特設病院船氷川丸
特設病院船「氷川丸」の存在は、異彩を放つものだろう。「氷川丸」ほど戦前・戦中・戦後を通して、よく働いた船は珍しい。
総トン数11622トンのこの船は、日本郵船の貨客船として昭和5年4月にシアトル航路に就航以来、太平洋を横断する事238回。その間に25000人以上の船客を運んだ。
そして、開戦の年に特殊病院船として、帝国海軍に徴用されて、戦時中は主に戦傷病者の収容や治療、護送にと活躍。幸運にも撃沈される事なく、戦後まで生き残った「氷川丸」は引き続き病院船として、戦傷病者や引き揚げ者の帰還輸送に従事した。
昭和28年7月末には再びシアトル航路に復帰。昭和35年まで就役した。貨客船としては引退する事になってからも、その後「氷川丸」は、横浜港の山下公園桟橋に係留され、「豪華客船体験アミューズメント博物館」として、今尚働き続けている。戦果と呼べるものは何もなかったが、「氷川丸」のように後方支援において、何人もの命を救い、戦争が終わってからも引き揚げ者や復員をして来る者を支え、今尚日本人の役に立っている船があるという事は知っておくべきだろう。
武装は無くとも、こうやって戦争遂行の為に後方支援をする事は立派な作戦である。
事実、第二次世界大戦当時、アメリカやイギリスやドイツといった欧米列強の国々でさえ、病院船は保有していた。
だが、この船も当然敵艦隊のターゲットとなる。実際に、アメリカ海軍の潜水艦によって、日本の病院船が沈められることもあった。卑怯かもしれないが、弱い所を突くのは戦いの定石であり、戦争において弱みを見せた時点で負けなのである。
厳しいかもしれないが、病院船を護れなかった日本海軍の負けなのである。




