44.軽率な弟子と魔術師の忠告
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薄茶の瞳が、じっと見上げてくる。気圧されそうになりながら、背筋を伸ばした。
「……どうして、抱きしめたいの」
考えてもわからないことは聞くしかない。率直に問えば、セファは表情を変えないまま沈黙した。座ったままのセファを、私はただ見つめて、ゆっくり首を傾げる。
「私ね、あの、高台に聖堂があるあの街で友人になってくれたあなたに、とても感謝しているのよ。あそこから、私の世界が広がったから」
今から私は、はしたないことを言う。貴族令嬢にあるまじきことを。セファの友人であることだとか、弟子であることだとか、ロゼとして振る舞うだとか、いろんな理由を駆使して。
「だから、あなたの力になれるなら、なんでもするわよ。……つまりね、その」
浅ましい。虚構で本心を塗り込め、硬く握りしめた両手を解く。震えそうになるのを必死で誤魔化して、セファに向かって両手を広げた。
「私が、セファを、抱きしめてあげてもいいわ」
セファが好き。
世界は、救わなくてはならない。求められた役目をこなさなければとも思う。
これから先を生きるセファのことを考えると、どちらを取ればいいかなんて考えるまでもなかった。
「……いや、ちょっと待っ」
セファの返事も待たないで、座っているセファの頭を胸に抱き込む。微動だにしないセファの背中に手を添えて、ぎゅっと一瞬だけ力を込めた。
驚いた声を上げたセファは、そのままぐぅと黙る。眼鏡が壊れてないかしらと少し心配になった。
「……私、今ふと思ったのだけど」
セファからの答えは一切ない。言葉も、反応としても、それでも構わず続けたのは、私もいっぱいいっぱいだったからだ。
「ねぇセファ、あなた、こんなふうに甘やかしてくれる人はいるの? 甘えられる相手、話していて安心できる相手はいる?」
おじいさんと暮らしていたと言っていた。母親の話は聞いたことがない。そうして黒の魔法使いに師事して、異界渡の巫女に見出されて、宮廷魔術師になって、魔術学院の特別講師に。
そして果てには、白銀の魔法使いになるセファ。
だけれども。
「経歴は本当にすごいと思うけれど、あなたまだ十七歳なのよ? ただ辺境で平和に暮らしていた平民が、たった一年と少しで身の回りにそんな変化が立て続けにあって、甘えるような相手もいないなんて、そのうち心が疲れてしまうわよ」
「……君はまた、そうやって僕を年下扱いする。君だって、まだ十七だろう」
くぐもった声での反論に、少し体を離した。顔を見たかったけれど、背けていてわからない。仕方がないので、そのまま反論した。
「たけど貴族よ。将来の役割についての厳しい教育を受け、自覚を持ちつつ成長した、貴族令嬢。多くは遅くとも十六歳で学院を卒業して、親元で見習いをしたり城で働いたり嫁いだりするわ」
「……君が僕をどう思ってるかはよくわかったけど、別に、君が気にすることじゃない。息抜きは好きにするし、疲弊したとしても大したことじゃない」
「大したことよ。ね、セファ? 甘える相手がいないなら、私にしなさい」
「……は?」
セファから素っ頓狂な声が響いた。聞こえなかったのかしら。
「だから、私にしなさいと言ったの。体でも、心でも、少し疲れた時に一人になったらダメよ。友人というのは、寂しい時そばにいるものでしょう? だから、私にならいくらでも甘えていいわよ、セファ」
返事はない。色々あって疲れているから、ついそばにいた私を抱きしめるだなんてことをしたのだろう。思い至ればなんてことはない。仕方ない人ねと、頭を撫でる。
こんなふうに頼ってもらえるなら、大歓迎だ。確かにすごく、心臓に悪いけれど。そういう人だとわかっていれば、次からは大丈夫。
「なんでもすると言ったでしょう? 何かして欲しいことがあったら言ってね。私でよければ、力になるから」
セファは沈黙したままだったので、私はセファのサラサラの銀髪をそっと撫でた。頃合いがわからないけど、沈黙がこのまま続くのもなんだしと、最後にぽん、と頭に手を置く。
「はい、もうおしまいよ。元気を出して。セファなら、きっと素敵な魔法使いになれるわ。少し休む必要があるだけよ」
そう言って離れれば、セファがずるずると食卓に突っ伏した。ぐでんと、溶けるみたいにして。
「卑怯だ……」
うめく様に呟かれて、どきりとする。まるで、私の中のやましい気持ちを見透かすみたいにしていうから。心の中をまるでそのまま覗き見られているわけではないと思うけれど。
「……ところで君、誰にでもこんなことしないよね」
突っ伏したまま、ぐんにゃりとこちらを向いてセファが言う。問いの意味を考えて、ムッとした。
「しないわよ」
こんなこと、他の誰にもしたことなんてないのに、なんでそんなふうに言われなくちゃならないのかしら。
どうかな、とセファが信用ならないと言う顔で起き上がる。頬杖をついて、私を見つめた。
「して欲しいと求められれば、君、応えてしまうんじゃないのか」
その指摘に、まさかと眉を寄せかけて、完全に否定できないことに目を逸らした。そう、確かに、立場上そんなふうに頼まれたことがないだけで、第二王子ディオル殿下の勢いにも負けていた私だものね。
必要だと言われて、断るかどうかという話だとするなら……。
ため息が聞こえた。セファが立ち上がって私を見下ろしてきたので、私は自然と下がっていく。最大限距離を取ろうとすれば背中に調理場が当たって、セファは大股一、二歩程度で詰め寄ってきた。
「セファ? あのちょっと近いような」
「僕のためならなんでもすると言ったね」
両脇に手をつかれる。逃げ場がなくなったことに、遅れて気づいた。
「言ったけれど、あの、勢いが怖いわ、セファ?」
「そう思うなら、今後、軽々しくそんなこと口にしないこと。人の正常な判断力を奪った上で、なんでも言うことを聞くから望みを言え。だなんて、軽率な発言、今後一切慎むこと。
あと、さっきみたいに人をいきなり抱きしめたりするのも。それから……」
「わ。わかった、わかったわよ! もう! 全部セファにだけ!」
セファの勢いが、一瞬完全に停止した。
「…………。なんだって」
「だ、だから、私があんなふうに抱きしめるのは、セファだけ。……あの、ちょっと、セファ?」
頭の上にセファの顔が乗る。頬でも押し付けられている感触に、ちょっと待って私今どう言う状況なの。セファはいったい何をしているの。
「君は……、本当に、僕が今どれだけ……」
「セファ?聞こえないわ。なあに?」
「それとも、君、僕を試してるの……? つけいってもいいのか?」
もごもごとなにか言っているけれど聞こえない。肩のあたりを叩くのに、ちっともこちらに反応してくれないセファは、徐々に重みを増していく。
「セファ、あの、重いし、近すぎるから、そろそろ離れてほしいのだけど」
「さっきは君が、こんなふうに近づいてきたのに?」
「は、話をするだけならこんなに近づく必要はないでしょう」
なんだか視界がぐるぐるしてきた。あたたかいのだもの。人って、こうやって身を寄せ合うと暖かいのだわ。離れられなくなってしまうでしょう。
「そう思うのなら、さっきみたいに軽率に近づいてはダメだとわかるだろうね? 本当の本当に、さっきの君がどれだけのことをしたのか自覚あるかい?」
「もう! わかってるわよ!! でもセファにならいいんでしょう!?」
耐えきれなくなってつい声を荒げる。ため息が聞こえた。唸り声みたいなのも聞こえてきた気がしたけれど、気のせいかしら。悪態をついたようにも聞こえたわ。
「……君、もうすこし言葉選びを覚えたほうがいい。いや僕自身にも問題行動の自覚はあるよ、あるけどこれどう考えても君だって悪いんだから……。あぁもうこれどうするんだ……」
もごもごとなにかそのままぐったりしているセファに、なんと声をかければいいか途方にくれる。いつになったら解放してもらえるのだろうか。
「なんでもするって言ったなら、もう一つ」
「な、なにかしら」
セファの重みが消えて、わずかに身をかがめ目線を合わせてくる。それどころかさらにセファの顔の位置が下がって、ともすれば片膝をつくような体勢で白の外套から何かを取り出した。
「これを君に」
「……何かしら。魔石?」
目の前に、月長石のような薄い円盤状の石が差し出された。金具と華奢な鎖がついていて、首から下げれるようになっている。
なんだか、いかにも高価で、綺麗に見える。けれどセファが持っているものだ、ただの装飾品ではないのだろう。よく見れば術式が彫り込まれていて、じっと見つめその正体を当てようとしたけれど結局わからなかった。
「肌身離さず持っていてくれるかい。僕も持っているものだけど、でも、無くさないように」
セファも持っている? その一言に瞬きつつも、有無を言わせぬ勢いだったのでそのまま頷いた。両手で受けようとしたのに、そのまま首にかけられる。だから近くて困るというのに、セファは全く気にしていない様子だった。
「セファも持ってるの?」
「そう。僕の大事なものだ。君にも持っていて欲しい」
瞬きながら、胸元の魔石を見る。外套の下にでも隠しておこうかしら。落としたら怖いもの。
「ローズ様」
目の前のセファから、名前を呼ばれた。近い位置で視線を合わせて、なあに、と見つめ返す。
「さっきの君の発言、全部ひっくるめて僕の好きに受け取るよ」
「……それって、どういう……」
「僕が何を言い出すか、本当の本当に見当もつかないかい」
「わ、わから、ないわよ」
セファの手が優しく伸びて、頰に触れる。
「僕にも、君にも、やるべきことがある。だから、それら全部が片付いたら僕の話を聞いて欲しい。君が世界を救って、自由に生きられるようになったなら」
「……世界を、救ったら? 世界を救った私に、白銀の魔法使いになったセファが?」
「僕が魔法使いになる前に。かな」
残酷な響きに打ちのめされる。柔らかなセファの表情に胸は高鳴るのに、約束できない未来図が耳にこだまする。
「私……世界を救う前に、セファが魔法使いになるところが、見たいわ」
「すぐになれるわけじゃない。それに君、まだどうやって世界を救うかはっきりしていないだろ。僕が魔法使いになる前に、本腰入れて調べ上げないといけないんじゃないの。異界渡の巫女はろくに方法論を残さなかったってきいたけど」
「そう、よね」
ばん、と風が窓硝子を打つ。水滴が一滴窓を叩いたかと思えば、降り出した雨が次第に雨足を強めていった。
「ローズ様」
名前を呼んでくれる。目を合わせたまま、立ち上がるセファの瞳を追った。
顔が降りてきて、頬に吐息がかかるほどの近さで囁く。
「君、このまま口付けを乞えばくれるのかい?」
「くち、づ……!?」
ぱっと振り向いた拍子にまさに接触しそうになって慌てて顔を背ける。
「押しのけて逃げてもいいよ。いい加減、僕が言っていることがそういうことだと思い知って欲しい気がしてきた」
美形のセファが、美しく笑う。耳に近い位置で飛び込んできた声に、ずるずるとその場座り込んだ。腰が、抜けてしまったように。
顔を覆ってうずくまる。雨の音がうるさい。今夜は嵐かしら。全く関係ないことを考えて、誘惑に耐える。
だって、私は、セファが好きで、今ここには二人きりで、秘密にして誰にも言わなければ、それは、二人で見た夢のようなものなのでは。
……だれにも、バレなければ。
だって、セファが魔法使いになる前に、私が世界を救ってセファの話を聞く日なんて……。足掻かなければと思うけど、でも。
顔を覆っていた手を外す。目の前に同じようにしてしゃがみ込み、私の様子を黙って見ているセファがいる。その瞳の、いつもと違う色に息を呑む。
……そういうことって、どういうことなの。
言ってくれなければわからない。でもそれは、口にされたが最後、幸福と同時に絶望を運んでくる気がする。一生言わないと決めた気持ちだ。名前をつけた後にそっとフタをして、さよならをしたのに。
……手に入らないのなら、今、ここで、夢をみてもいいのではないかしら。セファが望むなら。
……私を、のぞんでくれるなら。
おずおずと顔を上げた私を見つめて、セファが笑う。瞳に色を灯して。私の瞳にも灯された、同じ色を見て。
私の頬に大きな手が添えられ、美しい顔が降りてくる。銀の髪が一筋、私の顔にかかった。
小さな囁きが降ってきた。
「ずるくてごめん」
卑怯なのは、私の方なのに。どうして。と疑問を持ちながら、その瞬間を待った。
「おやまぁ。そんな弟子に育てた覚えはないけどね」
「あらあら。これっていわゆる、密会デスカ?」
唇が触れる直前、セファの動きが止まった。
私を、望んでくれるのなら
次回「黒の魔法使いとラジスラヴァ」(12/18<金>更新予定)