10.これまでの生き方の話
セファは、異界渡の巫女が書き記した通り、優しくて、優秀で、少し意地悪な、魔法使いの男の子だった。
早くに登り始めた太陽に合わせて宿屋で目が覚め、寝る前に用意した服に着替える。階下に降りる前に、セファの部屋を訪ねて、衣服に変なところがないかを確認してもらうのが、王都を目指して旅する三日間でできた習慣だ。少々情けないけれど、魔物が出るような外界を旅するような人間が、服の一つもまともに着れないのは奇妙なことなのだ。
階下の食堂にいく途中で、食事の準備中だとわかるいい香りが漂ってくる。小さな町だけれど、素敵な宿に入れたことは、幸運だったのか、セファは知ってて選んだのか、どちらだろう。何気なく会話をしながら私の体調と朝食の好みを聞き出し、席についたかと思えば私が悩む間も無く注文を終えている。
また勝手に決めて! と怒ることもあったけれど、セファはどこ吹く風と勝手に私の世話を焼いていく。
「意外と面倒見がいいのよね……」
宿屋の食堂で朝食を終えたとき、もぐもぐしながら考えていたことがふと口をついてでた。向かいの席でとっくに食べ終わったセファが、食後のお茶を飲む手を止めて呆れた目でこちらを見てくる。
私はなあに、と答えながら、女給に食器を下げてもらって、そのまま頼んだお茶を待つ。
「この三日間お世話になりっぱなしだわ。ねぇ、セファ。あなた、欲しいものはある?」
「……聞いてどうするの?」
セファの目がこの上なく冷たくなっていくのはどうしてだろう。困惑しながら、どうするって、と考える。考えながら口走るのは良くないことかもしれないけれど、セファは政敵ではないし、揚げ足を取ったところで得るものはないし、何よりここは王都から遠く離れた小さな町で頼るべきたった一人に警戒したところで始まらない。
それに、トトリも言っていた。あの場にいた三人は、私の親衛隊だと。異界渡の巫女がやり残したことを成就するための、協力者なのだと。
「王都に無事辿り着けたら私、あなたに何かお礼をしなくちゃ」
なんでもいいわよ。と目の前に座るセファを、真正面から見つめる。セファは少しだけ気圧されたように引いたけれど、打ち消すようにして居住まいを正した。
「お礼をするために僕の欲しいものを、望みを聞いて叶えようとしている? 現時点で身分もなく、財産もなく、後ろ盾も、地位ももたないローズ様が?」
「あら、いけない? 私だってもうすぐ十八だし、王都に戻れば理解者を見つけて婚姻を結ぶのが一番だと思うの。ひょっとしたら、お城にいくなり御沙汰があるかもしれないわ。そうすれば、あなたにお礼をするくらいわけないもの。遠慮しなくていいわ。私の気が変わらない今のうちよ」
異界渡の巫女のやり残したことはともかくとして、きっとそうなると私は知っている。私の価値といえば、この血に流れる魔力と歴史ぐらいなのだから。
望みを叶えてあげると言っているのに、セファはちっとも嬉しそうじゃない。
「少しだけれど、私だって貴族として魔力を持つ身だもの。そうである以上、次世代を残すために婚姻は不可欠だわ」
魔力を持つ貴族の数をみすみす減らすわけないものね。そういって微笑むけれど、セファの冷たい視線は変わらない。
「聞こうと思ってたんだけど」
人にものを聞こうとしているのに、頬杖をついて、やっぱりその目は冷たかった。なんて態度の悪い男の子だろう。けれど、私は年上なのだし、寛大な心で見逃してあげよう。世話を焼いてばかりのセファが私自身に何か聞こうとすることはあまりないのだから。
「ローズ様自身の、望みはないの?」
さっきから聞いていれば、きっとこうなるだろう、こうするべき。ローズ様のやりたいことが見えてこないんだけど、とセファは言う。何を言っているのだろう。そうか、セファは、辺境で異界渡の巫女に見つけられる前までは宮廷魔術師でもなんでもなくて、ただの魔力の強い子どもであったのだ。
なんて言ったものか、と考える。困ってしまった。
「ここでは言えないわ」
やっときたお茶を手にして、私は眉を下げて微笑んだ。
荷物をまとめて、二人並んで町を出る。セファが交渉してくれて、もっと大きな町に向かう馬車の荷台に乗せてもらえることとなった。昨日も一昨日も歩き通しだったので、ありがたい。正直、今日はどうしようかと思うほど足が限界だった。
馬車の荷台の一番後ろ。進行方向に背を向けて、足を垂らして並んで座る。こんなこと初めてだわ、とくすくす笑った。王都から出たことのなかった私は、何もかもが新鮮で、楽しいことばかりの道中だ。呑気に笑っていられるのは、多分、セファのおかげなのだろう。
「あのね、セファ。さっきの、私の望みの話だけれど。」
高い高い青空を見上げながら、口にする。
子どもに言い聞かせるように囁いて、私は自分の手のひらを自身の胸に押し当てる。自分の脈打つ鼓動と、巡る魔力を感じながら、私が言ったこと、覚えてる? と続ける。
「私は、貴族なのよ」
笑ってみせる。それが許されるからだ。
「朝起きてから、夜眠るまで、人の手を借りて生活をしているの。何人もの人の手を使うのは何故だと思う? 私は私にできないことを人にさせるわ。でもそれはね、その人たちにできないことを私がするためなのよ」
食事も、衣服も、屋敷も、父と母と二人の兄と私と妹、我が家の暮らしは、全て我が家が代々受け継いできた領地の収入で賄っている。これは領民から集めた税だ。事業を起こし他領とのやり取りで得た利益もあるけれど、それだって労働はすべて領民によってこなされている。
「私のしたいことというのは、私のすべきことと同じだわ。すべきことするために、お父様の子どもであったというただそれだけでこの生活を許されていたんだもの」
長兄も次兄も、魔法学院に通えるほどの魔力を持ち、優秀な成績を収めている。妹もじきその後を追うだろう。私は兄妹で一人、落ちこぼれたのだ。たった一つしかなかった価値も失った今、次の使い道を探さなければならない。
「家から勘当されたところで、特権階級者として生まれ育ったことには変わらないわ。きちんと報いなければ」
ダンスの先生とくるくる回りながら、横で社交の先生とお話しするわ。どういった言い回しがあるのか、決まった誘い文句に定められたお返事。数多の選択肢を頭に叩き込みながら、体でダンスを覚えた。
十日後のお祝いの席で着る衣裳を合わせながら、侍女に参加者名簿をささげ持たせ、人の名前を覚えたわ。王太子だったあの人の隣で、たくさんの人と顔をあわせるのだもの。一人一人名前を呼んで、お家の様子や家族のことを軽く触れる。きちんと存じ上げてますよと笑ってみせる。
上に立つ身であるなら、それに相応しくあらねばならない。付け入る隙を与えてはならない。力で押さえつけ言いなりにし血税を搾り取り堕落するのは簡単だけれど、明日の、来年の、未来の繁栄を願うなら、目先の利益など追ってはならない。
ならないけれど、でも、貴族の全てがそう生きているわけではないことも、知っていた。
「私の積み重ねてきたこと、やってきたことを、人に押し付ける気は無かったのだけど……。きっと言い方がうまく無かったのよね……」
ふと、思考がそれてそんなつぶぼやきが漏れてしまった。ハッとしたら隣でセファが覗き込むようにしてこちらを見ていて、こほん、と咳払いをする。
「異世界の来訪者、リリカ様。あの方の振る舞いにね、つい、口出しをしてしまったことがあるのよね」
なんどあの場に立ったとしても、つい声をかけてしまうだろう。他の人がそうであるように、私自身、リリカ様のもつ空気に和まされていたので。
「つい目がいって、助けを求められれば手を差し伸べてしまって、お節介に口出しをして」
今思い返しても、些細な接触だったと思う。だというのに、気づけば城に居場所は無くなって、あの人とも疎遠になって、言葉は誰にも届かなくなった。屋敷にいる日が増えて、クライドに手を打ってもらっている間にあの日を迎えてーー。
「ローズ様のいう貴族は、僕の思う貴族と随分違う」
呆れたため息をついて、セファがそう口を挟んできた。
「ただのローズになることの、何がダメなの」
「それは……」
あまりにも荒唐無稽なものいいに、つい口ごもってしまった。もうここに血肉があって、十八年もの歳月を生きた私は、その分民に報いなければならない。
いずれ国母に至るものとして、そういう風に教育を受けたのだ。周囲の方針に従って、そうあるように、私自身も納得して生き方を定めた。
平和な世にあって、争いを生まず調和を保つための、国母としてのあり方を。
ーー世界を、救って
自分の筆跡で綴られた、書いた覚えのない文字が不意に思い出される。
そして、すとんと納得した。
私が積み重ねてきた生き方は、平和な世にあって現状を維持するためのもの。努力家だったあの人を伴侶として、手を取り合って、同じ方向をただ波風立てず予定調和を歩めばよかった。
けれどその舞台が、荒波に変わるというのならどうだろう。
だから、舞台から降ろされたのだ。世界を救ってと異界渡の巫女が言った。救う必要があるという事だ。
救世の巫女として、神殿はリリカ様を呼び出したのなら。
「あぁ、困ったわ」
なら私、舞台に戻ってはダメではないの。