46.メアリの献身とエマの諫言
普通に予告詐欺になってしまいました。前話あとがきの記述がまるっと次話に持ち越されています。ご了承ください。
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セファの工房から逃げ出したその日は、翌朝まで寝台で丸くなって過ごした。
次の日には朝からメアリが訪ねてきて、決して広くはない寮の部屋でメアリが用意してくれた食事をとる。メアリはいつもの無表情で、二、三私の体調を気遣ったあとは、まるで自分の部屋のようにくつろいだ。好き勝手に本を読んで勉強をするメアリの横顔を、寝台の上でただ眺めた。
「……時間だし、フェルバートのところに行ってくるわ。約束だもの」
「ん。ジャンに鳥、送ってね。一人で行くのは、だめよ」
自室を出る際、メアリに見送られながら外套の頭巾を確認する。寮ではすれ違う学生達から視線を向けられ、数人からは道をあけられ挨拶を受けた。手を振ると喜ばれるのが不思議で、誰でもそうかしらとつい振り返してしまう。ローズ・フォルアリスにはなかった経験だった。
寮の共用食堂でジャンジャックと落ち合い、ともにお城を目指す。
メアリよりもずっと物言いたげな目をしているけれど、私はその態度に触れることなく、フェルバートの執務室を訪れた。
「……増えてない?」
「書類は毎日回されてきますから」
書類の山で埋まった床や机を見て絶句する。すぐに手伝いを始めた私を、フェルバートがしばし眺めていたけれど、やがて仕事に戻って行った。なぜだかその場にとどまったままのジャンジャックに、仕事を割り振る。いずれオウガスタ男爵の後を継ぐなら、こういった経験をしておいて悪いことではないはずだった。
「何かありました?」
「何もないわ」
黙々と作業する中で、出し抜けにフェルバートが問うてくる。止まりそうになった手をそのまま動かして、書類に視線を落としたまま否定した。
なかったことにするつもりはないけれど、他の人に軽々しく口にしないほどの分別はあった。いえ、というかあの、セファとのあれを、何を、どう説明しろというのか。何もないという以外にある? フェルバートに説明する必要だって、どこにもないわよね?
「……なあに?」
頬杖をついて眺めてくるフェルバートに耐えかねて手を止めた。執務机ごしに、長椅子に座る私をフェルバートが見下ろす形だ。
「外套、この部屋でくらい脱ぎませんか?」
「誰がくるかもわからないのに、脱げないわよ。ローズ・フォルアリスはどこにもいないことになっているのよ」
「そうですか」
言い出したわりに、フェルバートはあっさりと頷いた。なんなの、とムッとする傍らで、ジャンジャックが黙々と書類を仕分けている。
「それで、セファと何があったんです?」
ジャンジャックが書類をめくる手を止めた。私もフェルバートの方を見上げたまま、言葉を発せない。何も言わない私をじっと見つめて、フェルバートは「あぁ」とちょっと笑った。
「やっぱりいいです。続けましょうか」
「何がいいのよ!?」
思わず立ち上がった私を、ジャンジャックとフェルバートが驚いた顔で見上げる。はっと我に返って、こほんと咳払いをした。いけない。セファに言うみたいにしてつい反応してしまった。
何事もなかったかのように座り直して、書類を手に取る。視界の端で、ジャンジャックとフェルバートが顔を見合わせているのがわかった。あなたたち昨日が初対面でしょう? と、なぜだか裏切られたような気分でなじる。
「……以前よりも、しあわせですか?」
フェルバートの問いかけに、肩が震えた。紙をめくる手が止まらないように、全神経を集中させる。けれど結局手は止まり、目を閉じて、問いかけの意味と答えを考えた。以前のこと、今のこと、これからのこと。息を吸って、吐いて、見えないとわかっていても、笑ってみせる。
「大丈夫。いまだけよ」
二対の視線が向けられる。私はそれ以上何も言わないことにした。ジャンジャックの前で話すことじゃないし、フェルバートはわかっているだろう。彼は、私を聖剣の前にささげたい方の人だもの。
私、どうしたらいいかしらって、誰に聞けばいいの。
食堂に誘われたけれど断って、寮の自室へと戻った。昨日からエマは何も言わずに私の侍女として立ち回ってくれる。食事について聞かれても首を振るだけの私をそっとしてくれた。
昼間から寝台に入って眠る。昨日のことの全てが、まだ消化できていなかった。起きて誰かと話していると、言葉があふれてしまいそうで、ひどく疲れる。
「ロゼ」
まどろみの中で、優しく揺り起こされた。ぼんやりとした頭で枕に頭を埋めたまま、揺り起こしてくる手が誰なのかと視線がさまよう。
「ロゼ、お昼食べてないって、聞いたわよ。夜は食べて」
寝ている間に肌の手入れを施されたらしい頰の感触に、エマを振り返る。勉強用の机の上に食事とお茶がすでに用意されていて、メアリが私の手を引いていた。
……食欲があまりないのだと、言っても聞いてくれなさそうな雰囲気だわ。
体を起こした私に、メアリが大丈夫? と言いながら濡れた布巾を渡してくれる。
「めざましに、顔を拭いて。それと髪、ぐしゃぐしゃよ。もう、そのままにして寝るからよ」
そう言って、私の髪をまとめていた髪留めをさっさと外してしまう。緩やかに波打つ金髪が背に流れて、それをメアリが梳いてくれる。
「綺麗な、髪ね」
ささやくようなつぶやきに、そうよ、と心の中で答える。手入れされつくした私の身体の全部、望まれた目的のためにどれだけの人の手がかけられたと思っているの。
世界を救うその時のために、王家は採算度外視で私を確保して、教育して、手元に置き続けたのだと今はもう知っていて、そうしてほしいと頼んだわけじゃないわと、心の隅の方にいる私が叫んだ。
セファのそばにいたいと願う私。
世界を救わなければと思う私。
世界を救えなければ、きっと笑えなくなってしまう私。
セファのそばにいれたとして、いつか置いて逝き、置いていかれる私。
その場に人がいることも忘れて、整えられた指先を見つめながら呟いた。
「……私、どうしたらいいのかしら」
「食べて」
要領を得ない言葉を吐き出した私の口に、果物が押し付けられる。反射的に口に含んで、咀嚼し、嚥下する。甘くて美味しい。
マグアルフだった。
「ちゃんと、しっかり。食べてくれないと嫌よ」
メアリがそう言いながら、続けて一口で食べれる大きさの蒸し芋を口に押し込んだ。
「……メアリ」
飲み込んでからメアリの名前を呼ぶけれど、返事はなかった。私がちゃんと食事をとるか、若葉の瞳はただ黙って見つめている。
「どうしたらいいのかしら、じゃないのよ、ロゼ」
言いながら、メアリが私の髪を結ってくれる。肩に流すようにして編んで、完成したら食事を取るように寝台から机へと連れ出された。
柔らかくなるまで煮込まれた葉物野菜や根菜、鶏肉。食欲をそそる香りに、なんだか安心する。付け合わせの蒸した芋には、とろりと溶けた乾酪がのっていた。
椅子に座って、一口食べる。
「……あったかい」
体が冷え切っていることに気がついた。室内は暖かいし、ずっと寝台にいたはずなのに、変ね。
隣に立ったメアリがじっと見つめてくるので、笑った。また一口、匙を運ぶ。
「とても美味しいわ。メアリが用意してくれたの?」
「ん」
「ありがとう。明日か……ええと、明後日には、ちゃんと、セファの研究室へ行くわ。元気になってからくるといいって、鳥も飛ばしてもらっているし」
「わかった。セファ先生には、言っておく」
「お願いね」
メアリに告げて、食事を再開する。食べながら喋る、なんてことが得意ではないので、沈黙が続いた。エマは控えているだけだし、メアリもお喋りな方ではない。
もともと盛り付けられていた量も多くなく、なんとか完食できたことにほっとした。振り返ると、エマが何も言わず食器を下げてくれる。
エマが食器持って部屋を出て行き、メアリと二人きりになると、何も言わずにメアリがお茶を入れてくれた。一息つきながら、友人にこんなことさせていいのかしらとふと疑問に思う。セファも何も言わずにお茶を入れてくれるし、本当に私、人にしてもらうばかりで。
「ロゼは、どうしたいの?」
出し抜けに問われて、あぁ、さっきの言葉の続きなのだと気がつく。どうしたらいいのか、ではなくて。
「……私が、どうしたいか」
自分のことは、自分で決めればいいのだと改めて理解する。着地点を定めて、そこに至るための方針を打ち出し、目指せばいいだけのことなのだ。メアリの言葉がお腹の底にストンと落ちて、なんだか丸まっていた背筋が伸びる。
「ありがとう、メアリ。私、どうかしていたわ」
最初から、私のやるべきことはたった一つだった。惑っている場合ではない。やるべきこと、できることに取り組まなければならない身だというのに。
王と、民と、世界のため。そのための私だったのに。
すっきりとした気持ちで、メアリに笑いかける。だというのに、メアリは表情を曇らせた。両手が伸びてきて、手のひらで頰をむにっと挟まれる。
「なんだか、面白くないこと、考えているわね」
「……キラキラ綺麗で眩しい、の派生かしら?」
「だいたい、そう」
むうっと眉を寄せるメアリは、それでも可愛い。まっすぐな白金の髪も、柔らかな若葉の瞳も、人形めいた無表情も、ひどく羨ましく思ってしまう。
「……ロゼ、セファ先生のこと、好きでしょう?」
かちゃりとドアが開け閉めされる音とともに、エマが帰ってきた。彼女の前で明言したことはなかったわね、と頭の隅で思いながら、私はメアリに向かって微笑を深めた。
「ええ。私、セファが好き」
泣きそうになる。あんまり口にすべき言葉ではないわねと思った。たった今、すべきことを改めて胸に留めたというのに、また揺らぎそうで。
「……魔法使いですよ」
侍女という身分で口を挟んできたエマを、咎めるつもりはなかった。はっとしたように口を覆っている彼女を見て、頷いてみせる。エマはそう言うだろうなと思っていたのだ。
「いいわ、続けて」
そうやって促せば少しの逡巡の後、それでも口を開いた。
「セファ様の工房に通われるようになって、表情豊かになった姫様を見るのはとても好きでした。でも」
伺うようにこちらを見ながら、一度言葉を切る。
「魔法使いは、おすすめ、できません」
ありがとう、と思う。私の未来を考えてくれる人の考えだ。魔法使いに恋をしても、人間が幸せになれないと言う当たり前の意見。
「考え方が根本的に異なる、手を伸ばしても届かない相手を望むのは、とても、つらいですよ」
叶わない恋を、エマもしたことがあるのだろうか。
エマは没落した男爵家の出身で、学院の初等教育を終えるかどうかの時に路頭に迷いかけたところを母が雇いいれたと聞いた。フォルア伯爵夫人である母の元でも、今の雇用主であるハミルトン侯爵夫人の元でも、いい話はいくらでも用意してもらえただろうに、結婚の話を聞かないのはまだその想いを諦めきれないということかもしれない。
私の視線に含んだ疑問に気づいたのか、エマは首を振りながら笑った。
「同じものを見て、同じ目的を持つと決めたので、私はもういいんです。全部が終わった後、お互い独り身で想いが覚めていなければ、もう一度せまってみますよ」
そう、と曖昧に微笑む。本人が割り切っていて、それ以上話そうとしないと言うのなら、私が口にできることはなかった。いつか、もっと詳しい話を聞けたらなと思う。
「何もかも割り切って、心に決めてから、一度くらい思いのまま迫って見てもいいのかもね」
最後に一度だけ。そう決めたなら、なんでもできる気がした。エマが「えっ、なんでそうなるんです」と目をむいて、メアリがキラキラした瞳で私に迫った。
「押し倒す?」
「それはさすがに」
メアリの押しの強さに、つい、笑ってしまった。
次こそ「メアリの追求」です。
ちょっと年末ですし家のことでバタバタしております。次回更新は火曜日(目標)です。よろしくお願いします。




