55.真実恐れたこと
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窓の外から、呑気な鳥の鳴き声が聞こえてくる。
お茶会の用意が整った低い卓を囲んで、私は真向かいに腰を下ろすリリカをそっと見上げた。
「リリカ、あの、怒ってる?」
「えっ? 何が」
もぐ、とホルミスに用意してもらった焼き菓子を食べながら、リリカは瞬きとともに首を傾げた。
対面する私は、三人がけの長椅子の真ん中で、居心地悪く視線を彷徨わせる。リリカはかまわず咀嚼を続け、飲み込む口を開いた。
「青の魔法使いのこと? ロゼを外界から遮断して取り込んでどうするつもりだったんだろうね。それに、今まで引きこもってたからって、何を聞いても知らぬ存ぜぬ。それでも結界王国群全体の上位に立つ、青の魔法使いかー! って感じ。救世の巫女として怠慢は糾弾しないとね。とりあえず青の王国王家に顔見せてきたらって言っても返事は濁すし」
大人気なくない? とリリカはお茶をぐびっと飲んで茶器を勢いよく卓に置いた。
神殿の書庫から場所を移し、今はリリカの部屋にいる。リリカの部屋は高い丸天井になっていて、庭園に面した窓からは燦々と陽の光が入ってくる。本棚や箪笥など背のある家具で区切られた向こう側は目隠しが置かれていて、寝台の天蓋が見えていた。
案内された時、つい格子のある窓へ何気なく視線を投げかけていると、リリカが中へと促しながらも冗談みたいに「ようこそ、鳥籠の間へ」なんて言って笑った。
異世界から召喚されたリリカの暮らす部屋が、「鳥籠」だなんて、全く笑えない。
「それとも」
柔らかな、優しい声のような気がするのに、突然お腹の底がひやりとする。
「ローズ・フォルアリスとしての正体をずーっと隠してた、ロゼに対してってこと?」
身を乗り出して、漆黒の瞳が私を射すくめる。うぅっ、と思いながらもそっと目を合わせて、じっと見つめてくる視線を受け止めた。
しばらく見つめあったけれど、リリカは視線をはずし、両手をひるがえす。
「怒んないよ。だって、最初から正体は秘密って言ってたじゃん。詮索しない約束だったもの。騙してたわけでも、嘘ついてたわけでもないし。リコリスはともかく私は全部織り込み済みだったから、別にいいよ。怒ってない」
実妹のリコリスはちょっとかわいそうだと思うけど、とリリカは付け足す。落ち着かなげにしている様子を見ると、まだ何か本心を隠している気がするけれど、お互い様だから指摘しない。私の視線を気にせず、そのままの調子でリリカは続ける。
「そりゃまぁ、セファ先生の研究室のみんなが知ってたってのにはちょっとびっくりしたけど。それくらい。そっちは成り行きだったことくらい、わかるし」
言うなり茶器を掲げて、おかわりを求める。なぜか傍に控えているホルミスが大人しく従っていた。誰も指摘しないけれど、上級神官がすることではない。茶器を手にする彼と目が合うと、同様に勧められたので戸惑いつつもありがたくいただく。
「とりあえずちょっと情報交換しよっか。さっきの青スライム……、じゃない、オーミル……、ええと、青の魔法使いから、非公式とはいえ晩餐に招待されたんだし、時間までどうせ他にやることもないでしょ」
あの書庫で、セファに燃やされそうになった青の魔法使いは、慌てて仕切り直しを提案してきた。場所は大神殿で、晩餐に招くのだわと。
神殿の人員と厨房と食堂を使うことは私もリリカもなんとなく納得しかねるのだけれど、そこは割り切ることにした。青の魔法使いなんだから担当である青の王国を使えばいいのに、どうしてあの魔法使いは神殿に居座っているのだろう。
「あの魔法使いにいろいろ言いたいことはあるんだけど、わたしとしては救世について、もう少しヒントが欲しいんだよね。具体的に。情報源として有効活用したいの。前回の救世がどうだったとか詳しく。
そこで、今回の救世にロゼがどう絡んでくるかっていうのを先に知りたいんだけど、ええと、ローズ様がロゼって名乗ってたことって、関係してくる?」
どうして、ロゼと名乗っていたのか。そう、リリカは問うてきた。
「ローズ様の正体は、隠すべきだと思っていて、その、理由は……」
右隣のセファが言う。私と同じようにホルミスに入れてもらったお茶を味わってから口を開いたけれど、言葉尻は消えてしまった。
「ローズ・フォルアリスじゃなく、弟子のロゼだって偽ったのって、意図的にだよね? だって、セファ先生を辺境から見つけて王都に連れて戻った時点で、その辺の貴族には口出しできない功績だよ。早々に宮廷魔術師になったし、なにより二つ名持ち。白銀の魔術師だもん。魔法使いになれる素質を持った人を表舞台にひっぱってきたのって、この世界だと随分すごいことだって話だし。
その上、辺境に行く理由になった殿下を糾弾してその立場を取り戻したのに、わざわざ弟子のロゼだって言い張る必要あったの?」
リリカの疑問はもっともで、私も「普通に考えれば、そうなのよね」と頰に手を当てる。リリカは私とセファを交互に見て、さらに続けた。
「汚名返上したんだから、堂々とセファ先生とタッグ組んで、足引っ張ってくるようなのは全部実力で跳ね飛ばしちゃえばよくなかった? ロゼの振る舞いひとつでファンができるような有様だし、セファ先生だってその実力は折り紙付きでしょ? 神官の評判もすっごくいいんだし、声を上げれば助けてくれる人いっぱいいたでしょ? なんで、弟子って隠れ蓑作ったの?」
それは、と考えて、思考が止まり、開きかけた口を閉ざす。それは、と同じ言葉が胸の内をよぎる。視線が下がるのは、セファも同じだ。
それは。
リリカが長椅子の背に体を預ける。貝のように口をつぐんだ私とセファを横目に、私の左隣に腰を下ろすクライドへ同意を求めるように問いかけた。
「……言いくるめられてたってこと、二人して。信頼してた相手がいたんだ」
「ご名答。さすがですね」
「神殿も大概だったけど、そう言う手合いならお城にごろごろいたからね。でも、そっか」
優しい聖女の声は、静かだった。
「あの頃のわたしも、ホルミスの言うことなら疑わなかったから、偉そうなことは言えないな」
だって、わけがわからなかったのだ。
婚約を破棄されて、辺境行きを命じられて、寝て起きたら、一年半も時間が経っていた。親しげに話しかけてくる馴染みのない人たちに言われたことをただ受け入れるしかなくて、その上さらにいろいろなことが立て続けにあって。
よろけそうになる体を支えて、きっぱりと行き先を示してくれる人がいたなら、どんな疑問も抱えたままについて行くしかなかった。
言い訳や後悔に飲まれそうになる自分を慌てて引き戻す。息を吸って、お腹に力を込めて、背筋を伸ばした。
「私ね、ずっと、考えてたの」
左隣のクライドを見て、リリカの傍に佇むホルミスを見て、自分の手のひらを、自身の胸元に押し付ける。
「不可解な育てられ方や、言われるがままの振る舞いの理由について。はっきりしたことはわからないけれど、なんとなく、だけれど」
視線が集まるのを感じると、気が楽になる。そんな風に見られることが当然で、それなら、振る舞い方は体の方が知っていた。
「何もかも、私に『してほしくないことを、気づかせないため』だったのかしらと、思うの」
例えば、『魔術』
結界系の特性値が高いこと、張った結界は魔力探知されないこと、張られた結界をすり抜けること。クライドの母が気づいて、私を利用しようと誘拐したその理由。
私の教育を施した誰も、その事実を私自身に告げることはなかった。それどころか、魔術に関する知識は執拗なほどに伏せられていた。
その力を無自覚のまま、封じたかったのではないだろうか。
例えば、『自我』
ことごとくの意思は封じられ、できることもできないことも指図され、いいなりになることを求められた。
これが、貴族令嬢としての当たり前だと。
王と、民と、世界のため。家のため、血筋のため、伯爵家でありながら魔術的才能がないとされた私は、そうであるなら王家に嫁ぐべきだと断じられた。その教育のために外部から影響を受けぬよう、余計なことを考えぬよう、繰り返される多忙な毎日。
反感も不安も抱く暇もなく、ただ、与えられる課題に向かうだけの日々。
それらを合わせて、私を封じ込めたいほどに恐れたこと。
「魔力探知されない結界を作り、他者の結界を無効化する私が、王家だけじゃなく世界に反感を抱くこと。そのための全部だったのじゃないかしら」
世界を救う鍵になる私。
救世の剣によって貫かれる私。
その私の反逆をこそ、権力者は恐れたのではないかしら。




