表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ホテル大和~史上最高にして最低の戦艦~  作者: 佐久間五十六


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

98/99

戦艦大和と心中した男 伊藤整一

 大和退艦において、重要な英断を下した一人の男がいた事を紹介したい。

 その男の名は、伊藤整一である。

 大和と心中した男と呼ばれた彼は、昭和16年9月~昭和19年12月まで、軍令部次長を務め、昭和16年11月29日大本営政府連絡会議において、外務大臣東郷茂徳に対する「軍令に口を挟むとは何言だ。しかし、教えてやろう。」と発言するなど、傲慢さが見られた。

 山本五十六のエピゴーネンとも言われ、海軍大学校時代からの顔馴染みでもあった。霞ヶ浦航空隊副長、アメリカ駐在武官、人事局長などを経たが、全て山本と関わりがあり、テクノハラートと言われた。

 レイテ沖海戦の後、第二艦隊司令長官になった彼であったが、愛妻家としても知られる。

 大和が、賠償金がわりに取り上げられるのは、海軍としても、みっともないから、本土決戦に備えて陸に揚げて砲台がわりにした方が良い。ここから、強硬派の神重徳がでて来て、沖縄水上特攻には10隻ばかりの艦隊ではあったが3332+3890=7222名が、作戦に従事。

 そのうち死亡したのが3056+981=4037名であったから、伊藤が「作戦中止」の命令を出したおかげで3000人以上が、助かった事になる。

 中止が発令された為に、「特攻」とは見なされず、亡くなった人達は、通常の戦死扱いであった。伊藤自身も二階級ではなく、一階級昇進(戦死)にとどまった。

 出撃時に家族に宛てた手紙が日本人的で、評価されたが、結局彼は若い人間を助けて、自分だけ死んだ事によって、沖縄上陸作戦失敗をチャラにしてしまっただけであった。

 海軍中央部では、第一線で死に場所を与えた。それは軍人が死ぬ事で責任を取れるという、日本海軍のあしき伝統であった。「有為な人材を殺す事はしない。」このエピソードは有名である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ