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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
一章.おいてけぼりの、悪役令嬢
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1.婚約破棄のその後はどこへ

 しんと静まり返った中で、『わたし』はゆっくりと目を開く。

 きらびやかな照明、着飾った人々。なるほどここは、舞踏会が開催された大広間。ぽっかりと空いた空間に、『わたし』は数人と対面した状態で取り残されていた。

「婚約を破棄しよう」

 突如として告げられた言葉に、視線を向ける。

「異世界からの来訪者リリカへの度重なる言いがかりについて、立場上もはや看過できぬ。そなたは、私の妃にふさわしくはない」

 続いて別の一人が進み出た。

「お前には失望したよ、ローズ。父に代わり、勘当を言い渡そう。朝には辺境行きの馬車を用意する」

 婚約者らしき王子っぽい人の言葉、どうも兄らしき人物の言葉。なるほど、と顔に出さずに再度状況を把握した。王子の陰にかばわれている黒髪の少女は、目に見えて怯えている。王子の取り巻きも、少女を案じた立ち位置だ。

 無意識に抱えるように腕を組む。人差し指で、とんとん、と肘を叩きながらできる限り素早く思考を巡らした。

 経緯も事情もわからない。けれど、たった今『わたし』は舞踏会の只中、公衆の面前で婚約破棄と勘当を言い渡された、ということなのだろう。

「そうですか」

 着ている衣裳に相応しく、艶やかな笑みを見せる。ここで怯ませなければ役者不足だ。最初が肝心。『わたし』は、何より、自分自身の使命のために


 ——乗り移って、成りかわるこの少女の、名誉と、立場を守らなければならない。


 怖い。

 目が覚めたら、世界が様変わりしていた。

 昨夜は王太子の誕生日。婚約破棄を言い渡されて、勘当されて、朝には都から遠く離れた親戚の領地で、謹慎する予定になっていたのに、どうして私、こんなところでこんなことになっているの?


 きらびやかな王城の一室、豪奢な天蓋付きの寝台。滑らかで柔らかな敷布。

 天蓋の内側で、私は混乱の最中にいた。

 ローズ様? ローズ様? と、目覚める前から部屋にいた見ず知らずの侍女が、天蓋の向こう側で私の名前を口にする。


 ……お前にそう呼ぶことを許した覚えはないわ!!


 怒鳴りそうになる唇を必死に引き結び、現状把握に努める。帳から透かし見ても、そのお仕着せは王城に勤める侍女のものだった。これはどういう茶番なの。婚約破棄の話を持ち出したら最後、辺境送りになるのかしら。それとも、王城の客間の寝台にいる私を誰かが見ていて、自分から何も言い出さないなんて、どこまで図々しいのかと指をさして笑っている?

 もう何もかもが怖かった。婚約者だった王太子に、あんな風に言われるほど疎まれていたことも、私を陥れるために、彼の取り巻きが暗躍していたことも。

 そして何より、みすみす罠に陥れられた私を、誰も助けなかったことも。当然だ。能力主義の貴族社会で、足元のぬかるみに気づきもせず泥をかぶった人間など、庇いだてするだけ時間の無駄。どんなに善良で悪意を持たない人間でも、罠を弄して利益を得る知略を持った人間の方が、王様だって使いやすい。きっと失望させたことだろう。

 現に両親はその場で私に失望し、勘当し、辺境送りを決めた。あとを継ぐことが決まっている長兄や、官僚として城勤めをする次兄、愛らしく要領のいい妹。王太子と年回りがちょうどよく、婚約者の地位に収まっていたことしか価値のなかった私にはもう、どこにも居場所がないのだ。


 これからどうなるのだろう。一歩寝台を出たら、辺境行きのための衣裳に着替えて、まだいたのか恥知らずめ、と城中の笑い者になりながら馬車に乗るの? その先は? 辺境は一体どんなところ? 異民族がいて、騎士団がいて、戦闘が日常茶飯事だという場所で、私にできることがある?

 何にもないわ、と首を振って膝を抱きしめる。ただ、王太子妃になる前に、ふさわしい人間であろうと努力してきた。それでもまだ足りない。妹にさえ及ばない私なんて、このままーー


「失礼します」


 男の人の声に、ひぅ、と喉の奥が引きつる。まだ寝衣の私がいる部屋に男性が踏み込んで来るなんて! 侍女はやはり、私の味方ではないのだろう、と上掛けを頭からかぶり枕に突っ伏した。


「ローズ嬢、お加減が悪いとか。侍女の言葉に何か返していただきませんと、医者を呼ぶことになります」

「い、医者!? 結構です。呼ぶ必要はありません」


 がばっと起き上がる。こうなれば腹をくくるしかない。こうやって逃げてうずくまっていたから、昨日だってあんな風に簡単に陥れられてしまったのだ。もう結果は出ているけれど、これ以上の愚を犯すわけにはいかない。せめて、最後の瞬間までは凛とした姿を見せなければ。王太子の元婚約者は、かつての地位に相応しい人間だったのだと。


「……き、着替えます。あなたは出てお行き」


 誰だか知らないが、侍女を介さず突然話しかけてきたのだ。私につけられた侍従か護衛騎士なのだろう。見張り役かしら。辺境にも一緒に行くの? いやだわ。あんな風に怖い声の人が、ずっとそばについていたら、気詰まりで寛ぐどころではないかもしれない。

 ため息をつきながら、男の人が出て行った音を聞いて用心しながら寝台を出る。数人の侍女にあっという間に取り囲まれて、何も言う暇もなく着替えが始まる。服を脱がされて、衣裳を着せかけられて、化粧から髪まで、侍女たちは見事な連携で、見る間に私の支度を完成させた。


「ローズ様、やはり顔色が悪そうですわね」


 なんでもないの、と言葉少なに断って、それ以上は黙殺した。ため息をつきながら鏡へ視線を向ける。鏡の中の私は、波打つ金髪を結いあげ、大きな青い瞳でまっすぐに見つめ返してくる。完璧な貴族令嬢だった。


「今日はこれから、なにかあるの」


 隙のない装いから、おもむろに問いかける。控えていた侍女は視線を交わし、それぞれがきょとんと瞬いて、誰もその問いかけに答えられないことを知ると、目に見えてうろたえ出した。


「あ、あの、ローズ様。昨夜は王太子殿下のご生誕を祝う席でしたので、本日の午後から令嬢様方と情報交換のお茶会に出席されると」


 ……婚約破棄の話を、誰もしない。

 気を使われているようにも思えない。これもまた罠なのだろうか。いやだわ、と私は表情を曇らせた。また、何もできなくなる。何をすればいいのかわからない。どうすればいいのかわからない。だって、婚約破棄を宣言された私にはもう、後がない。これ以上の失態を重ねられないと言うのに、誰が味方なのかわからない場所に放り出されて、情報を得るすべがない。

 けれど、こんな風に支度を整えて、何もしようとしないのも不自然だわ。次は、次は一体何を……。


「ローズ嬢。よろしいですか」


 扉が叩かれて、先ほどの騎士が声をかけてくる。視線を投げかけてくる侍女に頷いて、扉を開けさせた。騎士が扉の内側に入ってくるのに合わせて手近な椅子を用意させる。礼をとった騎士は、私が椅子の上に落ち着くと居住まいを正して顔を上げた。


「……昨晩とずいぶん様子が違いますが、お加減は」


 誰よこの男、と目を眇めて眺めていたけれど、その生真面目な顔には見覚えがある気がした。必死に記憶を手繰り寄せて、ふと、思い出す。


「……騎士フェルバート? 王太子殿下の二の騎士の?」

「……ローズ嬢は記憶が混乱されているようだ。他に変わった言動は?」


 突然私から視線を外して、フェルバードは侍女に問いただした。なんて失礼なんだろう。

 騎士フェルバートは、私の婚約者だった王太子の二の騎士だ。

 一の騎士は常に王太子のそばにあって警護をする。二の騎士の役割は、そのほか周囲の露払いといったところだろうか。一番そばに控えるわけではないけれど、一の騎士から主人の意向を聞きつつ、指示を仰いでその身辺を警護し、必要があれば文官と協力して、主人の意向を叶える、という。

 フェルバートは、二の騎士なだけあって印象はそんなに強くはないけれど、王太子の騎士の一人だ。王太子にのそばにあるのが当たり前の人。

 表立って活躍するのは王太子と、一の騎士。対して、暗躍する二の騎士フェルバート、といった印象が強い。

 癖のある黒髪は少し長めで、いつもうなじで軽く結わえている。深い青の瞳はいつも落ち着いていて、歳は私と三つほどしか変わらないはずなのに、その立派な背丈も、態度も、王太子付きの騎士の名を体現しているところに、密かに憧れていた。王太子の隣にあるものとして、あんな風になれたら、怖いものなどないだろうと。

 鉄仮面で、生真面目で、融通のきかないところを、時々王太子に揶揄われ、煙たがられていた気がするけれど。


「……私の部屋に来るような、そんな近しい距離感だったかしら」


 むぅ、と一人小声で呟くと、「ローズ嬢」と声をかけられた。ハリのあるキビキビした声に、思わず背筋が伸びる。椅子に座る私の顔を覗き込むようにして、膝をついたフェルバートに、思わず身を固くする。ねえちょっと距離が近くないかしら。


「少し込み入った話がしたい。そこの侍女トトリを残して、他の侍女を下げさせてほしい」


 お願いの形を取りつつも、その態度から私の拒否権はなかった。ひるんでいるところを見せないように、頷いて控えている全ての侍女に指示を出す。どの侍女がトトリかもわからない私は、促すように侍女へと視線を向けて彼女たちが勝手に動くのに任せた。

 フェルバートの指示した通り、一人の侍女が残り、ほかが全員退室する。トトリらしき侍女は、褐色の髪をきっちりとまとめた、実直そうな侍女だった。着替えの時も一番部屋を出たり入ったりとくるくると立ち回り、私のことを考えた優しい手つきで仕上げを担当していたように思う。

 見ず知らずの侍女は、目があうと優しく微笑んでくれた。侍女からこんな目をされたことなんて、今まで一度もないのに。気詰まりで、フェルバートに対するような見栄もなく、つい目をそらしてしまったけれど。


「さて、ローズ嬢」


 目の前で跪いたままだったフェルバートが、注意深く私を見つめている。


「王太子殿下、と先ほど言いましたね」


 ひゅ、と喉の奥がなった。


「あなたが王太子殿下に婚約破棄を言いつけられたのは、いつの話です?」


 椅子に座ったまま硬直する私の隣に、トトリが立つ。そっと腕に触れてきた。怖い。これ以上、弱みを見せるわけにはいかない。いやもう破滅しているなら今更なのか。でも、貴族として、王太子の婚約者として育った矜持が、これ以上の愚行を許さない。いや、許さないのではない、怖くて怖くて一歩も動けないのだ。

 私の浅くなる呼吸に、鉄面皮の騎士は、わずかに眉を顰めた。ひぅ、と声が漏れる。

 見つめあったまま、フェルバートは言葉を発さず、あ、私が何か言わなければずっとこのままなのだと思い知った。何を、何を言えば、何をきかれたんだっけ。


「こんやくはき、は」


 深い青の瞳に見透かされると、喉がカラカラに乾いた。たおやかな手から渡された水の入ったコップを、よく確認もせず飲み干した。


「昨夜の、王太子殿下のご生誕祝いの席で、ダンスの前に」


 喋りながら、あれ、と思う。王太子殿下より糾弾を受けた際、この人はどこにいたのだろう。王太子殿下のそばにいたのは、異世界からの来訪者リリカと一の騎士。大臣の息子に、魔術師見習い。いつもの取り巻きだった。参加者の挨拶が終わり、音楽が鳴り始め、最初のダンスを踊るために婚約者の前に行ったのだ。のこのこと、その後の運命など知りもせず。婚約者としての、義務を果たすために。


 目の前の騎士は、私の言葉を聞き終えてため息をついた。目元を片手で覆っていて、明らかに意に沿わない言葉を聞いたというように。

 気がつけば、椅子の上に座ったままの私は両手を固く握り締めていた。そういえば、先ほど飲んだ水は、と一瞬頭をよぎったけれど、目の前でうなだれるフェルバートから視線がそらせられない。


「……あなたは、だれですか」


 固い声で、問われた。意味がわからない。私は、と言いかけて、あれ、と思う。つい、身を乗り出した。うなだれたフェルバートの後ろ髪。そこには、何もない。……髪を、切ったの? いつ?

 つい見当はずれのことが頭をよぎり、慌てて口元を覆う。ええと、こほんと咳払いをして、乗り出した体を戻しつつ目をそらす。近い位置に跪かれて、私が思わず身を乗り出すと、本当に顔が近くなる。


「私は、ローズ。フォルア伯爵の第三子。ローズ・フォルアリス。昨晩勘当されて、今はもう、ただの、ローズだけれど」


 これから行く辺境で、親戚筋の養子になるのだろうか、いや、きっとお嫁に行くのが早いだろう。瑕疵(かし)があっても伯爵家令嬢の血脈を求める家は多い。それこそ、新興貴族や平民の豪商まで引く手数多だ。

 暗い気持ちでふふ、と笑っていると、さらにこれ見よがしなため息が聞こえてきた。目の前の騎士からだ。


「今は、八月の半ばです」


「はい? 王太子殿下の誕生日は春先では。なにをばかなことを」


「ちょっと失礼」


 指先を簡単に掬われ、椅子から立たされ、完璧な先導で部屋を出る。寝室から居間へと続く二間続きの客間を与えられていたことに今気づいて、なおさら自分の現状がわからなかった。大きな窓はテラスに続いていて、王城自慢の庭園が広がっていた。そこに植わっている花々に、目を疑う。夏の品種だ。少なくとも、まだ肌寒い春先に開花し得ない植物たち。


「これは、どういう」


 半年間の記憶が、ないということ? でもまって、だって侍女の一人が、王太子殿下の生誕祝いの席の話をしたわ。

 庭園の東屋に、人影があった。ゆらりと立ち上がる細長い影に、肩を震わせて手近なモノにすがりつく。


「その疑問についての説明は僕がしよう」

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[気になる点] 「父に代わり、勘当を言い渡そう。朝には辺境行きの馬車を用意する」 本筋には、関係ないけど勘当を父に代わって兄が言い渡せるものなの?
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