大和のスペック2
最大射程距離41㎞とはいっても、そこまで砲弾を飛ばすためには、距離を正確に測る装置が必要であった。
そこで作られたのが、15メートルという巨大な長さを持つ測距儀、いわゆる光学式距離測定装置であった。
それまで最大とされていた戦艦長門に搭載されていた、測距儀が10メートルのものであった事を考えれば、史上類をみないものであったということが分かる。
いかに大和の照準システムが、高度であったかという事も分かる。この15メートル測距儀を開発したのは、日本光学という会社で、戦後高級カメラで世界を席巻する事になるニコンであった。しかも、自艦の揺れや進行方向、速度などのデータを射撃艦(電気機械式自動計算機)で計算し、最適の砲身角度、旋回角度を弾き出す。巨大なばかりではなく、総身に知恵が張り巡らされているのである。
また、いくら主砲ばかりが大きくても、敵を発見し狙いを定め、大砲を精密に操作出来て、発射する技術がなくては、どうしようもないのだが、大和にはそこにも建造当時の最先端の技術を投入していた。
2760トンもある砲搭が、毎秒2度の角度で旋回し、毎秒10度の角度砲身の角度を変える事が出来て、約40秒毎に砲弾を発射する事が出来た。そんな巨大主砲が威力を発揮出来なかったのは、相手が動くという事を予想していなかったからである。
という基本的かつ当たり前の事を、考えていないという一点に尽きる。そもそも論として、大砲は微妙なファクトで着弾する位置が狂ってくる。
一発撃つ度に衝撃や熱などで、砲身が歪んでくる。また、火薬の状態によっても変わってくる。大和の主砲は、そういったファクトを織り込んで何発目か、いつ積んだ火薬と砲弾なのかという事まで計算するシステムが、あった。それでも当たらないのだから、実戦は理屈通りにはいかない。
当時の国家予算の4%にあたる巨額の費用と、述べ300万人以上のマンパワーを投入した戦艦を、日本海軍が有効的に使えていれば、日本の戦況も少しは変わっていたことだろう。