ジャパニーズエアークラフトキャリア
大艦巨砲主義の集大成が、大和や武蔵であった事は容易に分かったが、時代の流れは航空機+空母という航空優勢の時代に突入していた事は、既に何度も述べた。
今のようなジェット機ではなく、プロペラ機ではあったが、航空機10機で艦船を一隻を沈める事が可能だった。
大和級戦艦を作る資材や資金があれば1000機の零戦が作れたという。
大日本帝国陸海軍がアメリカに敗れたのは、アメリカ海軍の艦船やその質において、日本海軍が劣っていたからではない。
大和だ武蔵だと巨艦ばかりに金を使い、航空機に資源を回せなかった。つまり、航空機不足を招いてしまった事や、ベテラン搭乗員を固く守るプロセスが欠けていた事にある。
日本海軍航空隊の実力は、ある程度評価していいものがあった。ただ、自国で資源を賄えるアメリカと、資源の大半を輸入に頼っていた日本では差があった。
史上初の空母艦隊決戦を行える程、日本海軍の第一航空戦隊は優秀だった。だが、その運用がまずかった。
ミッドウェー海戦では、空母は出てこないとタカをくくり、魚雷から陸上攻撃爆弾に換えている最中を狙われた。空母赤城をはじめとした日本海軍の至宝が、ヒューマンエラーによって失われてしまった事は痛恨の極みである。
ミッドウェー海戦では、結局山口多聞少将の空母飛龍が、アメリカ海軍の空母一隻と刺し違えて、大惨敗をしてしまうのであるが、虎の子の空母4隻を無くした事は、日本海軍がアメリカ海軍に勝てる見込みを無くしたと言っても過言ではない。
大和がいてもそれなりの戦いは出来たという人間もいる。
しかし、結果は残酷だった。航空機の援護がなかった大和は、沖縄に向かう途中で、アメリカ軍機の急襲を受けて、沈没する。
不沈戦艦をうたっていた大和が沈んだ。不沈戦艦の大和が沈むはずはない。そう言われていた大和も、時代の流れには逆らえなかった。
戦後の安全保障の中心軸は、今でも航空機優勢である。イージス艦や空母であったとしても、対艦爆撃機に襲われれば、ひとたまりもない。どんなに優秀なレーダーを持っていても、対空兵器が充実していたとしても、艦船は空からの攻撃に弱い。
そのきっかけとなったのが、第二次世界大戦ではなかったと思われる。




