大和魂
ホテル大和閉館
伊佐野は、大和の乗組員であったにも関わらず、奇跡的に生き残る事が出来た。
3332名の人員で助かったのは、たったの276名しかいなかった。
伊佐野が生き残る事が出来たのは、単に運が良かっただけなのかもしれない。アメリカ軍の集中砲火を受けた大和において、生きるか死ぬかの境は本当に紙一重であった。
だが伊佐野の苦難は、ここから始まる。生き残った人間の責務として、何としても、何があっても生きていかなくてはならなくなったからである。
伊佐野は終戦後直ぐに海軍を去った。最終階級は中尉であった。伊佐野にとって、青春時代の全てを捧げた海軍を去る事は、生半可な気持ちでは不可能だった。
結婚して、子供が生まれ、戦後一から始めた仕事も軌道に乗り、ある程度人並みの幸せを手に入れる事はできた。
だが、伊佐野が戦争と大和の事を忘れる事は一度たりともなかった。
日本が、アメリカに占領され、かりそめの民主主義の元で、再興した事も、何があっても彼の心を揺り動かす事は出来なかった。
彼の心を動かしたのは、ただ一つ。戦争でアメリカに敗れたという事実だけであった。アメリカに敗れた事で、多くの人間の運命が変わる事になってしまったが、それを受け入れる以外に他なかった。
だが、伊佐野は海軍に入った事を後悔はしていない。むしろ、大和級戦艦と言う大艦の乗組員になれたことは、彼の誇りであった。
大和は、坊の岬沖の海中に行ってしまったが、大和から学んだ多くのモノは伊佐野の心の中に残り続けた。
大和魂とはまさにこの事になのかもしれない。 終
結論から言えば戦艦大和は、「無用の長物」ではなかった。理由は、明解である。大和はあくまで、時代の流れの中から生まれた"歴史の産物"であり、建造した日本海軍としても、勝算と戦略を充分に持って作ったものであり、国民からの期待も申し分なかった。誤算だったのは、空母や艦載機の開発が予想を上回るスピードであった事だろう。大和に限らず"戦艦"という過去に無敵を誇っていたジャンルの軍艦種が、絶滅種に追い込まれてしまったからであろう。歴史を知っている現代人が、後ろから歴史を振り替えれば、確かに、大和は「無用」だったのかもしれない。しかし、大和建造計画が、策定された昭和初期の時点で、大和を無用の長物とはおもえなかっただろう。戦力的にも昭和初期の時点では、最新鋭の技術が、取り入れられていた。国民の期待も相当なものがあった。情報が開示されてからの、大和と武蔵の不沈戦艦神話は物凄いものがあった。にも拘らず、戦後の日本人は、大和の事を少しも知らない。今回ホテル大和を執筆するに至ったのは、大和の事を少しでも知って欲しいと思ったからである。日本人には正しい歴史認識を持ち、正しく判断する材料が必要である。大和を知ることは、太平洋戦争・大東亜戦争を知ることである。この物語はフィクションであるが、歴史背景や大和にあった文化などは、歴史に忠実に再現したものである。日本人に認識の分岐点にいるなかで、まずやるべき事は、歴史認識を確かなものにし、今何をやるべきか、という答えを自ら導き出す事。まずはそこから、始まるだろう。 完




