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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
三章.天機に触れた、宮廷魔術師
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41.魔法使いになったなら

評価、お気に入り登録、拍手、ありがとうございます。


 頰をつままれて楽しいだなんて、どうかしている。


 工房にはセファしかいなくて、気負うことも何一つなく、ただ、ふわふわと笑っていられた。だからだろう。なんだか落ち着かなくて、深呼吸を繰り返す。


 とっくに指の離れた頰を、なぞるようにしてさすった。それにしても、セファは私をなんだと思っているのかしら。こんな風に苛立ちまぎれに頰を摘まれたことなんて、初めてだわ。

 少なくとも、宮廷魔術師と貴族令嬢のやりとりではない。師匠と弟子の距離感だろうか。それとも、これって友人としての?

 むー、とセファを見上げる。工房に二人きり、師匠と弟子の前に、友人で、というのなら、この場は友人と思って振る舞えばいいのかしら。


「ところで、セファ」


 お互いにしかめ面をして、見つめ合う。


「ずっと気になっていたのだけれど、さっきの呼び出し。いったい誰からで、何の用事だったの? 呼び出された先で何をしてたの?」


 問いを重ねるうちに、セファがの表情が緩んでいき、きょとんと私を見つめている。なんだか、意外そうな、不思議なものを見るような表情で。


「……君が、そんな風に突っ込んで聞いてくるのは、珍しいよね?」

「私があれこれ聞くのは確かに、いつもならしないけど」


 瞬くセファからちょっと視線を逸らしながら、なんてことない風に続ける。


「毎日補充して身につけている、魔力補填の薬。手元になかったと言うことは、その時に使ったと言うことでしょう? セファが飲むような事態、私でもそうそうないってわかるわ。ただの呼び出しじゃなかった、ということくらい。だから、その、何があったのかしらって。友人を心配するのはいけない?」


 気づけば手元を見つめていた。意味もなく自分の指や爪を触ってしまう。何も言わないセファの反応が気になって、そっと顔を上げた。

 目が合うと、セファが肩をすくめる。はぐらかさないで、と見つめるけれど、セファの表情は変わらなかった。

 しんと静かな、感情の読めない顔をして、平坦な声で言う。


「……師匠からの呼び出しだよ」

「セファのお師匠様と言うと、……黒の魔法使い?」


 そう、とセファが頷いた。ええと、と言葉を選ぶ様子で宙をみる。


「魔法使いになる前に、ちょっとやることがあって」

「すごいわ」


 言葉を聞いた瞬間に、思わず胸がときめいた。身を乗り出すと、セファの薄茶が見開かれるのが見えたけれど、気にもとめずにセファの手を取った。


「すごいわ! セファがもうすぐ、魔法使いになるという話ね?」


 あっけにとられるセファの手を両手でぶんぶんと振って、あぁ私こう言う時どうしたらいいのかしら。お祝い、したいけれど、やったことなんてないし、私にできることなんて。でも何か、弟子だし、友人だもの。誰に相談すればいいのかしら……!

 と、そこでふと、我に帰る。


「でも、それでどうして魔力を使う必要が?」

「さあね。師匠に言われるままあれこれと。まぁ、いいように利用されただけだよ」


 たいしたことじゃないよ、本当に。と、そういう口調がいつものセファよりも早くて、何か隠しているような怪しさに目を細めた。


「本当に? 何か困ったことになってない?」

「本当、本当だから少し距離を」

「本当になにも困ったことになってないというのなら、魔法使いになるのはもうすぐってことよね? なる前にやることって、セファのことだもの、すぐ終わるようなことでしょう? いつなるの? どんな風に変わるのかしら?」

「まだだよ。気が早いし、変わることだって特にない。仕える先が国じゃなくて世界になるから、宮廷魔術師の地位は返還しなきゃいけないってくらいだよ。赤い羽飾りをとるってだけ。身を乗り出しすぎだ、ちょっとさがって」


 口早に言い連ねて、セファが私の肩を両手で押す。押し返されて元の革の椅子に収まったところで、自分からセファに飛びついていたことに気づいた。


 びゃ! と顔を真っ赤にする私を、何とも言えない表情で眺めながら、セファは咳払いをする。いっそ無情なまでに指摘して立ち直れないくらいにしてほしい。


「僕が、魔法使いになるところ。そんなに見たいの」

「見たいわ。……見れたらいいなと、思うわ。」


 反射で答えてしまって、あわてて言い直す。さきほどから淑女にあるまじき振る舞いばかりが目立つ。この場にいる私は、セファの友人。もしくは弟子。貴族令嬢としてのローズは脇に置いておくのよ。と、そんなふう自分に言い聞かせているけれど、醜態に変わりはない。セファの前ではもう少しかっこよく振る舞いたいのに、上手くいかない。

 誤魔化すように顔を背け、熱いままの頬を両手で包んで冷やしながら続けた。


「私、ただ見たいの。それを望むことに付随する理由がない、ただの私の望み。王太子の婚約者だったローズ・フォルアリスにはゆるされなかったこと。ただの、宮廷魔術師セファの弟子のロゼだからゆるされることだと、思うこと」


 世界を救って消えるなら、白銀の魔法使いを見てからがいい。そんな風に、救世を後回しにしたいくらいに望むこと。叶うかどうかも考えない。ただの願いを口にしていた。ごまかすためとは言え、これも醜態と言えるのではないかしら。

 あぁ、もう。


「ふうん」


 物言いたげな相槌に、顔を上げる。あの、表情の読みにくい白銀の魔術師が、気恥ずかしそうな顔で口元を曲げていた。照れているのかしら。素直に喜べばいいのに、と思わず笑ってしまう。こうしてみると最初の時の、年下の男の子だと感じたあの印象を思い出してしまう。

 ふふ、と私は笑った。


 ふと、薄茶の瞳がじっと私を見つめる。先ほど摘んできた私の頬を、今度は優しく指の背で撫ぜた。頬からゆっくりとたどるその指は、顔の横にかかっていた髪をそっとはらって耳に触れる。

 セファの指先の冷たさに、自分の耳がいまどんなに赤くなっているのか思い至って息を呑んだ。

 その拍子に、セファの指が離れていく。なんだか張り詰めていた身体がほっと弛緩するようだった。動悸が痛い。何か思うことはたくさんあるのに、触れられた耳に意識を奪われたように、何も考えられなかった。


 セファも、何も言わない。こちらを見つめたまま、私の様子を観察しているかのようだった。

 しっかりしなくちゃ。

 セファにとってなんでもないことなら、私、狼狽えてなんかいられないわ。何事もなかったように、自然な会話を、どうにか。


「……セファは、魔法使いになったらどんなことをするの?」


一息に問いを口にして、やっと息ができる。セファが瞬いている隙に、続けて問うた。


「私、今のあなたの専門も詳しく知らないけど。たしか、薬草について詳しいのよね?」

「うん。……主な専門は、高濃度魔力環境下における薬用植物の成分分析とその比較」


 一息に論文の題名みたいなものを告げられて、動悸を整えながら思案する。ええと、と首を傾げた。


「結界の外の森。魔力量の多い奥の方で育った薬草が、どんな成分を持っているかについて研究している。ってことよね?」

「そんな風にさっと噛み砕かれると、意地悪した僕が本当に性格が悪い男になるんだけど」


 意地悪だったの? と瞬く。セファは肩をすくめて丸椅子から立ち上がった。少し乱れた白の外套を直してから身を翻すのを、私も立ち上がって追いかける。


「でも、セファって元々意地悪よね」


 お茶会室の焜炉で、お湯を沸かし始めたセファの背中に話しかける。茶葉の缶を用意するのが見えて、お茶の用意だとわかる。二人で飲むのならどれがいいかしら食器棚の方を眺めた。


「……君には、優しくしてるつもりだけど」

「それは、もちろんそうだけど」


 声が心外そうな響きを含んでいて、茶器を両手に振り返る。焜炉の前に佇みながら、セファがじっと私を見ていた。少しの間見つめ合っていたけれど、なんだかその静かな眼差しにが非難の色を帯びている気がして、つい、誤魔化すようにえへへと笑ってしまった。

 ええと、ここは取りなすべきかしら。


「学院でのセファ先生は、学生たちにとってちょっと怖い先生みたい。あんまり笑わないんですってね」


 魔術師ゴダードの研究室で出会った学生たちは、私の知らないセファの話をたくさんしてくれた。愛想がないだとか、笑わないだとか、氷のような冷たさだとか。


「それを聞いて、私、ちょっと特別なのかしらって嬉しく思ったりもしたのよ。優しいセファも、意地悪に笑うセファも、工房や研究室に出入りするような近しい相手、私たちだけのセファなのねって」


 無表情で私を見ていたセファが突然大きな窓へと歩み寄り、露台に向けての硝子戸を開け放つ。鈍色の曇天の中、ひんやりとした秋の空気が入ってきて、とっさに羽織ったままの黒い学院外套の前を抑えた。


「セファ?」


 呼んだのに、セファはこちらに背を向けて、なぜだかガン、と硝子戸に頭を打ち付けている。何度か繰り返し呼んだけれど、あまりにも反応がないので焜炉の火を止めてからセファの外套の袖を引いた。


「なんなの?」

「なんでもない」


 なんでもなくないと思うんだけど。と、不審げに見てしまう。さらに袖を引いて、じっと見上げているとなにか疚しいことがあるように顔がそらされる。突然の奇異な行動に脈絡がなさすぎて、セファがどうしてそんな態度になっているのか全くわからない。


「僕は、君のそういうところが」


 言葉は不自然に途切れた。顔もそらされ、どうしたのかしらと覗き込もうとした時、ゆるく腕を引かれた。


「……なんでもないよ」


 セファの腕の中に収まると同時にそんな声が響く。すっぽりと抱きしめられ、拘束は緩く思えるのに、どうしてか振り仰ぐことさえもできない。


 ……なにかしら、これ。


 いつものセファの香りに、温もりに、骨に響くほど間近から聞こえる声に、頭が痺れたように思考停止している。なぜセファに抱きしめられているのか全くわからない。


 え。何かしらこれ。


 ちょっと理解が追いつかないし、窓が開いているせいで外の空気の涼しさにセファの腕の温かさが際立って、私、きっと今顔が真っ赤になっているんじゃ。


「せふぁ? ねえ、あのセファったら」


 取り乱したままセファの名前を繰り返す。あの、ええと。なんなの? なんなのこれ?


「……別に、ただの意地悪だよ」


 これ意地悪なの! 驚愕にうろたえながらも、ええと、と考える。なんだか怒ってもいい気分だったけれど、さっきの口を曲げたセファを思い出して、ちょっと笑った。


 ここでセファからの意地悪に憤慨する私だと思っているのなら、違う反応をしてもいいと思うわ。


「何かあったんじゃないの?」


 そう問いかけて、腕を伸ばした。セファの背中をあやすように叩く。ギクリとこわばるセファの身体に、そんな風になるなら、本当に何でこんなことしてきたのかしらと不思議に思った。

 きっと今のこの状況は、私にとってもセファにとっても異常事態で、お互いに思考が空回って停止していると思っていい。

 後からいくらでも、気が動転していたのだわと言えるこの状況を利用するようにして、セファのことをさらにぎゅっと抱きしめた。


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