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大和の戦歴

 世界最大の戦艦建造という、困難なプロジェクトを予定より短い時間で遂行可能とした要因は、最新の造船技術と生産管理方式の導入にあった。

 船体各部の接合に電気溶接が多用された結果、従来の全リベット接合式と比較して、大幅な重量と工数の軽減が、可能となった。また、各部の制作を別々に進めて、後に接合するブロック建造法、艤装工事を船体工事と並行して進める、早期艤装も導入された。さらに各現場の作業状況を常に確認し、工事遅延の原因を徹底的に排除する生産管理方式が取り入れられた。

 大和は、太平洋戦争勃発後の昭和16年12月16日に竣工し、翌年2月12日に連合艦隊の旗艦となる。そして昭和17年5月のミッドウェー海戦で初めて姿を見せたが、その後出撃の機会はほとんどなく、南太平洋の前線基地であるトラック島や、瀬戸内海での待機が続いた。

 特に、制空権を奪われた太平洋戦争後半は、行動範囲が著しく制限され、激しさを増す空からの攻撃に対抗するため、両弦の副砲搭に変えて12.7センチ高角砲6基を増設。3連装25㎜機銃も段階的に増強され、完成時の8基24門に対して、最終的には50基150門に達した。

 昭和19年10月のレイテ沖海戦では、初めて敵護衛空母部隊に攻撃を加えて、アメリカ海軍の駆逐艦ホールを撃沈。結局大和が敵艦船を撃破したのは、後にも先にもこの時だけだった。最大射程41㎞ 46㎝砲×9門、公式排水量69100トンという化け物は、昭和20年4月6日、沖縄に上陸してきたアメリカ軍を迎え撃つ天一号作戦、(別称菊水作戦)に基づき、出撃して東シナ海に散って行く事になる。

 悲しい事に大和が誕生した時点で、海戦の主役は戦艦から航空機を用いる航空母艦に移っており、その真価を発揮する機会はついに訪れなかった。

 しかし、大和を生み出した技術やノウハウは、皮肉にも戦後日本の大きな活力となって行く。

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