11.世界を救うために
夕方にたどり着いた街は、交差する街道に面した交易拠点のような大きな街だった。花の香り漂う商館の多い区画にはいり、中規模商館の一つの馬車だまりで止まる。荷物を抱え込んだセファは馬車を降りて私の手をとり、馭者の方へと回り込んだ。
運んでくれたお礼を渡せば、馭者はカラカラと笑って私を見ながら、道中こっちも楽しませてもらった。などと言って渡した謝礼の半分を返してきた。戸惑う私とセファに、縁があればまた。と、去ってしまった。
ぽかんと見送って、二人で顔を見合わせる。良かったのかしら、と小首を傾げると、セファがなんともいえない顔で私をしばし眺め、ため息をついて歩きだした。
馬車の旅で多少回復したとはいえ、急に動かれると足がもつれてしまう。ちょっと待って、と言ったのに、と均衡を崩したままセファの腕を頼ると、思いの外しっかりと支えられた。
「ありがとう」
お礼を言って、離れようとする。けれど引き寄せられたまま、セファの腕が緩まない。なあに? と顔を上げると、険しい顔でセファが私を見下ろしていた。
「……いや、宿屋を探そうか、ローズ様。もう少し歩ける?」
もちろん、と頷く。なにか色々なものを飲み込むセファは、苦しそうで辛そうだ。私を見てそうなるというと、異界渡の巫女関係だろうか。似ている私を見て、恋しい人を思い出す? 似ているも何も、私の顔体そのままだったわけなのだけれど。
異界渡の巫女も、こんなセファを置いて行かなければよかったのに、と思う。手紙にあった通りだ、こんな風に、情を残したまま置いて行かずに、冷たく突き放して憎まれるくらい粉々に砕いてしまえばよかった。そうだったなら、セファは戻ってきた私に近づくこともなく、視界に入れることもないまま、私はこんな優しくて寂しい男の子を知らずに済んだのに。
いや、これ誰かしようとしていたような、とふとよぎったけれど、ぼんやりとセファについて歩いていた私の思考は上手くまとまらない。導かれるまま宿屋について、一人部屋に通される。ずっとセファが手を引いてくれていて、旅装の上着を脱がしてかけ、私を軽装にしてくれる。そのまま流れるように寝台に座らされて、なぜだか真正面にセファが膝をつく。
「今日はここで休むよ、ローズ様。適当に食事を買ってくるから、君はここで大人しく待っていること。横になりたかったらなっていていいから、部屋の外には出ないで」
一人で行動しないようにとは、宿に泊まるごとに繰り返し言われるけれど、今日はなんだか今までで一番真剣だ。わかったわ、と私も真面目に頷く。鍵をかけておくから、誰か訪ねてきても出てはダメだよ、と念を押されたので、もう一度わかっているわよと言いながら手を伸ばす。
伸ばした手は、銀髪に触れた。その気はなかったのに頭に触れて、ふふと笑いながらよしよしと動かす。セファは片手で顔を覆ってうなだれていた。
「なあに?」
「……べつに。それじゃ、大人しくしていてね」
さらに念を押して、セファは出て行った。
弟が欲しかったのよね、とふと思う。お義姉さま、と慕ってくれた子はいたけれど、その子ももうそんな風に呼びはしないだろう。呼びたがったとしても、許されはしない。欲しがったところで、結局その弟も私よりいくらか優秀に違いないので、永遠の無い物ねだりだ。
「ほら、私にだって、私の望みはあるわ」
ちょっと叶うあてがないだけで、夢想するのは自由だろう。寝台に体を横たえて、もそもそと掛布に潜る。こういうこと一つとっても、体にふわりとかけてくれる侍女がいたのだ。こんな風に疲労困憊になることなど滅多にないけれど、疲れ果てて寝台に倒れこんでも、寝仕度は勝手に進んで、なにも思い煩うことなく眠りに落ちる。恵まれていたことを、知っている。
寝台に横たわり目を閉じると、思い出すのは異界渡の巫女からの手紙と紙の束だ。結局あれを読まないまま三日が経ってしまった。何か手遅れになりそうな気がして、ひどく気が急いてしまう。
ーー世界を救って。
人生で、そんなことを言われることがどれだけあるだろう。これをリリカ様が言われたなら、あの方は突っぱねる権利があるだろう。見知らぬ世界のことを、なぜ私が救わなければならないのかと。……予想が正しければ、きっと言われているかもしれない。神殿の神官たちが、そんな恥知らずばかりでないといいけれど。
一部の神官たちの腐敗をよく知っていたし、それを嘆く知人の顔も浮かんだ。知人がリリカ様を正しく導いてあげていることを祈るしかないだろう。私が手を差し伸べる立場にもない。
他にももっと、考えなくてはならないことがたくさんある気がする。世界を救うこと、異界渡の巫女のこと、異世界からの来訪者リリカ様のこと、突然荒地に飛ばされた私自身のこと。セファがきたことに安心して、何も考えないままただひたすら歩き通して疲れ果てて、ここまできてしまったけれど。
けれど、この時間は傷ついた心に、必要な空白かもしれない。
傷ついたことを自覚している。何に傷ついたかは考えないようにしている。時折話題がかすめそうになるたび、取り繕うのをセファが物言いたげな視線を向けてくる。それらすべてを知らないふりして逃げていた。
一番辛かったことを伝えて、望む理解はどれだけ得られるだろうか。それなら、何も言わず押し込めて、癒えるのを待つしかないのでは。
寝入り端、かすめた思考に意識が浮上しかけたけれど、すぐに深みへ沈んで行った。
「ローズ様」
優しく肩を叩かれる。揺さぶられることなく優しい振動のみで、ふわりと目が覚めた。柑橘類の爽やかな香りに、何かしらと寝返りを打とうとして動かない体に疑問符が浮かんだ。
視界にセファが現れる。小さな蝋燭の明かりが柔らかく、薄暗い室内の光景に、すっかり寝てしまったんだわ、と気が付いた。慌てて起き上がろうとしたのに、体のどこにも力が入らない。
「帰ってきた時寝ていたからそっとしておいたんだけど、何か口にしたほうがいいと思って。湯ざましと果物を持ってきたから、少し起きれる?」
起きれる? と聞かれれば、起きられない、と首を振った。ふるふると振ったつもりなのに、顔はほんの少ししか動かない。それでもセファには伝わったのか、ちょっとごめんよ、と手が背中の下へと入ってくる。上体を起こされたけれどこらえきれず寝台の頭にもたれかかった。それを見てセファが枕を背に挟んでいく。
なんなのこれは。どういう状況。
困惑している私に気づいてか、持ってきた果物を私の口に押し込みながら(!)セファが話をしてくれる。
「……自覚がなさそうだとは思っていたけれど、熱を出したのは初めてなわけはないよね?」
「……」
もぐもぐと柑橘系の果物を咀嚼しながら、口元に手をやる。発熱していたらしい。なるほど。それは、記憶に数える程しかない大事件だ。王太子の婚約者として城に出入りするようになってからは、微塵の隙も作ってはならぬと家族一丸となって体調管理に努めていた。
けれど、今回ばかりは仕方ないだろう。お茶会前に転移して、荒地で一人数時間、セファに見つけてもらって、夜になる前に森を抜けた。たどり着いた町でなんとか宿をとって、翌朝すぐに徒歩で出発。街道沿いの町についたのは日没間近だった。そんな時間まで歩き通して、宿を取るのも一苦労。翌日には、朝から夕方まで荷馬車に揺られる。少々の休憩があったとはいえ、王都から出たことのない私からしたら大冒険だった。
「食欲はあるみたいだね」
用意された果物を完食すると、セファがホッとしたように息を吐いた。湯ざましを飲ましてもらって、すぐに寝台に横たわる。病ではなく、本当に疲れからの発熱なのだろう。すぐに眠気がやってきて、セファが私の頭を撫でてくれる。
「ありがとう」
撫でてくる手の袖を掴んで、なんとか囁いた。本当に、面倒見がいい。これではこの先、きっと苦労するだろう。気の毒に。ただただ優秀で、何も持たぬ身から宮廷魔術師になったというのなら、早く逃げ出すべきだ。負う必要のない責任を負わされる前に。生まれ育ちからいつか義務を負うために生きてきた私とは、違う世界の人間なのだから。
熱に浮かされた思考の中で、無自覚だったことを自覚する。あぁ、私、この人のこと、きっととても気に入っているんだわ。
フェルバートへの憧れや、クライドへの信頼とはまた別のところで、この若く美しい宮廷魔術師の幸せを祈っている。返しても返しても足りないほどの世話を焼いてくれる年下の男の子。ただのローズになってもいいだなんて、簡単に言ってくれた人。
きっと、異界渡の巫女が世界を救うところを、一番近くで見るはずだった男の子。
中身が違う別人だけれど、同じ光景を、見せてあげようかしらと思う。熱に浮かされた頭で、明日覚えているかどうかはわからないけれど。
誰かのために世界を救うなら、ただの私でいいと言ってくれた誰かのために救いたいわと、思ったところで意識が途切れた。