「……まだあるの」
「セファ先生が黒の魔法使いのところに行ったのは、こっちの理由じゃねっスか」
「まぁ、黒の魔法使いのせいのような気もしますけど」
ジャンジャックとミシェルが口々にぼやくので、なにがなの、と私が二人を見比べる。つまりね、とメアリが続きを引き取った。
「セファ先生の弟子は、その立ち振る舞いからおそらく貴族という考えに誰もが至っていて、その貴族の子女に辺境平民出のセファ先生が手を出した、っていう、くだらない、連想遊びよ」
「黒の魔法使いがそもそも女性関係が……。あー、恋愛遍歴が奔放というか……」
「それもスラヴィさんしか見かけないのに、変よ。みんな、暇なんだわ」
ラジスラヴァの名は、メアリも知るところのようだった。悪意が話を大きくしているわ、と呟く瞳が陰っていく。
「その黒の魔法使いに続いて、弟子まで魔法使いあるまじき振る舞いをするなら、今からでもその資格を剥奪すべきって言っている人がいるのよ」
「魔法使い候補って、そんなことでなくなってしまう資格なの……。そんなことがありえるの?」
「それはないと思うわ」
「さすがにないっスね」
「ありえないです」
ため息が出た。
つまり小さな瑕疵をあげつらって、セファを中傷するための流言が魔術学院で広まっているらしい。
点と点で好きな絵を描くように。結果は変わらないと分かっていながら面白おかしく、暇潰しのようにして、セファが貶められている。
「卑劣ね」
もともと、セファを遠巻きにする人間は多い。私自身の耳に陰口や中傷が届くことはないけれど、寮の食堂や談話室、セファの弟子だと名乗る前と後の様子から、変化する空気に胸がざわめくことがある。
セファの銀の髪。才能。宮廷魔術師という立場。白皙の美貌と若さまでも。それらを恐れ、妬む人は多かった。実力で敵わないからと、精神を疲弊させることのみに執心する者たちがいる。
反感を買ってしまったこと、恨んでる人もいるだろうということ、そういう話はセファから聞いていた。宮廷魔術師になった経緯についても、建物を壊すのはたしかにちょっとやりすぎだと思うけれど、意趣返しにしたって意地が悪い。
さらには、魔物討伐の大規模遠征についてもけちがついた。銀髪の宮廷魔術師セファは参加するものだ、と多くの人間が考えていたらしい。あれだけの力をも持つのだから、参加すべきだと。けれどその予想に反してセファは魔術学院講師として、研究室を受け持った。そうすれば、遠征に行かなくてすむからだ。
それは魔術学院講師となったセファの権利だし、悪いことであるはすがない。それでも、多くの人間が反感を抱いた。討伐へ赴く騎士、魔術師、そしてその家族が。
もちろん関係者の全てが抱いたわけじゃないけれど、悪意というのはその時その場の空気によって同調し、広がりやすく染まりやすい。
騎士も、魔術師も、魔術学院の学生も貴族であれ平民であれ、結界王国群、青の王国の上層を担う者たちの間に、それは染み渡って行った。
そうしてそれが、今のこの状況の下地になったのだ。
——王と、民と、世界のための私たちだというのに。
「……ロゼ?」
「なあに、メアリ」
じっと考え込んでいると、メアリ私の肩に触れる。その手に手を重ねながら、微笑んで問い返す。メアリは言葉を探すように私の顔を見つめながらだまっていたけれど、やがて首を振った。
「セファ先生も、私たちも、こんな噂気にならないのよ。ロゼがそんなふうに怒ることはないの」
「僕ら平民組はもともとはみ出し者ですし」
「うちも成り上がりみたいなもんスから、爵位に合わない役職ってんで妬む奴は多いんで、今更ですし」
メアリたちがそんなふうに私に話してくれるけれど、私は椅子の背に体を預け、足を組んだ。三人の動きが止まる。右手を口元にやって、目を伏せる。左手は右腕を支えるように右肘に添えた。
うつむきがちのまま、視線だけを三人に向ける。
「でも私、不愉快だわ」
なぜ、セファがそんなふうに言われなくてはならないの。
椅子に座って頬杖ついて、上目遣いに気だるく笑うローズです。おこ。
2021.9.18追記
とんでもないミスをしていたので、該当箇所削除しました。
あの……ローズは……まだ、セファが赤の魔法使いに呼び出されたこと知らないはずなんですよ……。(もうすっかり話したと思ってたら話しそびれていました……)




