キチガイな大本営
この戦争は、最早手に負えない末期ガンと同様に、手遅れになって、手の施しようがない状態にまで悪化していた。
これ以上の犠牲を負う事は、つまり大日本帝国の崩壊を意味する。
たとえ、負け戦であったとしても、大日本帝国いや、日本国民の住む国土だけは、守り抜かなければならない。その為に、何をどうすれば良いか、大本営は考えた。
だが、その結論は冷酷な決断であった。日本が、負けを認める事は出来ない。
だが、帝国陸海軍供に、充分な戦力はない。飛行機を飛ばす油さえ満足にない。これらの全てを含めて考えると、選択肢は限られて来る。
最後の最期まで抗戦して、アメリカやイギリスか降伏を促すのを待つ。それ以外に策はなかった。
抗うと言っても、兵隊や兵器供に不足している状況であるから限られた兵力と兵器で、効率良く抗わねばならない。
そうやってたどり着いたのが、特攻(神風特別攻撃隊)であった。「片道切符」や「十死零生」などと揶揄され、史上最も無謀な作戦とまでいわれ、人命軽視も甚だしいと言われた自爆攻撃である。
だが、指示した大本営にとっては、結果などはっきり言って、どうでも良かった。戦果はさして重要ではなく、キチガイ=crazyな作戦をとり続ける事によって、少しでもアメリカやイギリスに終戦工作を促せるようになれば、それで良かった。つまりは、この特攻はこの戦争を終わらせる為の犠牲であり、"必要悪"であったと大本営は言いたいのだろう。
政治家の外交努力も満足に行わずに、いたずらに兵隊の命を、鉄砲の玉扱いした事は罪が深い。
たとえ他に方法がなかったとしても、人間の命をが鉄砲の玉に変える事を何のためらいもなく、行った事は戦争犯罪にあたる蛮行であったと言えるだろう。だが、これはテロではない。
自爆テロの先駆けのように言う人間がいるが、日本海軍の全ての作戦において、民間人の大量虐殺を目的としたものが行われた事はない。だから、無差別的な個人の政治思想を押し付ける自爆テロとは違う。




