人間搭載型魚雷「回天」
日本海軍も、相当追い詰められていた事は確かである。山本五十六連合艦隊司令長官は、真珠湾攻撃に際して、行う予定であった5隻(二人乗組員×5=10名)の特殊潜航艇による、突入作戦について、こう論破している。
「九死に一生の作戦はあっても、十死零生の作戦はない。」
最終的に山本長官は、この甲標的による作戦を、乗組員が脱出出来るという事を条件に、承認する事になる。
もしかすれば、この時の山本長官の判断が、全ての過ちの現況であったのかもしれない。日本軍が、特攻という十死零生の作戦を、本格化させるのは、それから2、3年後の事である。人間搭載型魚雷「回天」も、そんな状況で生まれた。
「回天」は、脱出不可能な一人乗りの潜水艇である。操作性は、ほとんど自由が効かず、乗組員はまず、回天を上手く直進させる事を覚えなければならない。
だが実戦ではそのような自由性の効かない艦船が、目覚ましい活躍をするはずもなく、「回天」による特攻作戦は、ほとんど効果はなかった。
「回天」の問題は、それだけではない。レーダーや、日本海軍より性能の高い兵器を持っているアメリカ海軍にとっては、爆弾を大量に積んだ自由が効かない「回天」の存在は、死んだ魚も同然だった。
潜水艦の技術がまだ未熟だったこの頃は、目の付け所は悪くなかった。としても、日本海軍の技術は場当たり的で安易なものであった。
「回天」に乗り組む人間がどのような覚悟を持っていたとしても、近代兵器の前には、折角の気合いも無力化されてしまう。特攻は、本来統率の外道とされた。
日本海軍は、最早作戦を立てる機能が完全に不全を起こした、最悪の状況に陥っていたと言える。命の無駄使いを止めず勝利への執念を捨てなかったのは、愚かであった。




