45.黒の魔法使いとラジスラヴァ
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レス不要での拍手コメントもありがとうございます。工房の間取り図(拍手)への反応や、ローズとセファのやりとり、師匠の現れたタイミングとセファの気の毒さについてなどなど、嬉しかったです!
なんでよりによってこの瞬間に、と思いながら、僕は談話室の方から顔を出した二人の侵入者を睨んだ。
「……なんの用」
様々な躊躇を踏み砕いて、割り切って、腹を括った直後にこの仕打ちはない。目の前でかわいそうなローズは石のように硬直していて、その姿を隠すべく抱き寄せた。
二人は顔を見合わせて、肩をすくめる。黒髪の優男と、美女の組み合わせはそれなりに絵になるけれど、中身は手に負えない花畑脳だと知っていたので油断ならなかった。
「セオルセファ? ひとまず、そんな風に床に押し倒してことに及ぼうとするのはいかがデショウ」
「見た所、育ちの良さそうなお嬢さんじゃないか、かわいそうだよ。ほら、立たせてあげなさい」
「あんた達の発想が息を飲むほど残念なんだけど。とくにスラヴィ」
呆れた声で言ってから、調理台に追い詰めて床に座り込んでいるこの状況をそう言われてはバツが悪かった。ローズが立てるように手を取って促すのに、動こうとしないので不思議に思う。僕の視線に気づいたのか、小さなか細い声が耳の届いた。
「……立てないわ」
「ローズ様?」
「こ、腰も抜けているし、そ、それに、あんな、あんなところ、ひ、ひとに……っ」
涙声にぎょっとする。そういえば、髪を下ろした姿を見せただけであの取り乱しようだった。ローズにとっては、先ほどの様子も人に見られるべきではない姿だったのかもしれない。……僕だって好き好んで他人に見せつける趣味なんてないけど。
「ロゼ、落ち着いて。大丈夫。なんの知らせもなく結界装置をすり抜けて侵入してきたのは、僕の師匠。黒の魔法使いと、その恋人のラジスラヴァだ」
一息に伝えるけれど、それでもローズは取り乱したままだった。
「な、なんて、こと。私、セファは、婚約者でもないのにっ」
悲鳴のような声をあげて、腕の中のローズが掻き消えた。
「……は?」
空になった腕を呆然と見つめて、即座に黒の魔法使いを振り返る。
「何もしてないよ」
戸惑った様子の黒の魔法使いは、両手を振りながら弁明した。その横で、ラジスラヴァが談話室の方を振り返っている。
「あらまぁ。暴走してマスヨ」
視線の先へ、転がるようにして進み出る。二人の間をすり抜けて、談話室の壁際、本棚の前に倒れ伏すローズの姿を見つけた。棚に体を打ち付けたのか、何冊かが彼女の体の上に落ちている。
落下してきた本による痛みにもかまわず、消えた本人が愕然とした表情で震えていた。体を起こし、顔を上げて僕と目が合うと、ふるふると首を振る。その唇が、か細く疑問を投げかけた。
「なに、今の」
転移魔術。
思い至った瞬間に、そんな馬鹿なと否定したくなる。ローズの魔力量でできる芸当ではない。
「あらあら。お嬢さん、命拾いしましたネ。足はついてマス? 腕ハ? 五体満足デスカ?」
ラジスラヴァがコロコロと笑う。黒の魔法使いにしなだれかかるようにして、楽しそうに。いかにも他人事だというように。
「なるほどナルホド。魔力量が少ないタメニ、そのていどで済んだデスカ。多ければ、今頃どこに跳んでしまっていたデショウ?」
「スラヴィ」
ただでさえ赤くなったり青くなったりしていたローズの顔から、さーっと血の気が引く。
いたぶるような言い方に、咎めるように名前を呼んだけれど、意に介す様子はなくさらに口を開いた。
「魔力切れのうちに、気を落ち着けた方が賢明デスヨ」
「君、部屋に戻って魔力を必要量分だけ回復したら、すぐに寝てしまいなさい」
「セオルセファは近寄らないことデスネ。あなたが追い詰めた結果なのですカラ」
寮まで送ろうと駆け寄ろうとしたその瞬間に、背後からラジスラヴァに釘を刺される、ローズは震える手で羽織っていた学院外套を頭からかぶり、本棚に手をついて立ち上がった。
「ロゼ」
「あの、私、か、帰る」
逃げるようにしてローズは工房を出て行った。おぼつかない足取りが心配だったけれど、背後の二人の視線が許してくれそうにない。
ため息をついて、鳥を飛ばす。宛先は学院寮にいるはずのエマだ。これからローズが戻ること、何も言わずにそっとしておいて欲しいこと、お叱りは後でいくらでも受けるので、ひとまず後日に回して欲しいこと。戻ってこないようなら早めに連絡をするように。それらを早口に吹き込んで、送り出す。
「スラヴィ、さっきの事象、あなたなら説明できるのか」
「もちろんデスヨ。かわいいかわいいワタシの小さなセオルセファ」
変な呼び方で好き勝手に呼んで、ラジスラヴァはにっこりする。でもその前に、と黒の魔法使いを振り返った。
「お説教デスヨ、セオルセファ」
ため息と共に、黒の魔法使いが乱雑に椅子を動かし、乱暴に座る。腕を持ち上げたかと思えば、一本だけ伸ばした指を床方向に振り下ろした。
「お前はそこだ、セファ」
納得いかない。指示された床に座らず、立ったままでいると、師匠は頭が痛いというように額を抑えた。
「それで?」
唸るようにつぶやく。ラジスラヴァが「先に飲み物が欲しいデスヨ」というので、お茶を入れることにした。向かい合って説教という空気ではなく、師匠がぐったりしているのがわかる。
わかるが、僕も師匠も、なによりラジスラヴァに逆らう方が後々面倒になると分かっていたので何も言わない。
「なんでお前、あの子の手なんか握ってるんだ」
再びお湯を沸かす僕の背中に、今度は師匠が問いかけてくる。振り返らないまま聴いていると、師匠もそのまま続けた。
「なんのつもりであの子の手を掴んでる?」
「それを師匠が言うの」
「スラヴィは特別だ」
ちらりと背後を振り返る。隣に立っていた師匠の恋人は、愛する人と目が合うなりにっこりとして紫紺の外套を床に落とした。むき出しの肌があらわになって、師匠の膝にあられもなく乗り上げる。
その脚を撫でながら、師匠が言う。
「ローズ・フォルアリスはやめておきなさい」
やっぱり気づかれていたかと嘆息する。色ボケているとはいえ、魔法使いの目を誤魔化せるなんて思っていなかったけれど。何か反論するまもなく、ラジスラヴァさえも口を挟んでくる。
「そうデスヨ、セオルセファ。人恋しいなら私が紹介してあげマス。銀の髪を忌避する結界王国の人間なんてやめておきなサイ」
カチン、とラジスラヴァが腕輪を外す。認識阻害の術が解け、その容貌が誰の目にもあらわになった。
銀の髪に黄金の瞳。人あらざる色彩に、豊満な体つき。くびれた腰も、腕も、足も、何もかもを露出して、服と言えるのかもわからない薄布に身を包む絶世の美女がそこにいた。
師匠の膝に向かい合うようにして座って、首に手を回しながら僕を振り返る。
妖艶な仕草も、眼差しも、昔から見慣れたものだった。自分や周囲とは性質が違いすぎて、もはや別次元の生き物だと感じる。
「魔法使いになれば子孫繁栄の本能など遠い場所に追いやられてしまうのですカラ。共に割り切った時間を過ごせる相手のほうがいいデショウ?」
快楽のみを追うのは、楽しいデスヨ。とラジスラヴァがコロコロと笑う。僕は返事をしなかった。ただ、ラジスラヴァの銀髪に口づけを落とす師匠の姿は、本当に彼女を愛しているように見える。
雑にいれたお茶を、苛立ちと共に二人に出す。調理台にすがって、二人で一つのような師匠とラジスラヴァに向かい合った。
僕の表情を見て、師匠がため息をつく。
「なぜよりによってローズ・フォルアリスだ。彼女には未来がない。お前、魔法使いになるんだろう」
忠告じみた言葉に、何が、と視線で問う。
「魔法使いになるなら、人としての弱みは少ない方がいい」
「今更」
笑ってしまった。ローズに未来がない? 傷モノとなった貴族令嬢としてと言うことだろうか。
そんな話なら、僕の方こそ断崖絶壁を背にしている。
「もう、赤の魔法使いに呼び出された時点で終わってるのに?」
師匠の翡翠の目が僕を見る。わかっているなら、と呆れた目だ。僕がいれたお茶を一口飲んで、顔を顰めた。
「……お前、一応まずい状況になってる自覚はあるのか」
「思い当たる節が多すぎるからね。赤からの招待ってさっき師匠から聞いたけど」
赤の魔法使いが、白銀の魔術師と面談したいと呼び出した。表向きはそれだけだ。表向きは。白銀の魔術師として名が売れすぎているために、建前が必要だった。
「青と緑も来るんだろう」
「ご明察。逃げるかい?」
もちろん、黒である師匠も同行する。
現存する緑、青、赤、黒、四人の魔法使いが一堂に会し、白銀の魔術師の面談を行う。
和やかなお茶会などでは、けしてない。
「四人の魔法使い相手に、魔術師ごときが逃げ切れるとでも」
唸るように言葉を絞り出す。それでも行くのは、その先に行くことで、誰にも文句を言わせない立場が手に入るからだ。
だれも幸せにしようとしない、自分でも幸せになろうとしない、たった一人の隣を手に入れるために。ついさっき割り切って、腹を括って、決めたばかりだった。
彼女の碧眼に、僕を受け入れてくれる色を見て、その覚悟が決まった。
知っていることと、知らなかったことと、用意できる手札全てを持って、全ての魔法使いとの交渉に臨む。
赤と黒はともかく、より古い時代の緑と青の魔法使いに、どんな言葉が通じるのか予想もできなかったが、それでもだ。
「四人の魔法使いによる、緊急査問会。そこでの話し合い次第で、お前の処分が決まる」
「逃げたいなら、逃がしてあげマスヨ、セオルセファ」
くすくすとラジスラヴァが笑う。
「君が言うとしゃれにならないな。スラヴィ? セファを連れて行ってはだめだよ。自分で戻ってこれないんだから」
「むこうで鍛錬を積めばできマスヨ。私のセオルセファは優秀デスモノ。ちょっと時間がかかるだけデス。そう、ほんの五十年ばかし」
「魔法使いじゃないセファは、寿命で死んじゃうねぇ」
「あら、残念デスネ?」
残念がっておきながら楽しそうに笑う美女を、どう言う目で見て良いかわからなかった。恐るべきなのか、忌避すべきなのか、困った女性だと諦めれば良いのか。
人目も憚らずもつれ合う師匠とその恋人は、けして僕の味方にはならない。放任主義といえばある種の方針として聞こえはいいけれど、結局師匠にとっての僕は観察対象でしかない。
師匠の専門は、魔獣や魔物についてだ。
僕も、恋人のラジスラヴァも、魔物や魔族の色とする銀髪の持ち主だった。つまりそう言うことなのだ。師匠は、魔獣や魔物を調べるのと同じようにして、僕やラジスラヴァをそばにおいている。
だからきっと、これからの難局も、僕がどう切り抜けるかただ傍観しているつもりなのだ。
「セオルセファ、元気ないですね。口付けしまショウカ? 元気が出マスヨ?」
「いらない。そういうのは師匠にだけしたら」
「あなたも可愛い大事大事デスヨ。小さな可愛い、ワタシのセオルセファ」
口ぶりは優しげで、優しい眼差しで、けれどそんな風に言われると、僕はいつも受け取り方に困るのだった。
「……そういうのいいから、さっきの、ロゼの件について詳しく教えて」
「大したことではないですよ。精霊達が祝福しすぎて、彼女の願いを叶えただけですカラネ」
「……精霊」
「そう、精霊デスヨ」
疑わしい目でラジスラヴァを見る。結局、この人の言うことを聞く方が時間の無駄だろうか。
「愛されて愛されて愛されて、それでも魔力という正当な対価がなにも関わらず、曖昧な方向性だけで心象具現が成立してしまいマシタ。恐ろしい才能デスネ」
「……まぁ、ローズ・フォルアリスだし、彼女ほら、もうすぐ十八になるだろう」
「なるほどナルホド。条件が揃っていたということデスカ。今後が楽しみデスネ」
師匠が付け足した言葉に、ラジスラヴァが納得する。僕だけが意味がわからない。ただ、師匠の言ったことを考えて、違和感にふと首を傾げた。
「……ロゼは確かに晩秋生まれだけど。師匠、よく知ってたね?」
魔物以外に興味なんてないはずなのに。珍しいこともあるものだった。
「……そういうこともあるさ」
師匠が笑う。
雨風が窓に打ち付けて、時折硝子が揺れる。窓の外は嵐になっていた。
やがて僕は、赤の魔法使いの招待に応じて旅立つこととなる。ローズになんと言おうか。必ず戻ってくるから心配いらない、と言って伝わればいいけれど。
ところで、取り乱して工房を出ていったローズだけれど。
その後、三日ほど僕の前に姿を見せなかった。
「……え、セファ先生、本当に何したんすか? フェルバート様の所には、午前中だけっすけど連日通われてますよ。いや俺もいますし、時折文官のクライド様も居座ってらっしゃいますけど。でもそのあとは研究室にも食堂にもいかず、寮に戻ったり図書館に入り浸ったり、明日は神殿に行くとか言ってましたけど」
「僕たちも話だけなら聞きますよ。男子だけでお昼、外でいかがです? ロゼ様の方からは何も聞き出せてないんですよね、ジャン?」
「女子も何があったのか聞き出そうとしてるらしいけどな、笑顔で固まったまま完全黙秘って聞いた」
二人の学生の視線が、僕へと向けられる。僕は無表情のまま、答えに窮していた。
「……研究室には元気になってからくるといい。って、ちゃんと伝えてあるから、大丈夫だよ」
苦しい言い訳だと自覚しつつ、研究室での調合を続けた。その手元を、ジャンジャックとミシェルが見ている。僕は黙々と必要な作業を進めていた。
沈黙に耐えかねたジャンジャックが、ぼやくようにして問いを重ねた。
「……いやほんと、何したんすか」
僕はローズに倣って、完全黙秘を貫いた。
滅多に笑わないメアリが、にっこりとする。意図して作った表情だ。優しい目をして、私の顎を小さな指先でそっとすくった。
「ね、ロゼ。全部教えて?」
次回「メアリの追求(仮)」(12/20〈日〉『夜』更新予定)
→12/20 22:50頃 更新しましたが、まるっと予告詐欺をやらかしてしまいました。伏してお詫び申し上げます。すみませんすみません。




