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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
三章.天機に触れた、宮廷魔術師
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49.神殿の書庫

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 三年前の神殿での生活は、何一つ不自由のないものだった。一人の女性神官が全て世話してくれ、食事は何人もの神官の手により部屋まで運ばれて、与えられた部屋でやるべきことをただ取り組めばいい生活。課題の量が減って、連れ出される回数が増えて、走って、馴染みのない木の剣を振って、組手をする神官たちを横になって眺める。時折、他愛のない雑談に混じって、神話書の解釈を聞き、神話書を読み込み、反論した。


 それが楽しかったのだと思ったのは、ずいぶん後に、ふとよぎった程度だったけれど。


「ホルミス。私が育てられた理由、私がいずれ辿る道。それらに対し、どんな感想を抱こうがお前の勝手だけれど、勝手に手を尽くし、絶望し、同情し、憐れまれることなんて、望んでないのよ」


 望んでない。なにもかも、望んでないわ。

 私のために何かしてなんて、誰も頼んでないの。ありがとうなんて言わない、ごめんねなんて言わない。


 私の未来を聖剣に定めた、お前たちの言葉に耳を傾けられるほど、私にだって余裕はない。


 世界は救う。聖剣からも逃れる。そんな方策があるのなら、今すぐ教えて欲しい。私の知らないところで足掻いて、諦めて、実はこういうことがあってこんな風にずっと思っていたのだなんて、今更言わないで。

 聞かされるたびに腹立たしく思うけれど、怒りに震える時間さえも惜しいのだ。


「ホルミス、どうして救世の巫女は覚醒していないの?」


 私が辺境で魔女になったとして、討たれなければ世界は救われない。魔女になった私の体に、聖剣を突き立てなければならないのだから。救世の巫女であるリリカにその用意がないのでは、話が進まない。


「……話が違う、と申しています」

「……話?」


 そういえば、そんなことを言っていたかもしれない。


「自分以外にも巫女が二人いるはずで、まずはそちらを探すべきではないか。と、幾度も進言していましたが、前神官長が許可しませんでした」

「夢でも見たのだと断じた?」

「誰も聞いたことのない話でしたので、かばいようもなく」


 前回の救世は、やはり魔女カフィネを討ち取った時だとホルミスは言う。救世の巫女は聖剣を作り出し、選ばれし騎士に託した。そこに他の巫女が介入する余地などなく、何を突拍子のないことをと却下されたらしい。


「ともかく、リリカ様に正体を告げるなら早い方がいいです。あの方は聡く、真実へ一足飛びに迫るのです。気づかれるよりも先に告げるべきです」

「気づかれるって何に?」


 鍵を片手に、リリカがひょっこりと戻ってきた。ホルミスはさっと私から一歩下がる。肩にかかる黒髪をさっと背中に流しながら、リリカはホルミスと私を見比べた。


「心配してくれるのはありがたいけど、ロゼに秘密がたくさんあることなんて知ってる。外見だって隠しているし、生まれ育ちも、身分も、事情も、何もかも秘密なんだから。今更、気にしないって決めているのよ」


 お生憎様、とリリカは笑う。ホルミスが見下ろしてくるので、頷いてみせる。


「……あなたたちがどういう経緯で知り合い、親しくしているのかわかりません。いったいなにが?」

「だめだめ、女同士の秘密よ。ホルミスの知りうることで、立場上許さない事情があるっていうのなら、今だけ見逃して。ロゼはいい子だってことはわかっているし、巫女としての振る舞いは忘れません。だから、ね?」


 示した小指は、環状文言を結んだ約束を意味していた。なんだか嬉しくなって、同じように小指を示す。二人でふふふと笑っていると、ホルミスはなんともいえない表情をしていた。


「そんなことより、こんな廊下で立ち話もなんだし、ロゼだってここにずっといられるわけじゃないんでしょ? 早く中に入ろうよ」



 そう言って、リリカは書庫の鍵を差し込み、扉を押し開く。ホルミスは小さなため息をついて、先に中へ進むよう私を促した。






 書庫に入ってすぐ、閲覧机が三つほど並んだ奥に立ち並ぶ本棚の数を前にして、私は足を止めた。


「この書庫は、神殿で歴史研究を主にしている者が管理しています。許可は既に取ってありますので、時間までは好きなだけご覧ください」

「え、えぇ」

「どうしたの? ロゼ、何か気になることでもある?」


 ホルミスに手で指し示され、私は戸惑いながら頷く。リリカが不思議そうな顔で首を傾げた。気になること、というか。あれ、これって私に問題があるのかしら。ふと、思い至って問いかけへの答えを躊躇する。


「……あの、目的の本って、この中から一体どうやって探したらいいのかしら……」


 ホルミスとリリカの表情が固まる。予想外の問いかけだったようで、やっぱりこれって、私に問題があるのだわ、と両手で頰を抑えた。

 でも、だって今まで必要な本は部屋まで届けられていた。侍従や侍女、騎士や教師、様々な人の手を介して受け取ったことしかない。本棚の本をこんな風に探すなんて。ええと、一冊ずつ背表紙を見て判断したり、中を開いて確認すればいいのかしら。でもこれだけの本だもの、どれだけかかるか……。


「ロゼ、セファ先生の工房で魔術の勉強してたって言ってたよね、その時は……?」

「セファが読みやすい魔術書を用意してくれたわ。セファの工房にある本はどれもこれも難しいものばかりだったし。自由に見ていい時は、上の段から順番に眺めたわ」

「……貴族って……お嬢様って……。でも、そうよね、これが普通なんだよね……。リコリスとかジャンジャックが変なのよね……」


 頭を抱えそうな勢いのリリカの言葉を聞いて、気になるのは妹のことだ。あの子、魔術学院で一体どんな振る舞いをしているのかしら。お兄様方に知られて怒られるようなことにならないといいけれど。


「ええと、それでしたら、書庫の管理者が隣の部屋にいるので連れてきます。最初に何冊か見繕ってもらって、それを確認するということでいかがでしょうか? 持ち出しの許可を得ていませんので、この部屋で見てもらう必要がありますが」

「それなら、とっても助かるわ」


 ホッとして頷く。よかった、と心底思った。本を選ぶだけで時間切れになってしまいそうだったものね。


「この書庫の出入り口は一つきりで、迷うことも見失うこともないとは思いますが、閲覧机で少しお待ちください」


 てきぱきと指示を出し、ホルミスは身を翻して書庫を出ていった。私はリリカと顔を見合わせて、肩をすくめる彼女の気楽な様子に小さく笑う。


「知ってる? ホルミスって、青の魔法使いの血縁なんだって」


 おもむろに切り出された言葉に、私はまたたく。とっさにつぐんだ唇は、まるで息を飲んだかのような吐息を残した。リリカは戸惑う私の気配を察知しつつも、閲覧机に飛び乗るようにして腰掛ける。


「だから、いずれは次期神官長。場合によっては、神殿長まで登りつめることがほとんど決まってるの。私の世話係っていうのも、その一環」


 足をゆらしながら、リリカは膝のあたりに視線を落とす。なんだか、いつもと様子が違う気がした。これはきっと、ちゃんと聞かなくてはいけないことだ。


「私が救世の巫女として覚醒しないと、責められるのはホルミスなんだよね」


 その声は震えていた。私が何か口を開こうとする前に、書庫の扉が開かれる。ホルミスと、もう一人新たな人影がやってきた。


「リリカ様?」


 女性の声に、リリカが慌てふためいて閲覧机から飛び降りる。けれどその姿を見た女性は、腰に手を当て眉を吊り上げた。その腰が帯剣しているのを見て、私は珍しい、と少し驚く。全ての神官が鍛錬を積む中、帯剣を許される神官はごく一部で、つまり彼女は特級神官、一握りの精鋭だ。

 それがなぜ、書庫の管理者に? と疑問符でいっぱいの私だったけれど、リリカに詰め寄るその女性の剣幕を前に挨拶しそびれてしまった。


「こんなところで何をされているのです」

「え? ええと、ほら、魔術学院の友人が尋ねに来るから出迎えに、って話だったでしょ?」

「その後、昼のお勤めをされるご予定では? 祈りの間で担当者が待ちぼうけとなるような事はもう二度とないようにとお願いしませんでしたか?」

「そう、そうだね。書庫に案内したら役目に戻るつもりで」

「ウルスラ。書庫の鍵が開いていなかったので、事務棟まで取りに行くようお願いしたのは私です。その分、リリカ様の時間を使いました」


 ホルミスがリリカをかばうようにして立つ。視線を遮られたウルスラは、しばしホルミスをじっと見上げて、ため息をついた。


「書庫を使用する許可は出しましたが、本の案内は約束が違います。後日、埋め合わせを要求します。あと、一番近しいからとリリカ様とそのように親しくするのはいかがなものかと。自慢ですか。みな異世界からの来訪者であり救世の巫女であるリリカ様とお近づきになりたいのですよ」

「私にできることなら、なんなりと。こちら、ロゼ様の求める書物を選別してください。時間に限りもあるので、ある程度でかまいません。それと、私とリリカ様の距離感についてあなたからとやかく言われる筋合いはありませんよ、特級神官殿。好意は伝わってこそ意味のあるものでは?」


 二人の会話を、どこか不思議に思いながら聞いていた。ホルミスは上級神官。ウルスラは特級神官。ということは、ウルスラの方が偉いはずなのだ。これも、先ほどリリカの言っていた『魔法使いの血縁』というのが関係しているのだろうか。


「ええと、ええと。ごめんねロゼ、わたしもう行かなくちゃ。ウルスラとホルミスってすっごく仲が悪くて。わたしがホルミスを連れていくね。時間になったらまた迎えにくるから」


 それじゃ、と慌ただしく出て行ったリリカを見送って、私はウルスラ特級神官を振り返った。銀縁の眼鏡にひっつめた髪、猫科の動物を思わせるしなやかな佇まいに、彼女も鍛え上げられた神官だなと見てわかる。

 敬意を示すべく、軽く膝を折って挨拶をした。


「初めまして、白銀の魔術師セファの弟子、ロゼと申します」

「……なんのご冗談かわかりませんが、ホルミス上級神官からの依頼はこなします。そちらにかけてお待ちください」


 ウルスラは素っ気なく一礼して、身を翻した。ぽつんと取り残された私は、指示された通りに着席する。少ししか経っていないにも関わらず、ウルスラが一冊の本を手に戻ってきて、「手持ち無沙汰であるならこれを」と置いて行く。

 再び一人にされたものの、一冊だけをすぐに持ってきてもらえたのはありがたかった。


 読み始めて、中ほどまで読んだところでふと顔を上げると両脇に本が積み上がっていた。本棚の方を振り返って見てもウルスラの気配がない。書庫の扉から廊下をのぞいて、誰もいないことを確認すると少し悩んだ。こんなにも周囲に人がいない状況に慣れていないのだ。

 ここは神殿だし、私はセファの弟子だし、けれど気づいてしまえば落ち着かない。少し唸って考えた結果、書庫を一通り回って戸締りを確認する、という初歩的な手段を取ることにした。


 ……鍵の掛け方さえ、わかるかどうかだけれど。


 それでもやらないよりはマシだわ、と扉から壁に沿って書庫を回って行く。いくつかある窓が嵌め殺しの窓であることがわかって、やっぱり私の気にしすぎだったわね、とため息が出た。誰でも入り込めるような不用心な場所に、ホルミスやリリカが私を置いて行くわけがないのだ。

 そうして更に進む。書庫の扉からもっとも遠い本棚の奥の奥へと進み、気づけば隠れるようにして存在した扉を前に立っていた。ちょうど本棚が窓から差し込む光を遮り、暗がりとなっている。その闇の中で、扉横の吊るされた洋燈が光の粒をこぼしていた。

 そのまま扉が開くかどうかの確認を無遠慮に行うのは躊躇われて、恐る恐る扉を叩いた。


「あら、どなた?」


 心底驚いた声とともに扉は開かれ、私は中へと招かれた。


用心したつもりが、結局こういう不用心に繋がってしまっている気がします。


次回『三章50.魔法使いの工房(仮)』(→になりませんでした。またですすみません予告とは!! /21.2.12深夜)


これにて更新納めとなります。みなさま今年は本当にお世話になりました。

夏からちょっと体調を崩して更新ペースが乱れてしまい、不甲斐ないと落ち込む中でも拍手の一つ、アクセス数の一件に、見てくださる方を思って頑張ることができました。

世の中大変な状況ですが、画面越しの世界として少しでもひとときを忘れ、『夢中になれる時間』を作り上げることができたらと思ってます。

新年もまた様子を見ながらの執筆となりますが、お付き合いください。


来年もよろしくお願いいたします。

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