憎むべき相手
伊佐野は上官であった大尉にこんな事を言われた事がある。
その大尉は現場からの叩き上げ士官であり、下士官や兵隊といった下層の人間から、絶大なる支持があった。
「いいか、伊佐野。ここは戦場だ。大和のような旗艦であっても必ず修羅場は訪れる。戦場では何が起こっても、動揺してはならない。逆を言えば、戦場である以上は何でも起こりうるという事だ。大和は不沈艦として認知されているが、そんなものは神話でしかない。大和が、沈む事だってあるかも分からない。死ぬ事もあるかもしれない。兵隊である以上戦場で死ぬ事は名誉な事だ。だから、何があっても、取り乱してはならん。これだけは覚えておけ。」
その大尉自身も結局戦死してしまった。
だが、その言葉があったからこそ、伊佐野はこの戦争の中を生き抜いてこれたのかもしれない。
想像を越える程のショックある出来事の連続であったかもしれないが、それでも人間という生き物は慣れてしまう生き物なのだろう。
次第に意識せずとも何が起きても何も感じなくなった。怖い程に。
自分はロボットにでもなったのだろうかと、思う事さえあった。
人が死ぬ事に対して何も感じなくなってしまったのは、人生後にも先にもこの頃だけだったかもしれない。
アメリカ兵に対して、憎いと思った事はない。そもそも、自分が誰と戦っているのかさえ分からなかった。
頭では鬼畜米英なのかもしれないが、実際の現場で米兵の顔を拝む瞬間はほとんどなかった。
だから、この戦争に勝つという具体像すら浮かんで来なかったのも事実だ。海軍の上官に殴られ続けて行くうちに、本当の敵は日本海軍なのではないかと本気で思った。




