48.中央神殿
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年内にもう少し更新したい気持ちがありますので頑張ります。お付き合いください。
転移陣の間を一歩出ると、途端に高くなった天井と外から入ってきた冷たい空気にはっと息を吸った。自然と壮麗な内部の建築様式を見上げ、変わりない美しさにため息をつく。建材は白く、青い布で飾られ、要所要所に施された緻密な彫刻は、技術の粋を集めたものだった。
なんて綺麗。
そうつぶやこうとした私のもとに、大きな影が、力強い声とともに降りかかった。
「本当にご無事だったのですね。あぁ、精霊王に感謝を」
慌ててぐるりと周囲を見回す。確かに声がした方へ振り返ったはずなのに、後ろから、ぐいと抱き上げられた。脇の下に手を差し込まれ、そのままぐるぐると回される。その場に居合わせた人々が何ごとかと振り返り、「ああなんだ神官か」と興味を失う声に愕然とする。
喜びと感謝の祝詞とともに回転速度は上がり、私は目を回した。
「何しているのホルミス!?!? ロゼ大丈夫?! ちょっとホルミス! やめなさい!!」
聞き覚えのある少女の声で、ようやく回転が止まる。足は地につかないままだったので、手近なものにすがっていたら、それが人の頭であることに気づいてぎょっとする。次いで自分の頭巾のことを思い出して、脱げていないことにホッとした。
気にすべきことがくるくると移り変わって忙しいけれど、ひとまず自分の状況を確認すべく、私を抱き上げたままの人物を見下ろした。
短く切りそろえた金髪に、くすんだ青の瞳。階位の高い神官服をまとった人物は、以前神殿でお世話になった際によく気にかけてくれたうちの一人だった。
「……ええと、中央上級神官、ホルミス。よね?」
くしゃりと、彼は笑う。
「ご活躍のお噂はここまで届いておりました。……ロゼ様と呼べばよろしいか?」
私は今日、リリカが暮らす中央神殿へとやって来ていた。
ホルミスと共に現れ、彼の奇行を制してくれたのが異世界からの来訪者として中央神殿に暮らす、リリカだった。
「でも驚いた。ホルミスとロゼって、知り合いだったのね。ホルミスはね、私のお目付役……ええと、世話係……しつけ係……ええと、救世の巫女(仮)の補佐官(予定)! なの」
リリカに見上げられながら告げられた言葉に、すぐそばにあるホルミスの顔を覗き込む。えぇ、まぁ、とホルミスは遠い目をする。なにやら色々な苦労がうかがえた。
二人はそろいの神官服を着ていた。白と青を基調としていて、金糸の模様がその地位の高さをうかがわせる。足首まで隠す巫女服での立ち振る舞いがすっかり板についているリリカは、異郷からやってきたことなど感じさせない雰囲気があった。
こうしてみると、魔術学院での彼女と神殿での彼女は、どこかずいぶん違った姿に見える。そんなふうに他人を見てようやく、私もそうなのかしら、と思った。
「ところで私、いつ下ろしてもらえるのかしら」
ホルミスの大きな腕に座らされ、持ち上げられたままだった。彼の肩に時々手をつきながら私はかろうじて姿勢を保っている。リリカも時折微妙な顔でこちらを見ていて、いたたまれなくなってきた。
思わぬことを聞かれた、というようにホルミスが瞬く。
「ですが、ロゼ様。あなたは足が遅いでしょう」
「おそ……。いえ、でも困るの」
「ご希望の書庫まで距離があります。あなたの足では日が暮れる」
「……あのね、ホルミス。私あの、軽率なことは控えないといけなくて」
「それに、ご自分で扉も開けられません。腕力がないので」
もう! と拳をホルミスの頂点に押し付ける。あまり痛がる様子はなかったものの、ホルミスが目を丸くした。
「私が三年前のままだと思っているでしょう!?」
「ですが、あの頃と変わらず軽いです。本当に三年歳を重ねましたか? 鍛錬を怠っていたでしょう」
「神官の当たり前とは違うのよ! もう! 私をなんだと思っているの!」
ぷー、と噴き出す声に口を閉ざす。一瞬リリカがいることをほとんど忘れていた。気まずい気持ちで俯くと、リリカが笑いながらホルミスを叩く。
「なんかよくわかっちゃった。ホルミス、ロゼの時もあれこれトンチンカンな気遣い発揮したんでしょ?」
「とん……?」
「三年前ってことは、私が召喚されるちょっと前ってことでしょ? あの頃のホルミス、今よりもっとあんぽんたんだったからなぁ」
心外な、とホルミスが眉を寄せる。
「ロゼ様が神殿にいたのは事情があってのことでしたが、あの頃の彼女を見ればリリカ様も放置できなかったでしょう」
「というと?」
「神殿にやって来たその日から、ロゼ様は、与えられた部屋を出ようとせず毎日転移陣まで届けられる課題とやらに取り組んでいました」
「うん?」
リリカが笑みを保ったまま、疑問符を浮かべるのがわかる。ええとホルミス。それって言う必要あるかしら、と私は神官服を引っ張るか声を上げて遮るか悩んで、結局どちらも実行できないままだった。
「食事を運んでいたのは私をはじめとする神官が男女問わず交代で、でしたが。まだ十五のお嬢さんがですよ? 食事を受け取る時の受け答え以外言葉を発することもせず、ただ黙々と部屋に引きこもって勉強している姿を見て我々がどう思うか、リリカ様ならわかるでしょう?」
「……なにそれ。ええと、事情は知らないけど、そうだね。いろいろとツッコミどころがあるよね」
「なので、ひと月も経たないうちに外に連れ出すようになりました」
ホルミスのしみじみした言葉に、私自身も当時を振り返る。あれはそういう善意なのだとわかってはいたけれど、なんというか、彼らの日常と私の日常がかけ離れている、ということがよくわかる日々だった。
「まずは走り込み、次に素振り、組手、と色々と用意をしていたのですが、春頃になってもロゼ様は組手にたどり着く前に体力が底をついてしまって。……心残りでした」
「えっ筋トレ!? ロゼに筋トレさせてたの!? 貴族のお嬢様に!? だからそういうところがあんぽんたんなんだってば!」
「貴族だろうと平民であろうと、肉体を強化せずして人の上に立てますか? 癒しの力の才があれば、身分関係なく神官になり、鍛錬に臨むのです。生まれは関係ありません」
人って走り過ぎると吐きそうになるほど具合が悪くなるのねって、神殿で学ぶとは思わなかったわ。思わず遠い目になる私を、リリカが怖々とふり仰いで気の毒そうな顔になる。聞けば、リリカは私以上に体力があり、神官たちが誘ってくる鍛錬にたいていは付き合えるのだそうだ。
私が特別体力がなく、運動できないだけなのだとちょっと落ち込んでしまうわ。
「ロゼ様がお望みならば、今日にもおつきあい致しますが」
「……気持ちはありがたいけれど、私、今日は神殿の歴史について調べたいので」
やんわりと断りを入れる。今日と言わずこの先ずっと遠慮したい。そりゃ、自分の身を自分で守れるほどの振る舞いができたら、とは思うけれど。思うだけだ。不得手なことは人に任せるしかないのだと、わかっているのだから。
ともかく、今日は神殿の書庫に案内してもらう予定だった。成り立ちなどは置いておくとして、魔女カフィネについて神殿がどんな風に記しているのかを調べること、それ以前と以後の記録を見比べることを目的にしている。
「半日で片付けばいいけれど」
「明日も明後日も、好きなだけ来てください。私の予定は開けておきますから」
にこにことホルミスが言う。ありがたいけれど、と苦笑してしまった。
書庫までたどり着くと、ようやく降ろされる。結局ここまでずっと運ばれてしまった。
……これは、多分、違うからいいのよ。多分。セファが心配するようなことじゃなかった、と、思うわ。きっと。
誰とはなしに心の中で弁解しながらひとまず祈る。『ばれませんように』なのか、『怒られませんように』なのかは自分でもよくわからなかったけれど。
私が背後でそんなことをしてるとも気づかないリリカとホルミスは二人で書庫の扉を開けようとして、おや? という声が上がる。
「鍵が開いていません。おかしいですね。リリカ様、申し訳ありませんが」
「私? 別にいいけど、書庫の鍵を取ってくればいいのよね。神官事務棟にある?」
「えぇ、お願いします」
まかせて、とリリカが軽い足取りで去っていく。私はその後ろ姿を見送って、ため息をついた。両手を胸の前で組んで、刺さるような視線を向けてくるホルミスからの問いかけに備える。
「それで、少しは事情を教えてくれますか? ローズ様」
「その……、昨夜送った鳥で伝えた通りよ、ホルミス。ローズ・フォルアリスは行方不明ということにしているので、私のことは白銀の魔術師セファの弟子のロゼとして扱うように、と」
「それで、なぜあながたリリカ様と仲良くなっているんですか」
いろいろあったのよ、と私は曖昧に笑う。それよりも、ホルミスも知っている側なのだとわかった。私のその表情に、ホルミスが弁解するように視線をそらす。
「知っているのは私と神殿長だけです。神官の多くはなにも知りませんし、以前は私も知らなかった。そんな顔をしないでください、ローズ様」
「ロゼと呼んでくれないと困るわ」
「……わかりました。リリカ様は、救世の巫女として実際になにをするか、まだなにもご存知ありませんから」
こんな書庫の前で話すことではない気がしたけれど、リリカがいない今のうちだった。
「やっぱり、私がローズって、リリカには知られない方がいいかしら。今、明かすべきかどうか考え中で」
口早に問いかけると、ホルミスは「告げるべきです」と即座に頷く。続いて、少し訝しげな顔をした。
「三年前の数ヶ月を経て、あなたの志をある程度理解したつもりでした。けれど、聞かせてください。十六のあなたに、何が? 辺境でいったいなにがあったのです。出会った当時の思想であれば、あなたは世界を救うための道を最短で辿ったのでは?」
ホルミスは問う。私が私であったなら、辺境行きを命じられそのまま世界を救っていたはずだと。私もそう思う。何があったのかといえば、『異界渡の巫女に、体を乗っ取られた。』それが全てだった。
けれど、そんなこと明かせるはずもない。
「……辺境行きを命じられてからの記憶が、曖昧なの。今は、その……。ただの、ひとりとして、好きなことをさせてもらっていて」
外套の頭巾をより深くかぶって、念入りに顔を隠す。声は明るくなるように意識した。そうすると、アンセルムの婚約者として課題に取り組む私の姿を目の当たりにしていたホルミスが、それ以上何もいえなくなるとわかっていた。
「……運命に、抗っておられる?」
ホルミスが跪く。下から顔を覗き込まれて、ぎょっとして一歩下がったのに、すばやい動作で手を取られた。いいえこれは私の動作が遅いだとかそういうわけではなく、神官一般の身のこなしが良すぎることが大きな要因だと考えられる。
「三年前のあなたに、高い志と、固い決意、負うべき義務に対する真摯さを見ました。私欲を捨て、ただ王と、民と、世界のためを思い、貴族令嬢として生まれ育てられた役割を全うしようとする姿のその未来を、多くの神官が案じました。……私自身も」
私の戸惑いとは裏腹に、ホルミスが真剣に言葉を投げかけてくる。
「そのあなたが今、その役目から逃れたいと願うのなら、私は」
「ホルミス」
それ以上言わせてはならなかった。アンセルムと同じだ。あるいは、フェルバート。クライドは、どうなのだろう。
「中央上級神官であるあなたが、何を言い出すの」
「ですが」
「世界は、ちゃんと救うわ。その時が来れば、リリカの前にきちんと立つ。今日は伝え聞くのとは違う、別の方法がないか探すつもりだけれど」
フォルア伯爵夫人である母と、王太子という立場にあった第一王子アンセルムが見つけられなかったものを、どうして私が見つけられると思えるだろう。
ついよぎった弱気に、握られた手へ力が込もる。
「でも、もしーーー」
言いかけて、口をつぐむ。手から力を抜いて、そっと抜き取った。
「あの頃は何も知らなかったけど、今の私、すごいのよ。お礼にお花を降らしたら、みんな喜んでくれるかしら? 薬草だって、見分けられるようになったし、簡単な魔術陣だって書けるのよ。お鍋が吹きこぼれないよう、杓子でかき混ぜたり見張ったりだってできるようになったんだから」
やっとホルミスが出てきました。神官敬語マッチョです。すべては筋肉が解決します。こっちの世界の神殿の神官はみんなむきむきです。女神官もです。よろしくお願いします。




