56.約束と裏切り
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私の問いに、クライドがため息を吐くようにして笑った。それが答えだ。ホルミスもこちらを見ない。
「ローズ姫が持つ結界系の魔力特性、その魔力は幼い頃から研鑽されることなく、微量のままでした。ですが、生まれ持っての特性値は桁外れ。それらを総合して手に入れた力は、すべての結界をすり抜けられるという、魔法じみた力です。文字通り、世界から消えることができますからね。あなたが本気で逃げ出せば、誰も捕まえることなどできない」
「……クライドさん。それ、簡単に人に聞かせていい話じゃないよね? ロゼの魔力特性の話だよね?」
クライドを見上げる。人当たりのいい顔で、なんてことない風に言っているけれど、それが真実なのだとわかった。
「それで、王家がローズ様の才能を恐れた。そのために学院にも行かせず、能力も伸ばさず、魔力も増やさせず、王太子妃として取り込んで、飼い殺しにしようとした? 魔力特性なんて本人の意思でどうにもならないものを理由に、よくも、そんな」
セファが眉を寄せ苛立ちとともに唸る。
黄金劇場の地下で王妃陛下と話した時にも色々考えたけれど、そう結論づければ腑に落ちる。あのお方はけして認めないだろうけれど。
逃げ出せば、逃げられる。幼い頃から魔術の研鑽を積み、魔力を増やし自在に結界を作り出して隠れれば、それができたのだ。それを防ぐために、そのためだけに、今までの全部があったと考えられる。
憤りを露わにするセファの気持ちは嬉しい。でもきっと、王家が恐れたのは「大罪の魔女カフィネの再来」だ。
大罪の魔女カフィネ。前回の救世の際、五人もの魔法使いを手にかけ、救世の巫女が作り出した聖剣によって討たれた魔女。
たとえ世界が滅んでも、聖剣によって貫かれることをよしとせず、抵抗した人。同じように私が逃げ出して、救世の際に敵対することを事前に防いだ。
自分か世界かなんて、考えるまでもないことだと思うのに。
彼女は、世界が滅んでもよかったっていうのかしら。
いつだったか、クライドが話して聞かせてくれた「本当の味方」と「捕まってはいけない相手」の話を、不意に思い出す。
世界を救いたい私の、と言う意味なら、本当の味方は世界を救いたい人だし、捕まってはいけない相手というのは世界を滅ぼしたい人だと考えればいい。単純だ。
それなら、私に敵なんていないことになる。
だってみんな、当たり前に世界を救いたいはずだもの。
「クライドお兄様。以前してくれた、捕まってはいけない人の話、やっとわかった気がするわ」
返事を待たずに、そのまま続ける。
「忠告してくれて、ありがとう」
セファが私をジッと見てくるので、澄まし顔のまま心の中で苦笑する。
私が捕まってはいけないのは、世界を滅ぼしたい人。滅ぼしても構わないと考える人。つまり、世界よりも私を取る人のこと。救われるべきは世界で間違い無いのに、そんな人いるのかしら、とつい思うけれど。
私はすでに、知っていた。世界と私、どちらか一方ではなく、その両方を取ろうとした人がいたことを。
フォルア伯爵夫人と、アンセルム殿下。あの二人は、まだ、何か手を講じているのだろうか。
ハミルトン侯爵家によって隠され、母からもアンセルム殿下からも手出しされないよう遠ざけられたのは、だからだったのだ。母やアンセルム殿下に接触して、諭されて、私が私の状況を理解しないため、反逆の意思を持たせないため。
だから、基本的に部外者が自由に出入りできないセファの工房と魔術学院が隠れ家となった。
あの二人にはどうにかして、思い悩まなくて良いと伝えられたら良いのだけれど。
今はもう全部知っていて、わかっていて、望んで、この立場にいることを。
「ローズ様?」
私は意識して口元に笑みを浮かべて、隣のセファを振り仰ぐ。眼鏡越しの薄茶の瞳はあまり感情をあらわにしないので確信はないけれど、どこか心配そうな目をしていた。
魔法使いになるセファは、当たり前に世界を選ぶ。そうでなければいけない。けれど、彼は優しい人だ。いざ魔法使いになるその日までは、知らないままでいてほしいと思う。
魔法使いのセファは、世界を守るのだ。
「ずっとロゼって呼んでくれていたから、またそう呼ばれるの、不思議ね」
セファのまなざしに浮かぶ疑問符を見てないことにして、そう言った。
友人で師匠だけれど、呼び方はずっと「ローズ様」だった。それがロゼとしてそばにいた時だけは、「ロゼ」と呼び捨てて、話し方も距離も近く、嬉しかったのだ。元に戻っただけなのに、なんだか寂しく感じてしまう。
お願いすれば、またロゼと呼んでくれるだろうか。ローズでもいいのだけれど。でもこんなことお願いするだなんて、もしかしてはしたないことでは? でもお願いするだけなら。などと考えつつ、意を決してセファへと体ごと向き直ると、
「ローズ姫」
こつんと反対隣のクライドから、後頭部を小突かれた。セファがきょとんと瞬いて、私も「なあに」と振り返る。せっかく勇気を出そうとしたのに、と睨む形になるのは仕方がない。
「仲がいいのも結構ですが、そういうやり取りはあなたがた二人きりの時にしてくれませんか」
ずいぶん冷めた目で言われて、私はゆっくりと言われた言葉を吟味する。そういうやりとりって、つまりなにかしら。まだやましいことは何にも言っていないわ。セファを見上げると、そっと目をそらされてしまった。
「セファ?」
返事はない、咳払いでごまかされてしまう。向かい側に座るリリカもこちらを見ずに、明後日の方を見ながら手を叩いた。
「ええと、ロゼのこと、ちゃんと聞いてないからまだよくわかってないんだけど」
話しながら、リリカが真剣な表情でこちらを見てくる。
「青の魔法使いが手を出してきたってことはね、ロゼはわたしと同じ、世界を救う巫女ってことだよ。やっぱり、異界渡の巫女なんじゃないかな。ほら、ゴダード先生のところで話したでしょ? 異界渡の巫女の伝説。ロゼが花を降らせて、その魔術の仕組みを逆算して判明した先生の仮説」
「違うわって、あの時も言ったけど……。そうやって言い切る理由があるの」
「ある。青の魔法使いは前回の救世以降、なんらかの理由から表に出ないことを決めたの。それでも巫女のためなら動くことを緑の魔法使いに誓約したんだって。それで、救世について知恵を求めた巫女に応じられるよう、この大神殿内にいくつもの仕掛けを残したの。巫女だから青の魔法使いが会った、じゃなくて、巫女だから青の魔法使いのところに行けたの」
それなら、私の前に現れた扉は、その仕掛けの一つだったと言うことだ。両手のひらをひらいて、視線を落とす。聖剣に貫かれる魔女の役目を持つ私も、巫女に数えられるのかしら。
「以前から言っている、三人の巫女のことですか。本当に巫女は一人じゃないとおっしゃる?」
「嘘なんて言わないよ。わたし一人での救世なんてどう考えても無理だもの。聖剣つくって、それを誰かに預けて、それで? その聖剣で何を倒すの? 準備ができたら都合よく倒すべき魔女が現れるわけ?」
「それが、救世の巫女の役割?」
「そうだよセファ先生。救世のって言うわりに、役目は聖剣を作ることそれだけ。なら、聖剣の巫女でも良いのにね」
だから、とリリカが私を見つめた。ピンと姿勢を正して、両手を膝に。じっとこちらを見たかと思えば、頭を下げた。
「ロゼが異界渡の巫女なら、お願い。わたしと一緒に、この世界を救って」
「リリカ……?」
呼びかけるのが精一杯で、私は呆然と彼女を見つめた。嘘だ。こんなの。だって、彼女は。
「聖剣も生み出せない、巫女にもなれてない未熟者だけど」
なんで、異世界から来た彼女がこんなふうに私に願うの。
「この世界にやってきて与えられた使命を、ちゃんと果たしたい。関係ないって投げ出すんじゃなくて、求められたことに応じたい。それ以外のことは、全部後で考える。今はとにかくわからないことだらけで、手がかりがあるならなんでもいい」
私の知らないところで、リリカにだっていろんな葛藤があったはずだ。だって、リリカだって私と同い年の女の子。この世界に突然呼ばれただけの、なんの心構えも、何もない。
ただの。
「だから、ロゼ。わたしと一緒に、この世界を救って」
胸が詰まって、返事ができなかった。
そんな私に、顔を上げたリリカが笑う。
異世界からやってきた彼女。初めてちゃんと声をかけた時は、心細そうな顔で、廊下の隅でうなだれていた。
わざわざ異世界からやって来させて、右も左も分からないだろう彼女を振り回して、世界を救ってなんて厚かましいことを願っておきながら、こんな顔でひとりぼっちにさせているの、と思ったのを思い出す。
憤りでもなく、ただ、見たままの感想だった。
それでも、私みたいに幼い頃から言い聞かされて育ったわけでもないただの女の子を、そのまま放っておくことなんてできなくて、部屋を貸した。
あの時とは見違えて、彼女は優しく笑いかけて来る。黒髪はさらりと揺れて、漆黒の眼差しは力強く、彼女はもう、何もかも決めているのだとわかった。
「正直にいうね。わたし、聖剣なんて作れない。異世界からやって来た存在が救世の巫女として聖剣を生み出すというのなら、異世界の知識で聖剣を作るってことなんだと思うけど。だってわたし、聖剣なんて見たことないから」
この世界に、聖剣はない。それは世界を救う時に、救世の巫女が生み出すもので、それが為される時には消えているものだからだ。けれど、生み出す役目を負ったリリカは、聖剣を知らないという。
彼女がいうには、彼女の世界には聖剣がいくつもあるのだそうだ。
「伝説とか、物語と合わせてたくさんあるの。古今東西、世界中にその土地の聖剣があって、それは神様や勝利の象徴として語り継がれてる。長い年月で失われたものも多いけど、たしかに現存していて祀られているものも多いよ」
けれど、リリカは見たことがない。作り出そうにも、どんなものかもわからない。
「それでも、わたし、救世の巫女になるべくして呼ばれて、ここにいるから」
望まれたことを果たすために、手を尽くすよ。と、リリカは言った。まっすぐに、私を見据えて。その手が私に差し伸べられる。
当たり前に世界を救いたい。この世界の人間じゃない、リリカでさえもそう言ってくれるのに、私がその手を取らないはずがない。
そっと手を伸ばして、指先を絡め取る。
握った手の暖かさに、心が芯から冷えていく。
聖剣の使い方、救世の方法、リリカにさせようとしている非道を、言わないままの卑劣に目をそらす。
知った時、彼女はどうするだろう。
「リリカが投げ出したって、私が許すわ」
真剣にそう告げれば、きょとんとした瞬きが返ってきた。少しの間の後、ニヤリと笑う。
「大丈夫。もう、そんな風に悩む段階は通り過ぎたから」
一緒に世界を救おう、とリリカは言う。一人よりは二人で、さみしくなんかないように、と。




