戦艦大和と心中した男 伊藤整一
大和退艦において、重要な英断を下した一人の男がいた事を紹介したい。
その男の名は、伊藤整一である。
大和と心中した男と呼ばれた彼は、昭和16年9月~昭和19年12月まで、軍令部次長を務め、昭和16年11月29日大本営政府連絡会議において、外務大臣東郷茂徳に対する「軍令に口を挟むとは何言だ。しかし、教えてやろう。」と発言するなど、傲慢さが見られた。
山本五十六のエピゴーネンとも言われ、海軍大学校時代からの顔馴染みでもあった。霞ヶ浦航空隊副長、アメリカ駐在武官、人事局長などを経たが、全て山本と関わりがあり、テクノハラートと言われた。
レイテ沖海戦の後、第二艦隊司令長官になった彼であったが、愛妻家としても知られる。
大和が、賠償金がわりに取り上げられるのは、海軍としても、みっともないから、本土決戦に備えて陸に揚げて砲台がわりにした方が良い。ここから、強硬派の神重徳がでて来て、沖縄水上特攻には10隻ばかりの艦隊ではあったが3332+3890=7222名が、作戦に従事。
そのうち死亡したのが3056+981=4037名であったから、伊藤が「作戦中止」の命令を出したおかげで3000人以上が、助かった事になる。
中止が発令された為に、「特攻」とは見なされず、亡くなった人達は、通常の戦死扱いであった。伊藤自身も二階級ではなく、一階級昇進(戦死)にとどまった。
出撃時に家族に宛てた手紙が日本人的で、評価されたが、結局彼は若い人間を助けて、自分だけ死んだ事によって、沖縄上陸作戦失敗をチャラにしてしまっただけであった。
海軍中央部では、第一線で死に場所を与えた。それは軍人が死ぬ事で責任を取れるという、日本海軍のあしき伝統であった。「有為な人材を殺す事はしない。」このエピソードは有名である。




