身辺整理
軍人たる者、いつ何が起こるか分からない。ましてや、命の保証など何処にもない。その為、稼いだお金を郷里の家族に送り、遺書を書いたりするといった身辺整理をすることも、大切な勤めであった。
海軍の場合は特に給料が良かったから、手先に残るお金の額も尋常なものではない。
残しても使い道がないから、上陸した時にパーッと使ってしまうという光景が多々見られた。
死なないに越したことはないが、海上で死ねる事は、海軍軍人としては本望な事かもしれない。
生きて帰って来る事は、残された者にとって、最良の答えではない事も事実である。戦いの中で死ぬことこそ、本望であり、生きて帰りたいと言うような雰囲気は、なかった。
死ぬことが、美学になっていたのは、日本海軍くらいのものだろう。あのアメリカ軍でさえ、兵士が死なない様に工夫を凝らしていたというのに。
玉砕や特攻という、死の美学の真髄とも言える行為が、簡単に行われたのは、その為である。
もちろん、彼等も人間だ。死にたくない、生きたいという気持ちの方が、強かったであろうと思う。
口では格好の良い事を言っていても、所詮は人間である。死にたくないと思うのは、人間の本能だ。
平時ならば生きたいと思うのが、普通の心情であるにも関わらず、彼等はまるで自殺志願者のような心情で戦っているのだ。
死ぬことは美学ではない。人間というものは、生きてこそ価値が生まれるものであり、死んでしまっては、全てが終わってしまう。
だが、そんな正論もこの時代の帝国海軍軍人には、詭弁であったのかもしれない。
身辺整理をすることも仕事の一つであり、彼等が心残りせず死ねる様にする為の手段でしかなかったのかもしれない。身の回りは常に簡素なものであれ。と陸軍大将秋山好古は言っていた。




