死に行く戦友
伊佐野は戦いの中で多くの戦友を失って行くことになる。
目の前で、敵航空機の機銃掃射によって何の容赦もなく蜂の巣にされた奴もいた。
敵戦闘機とのドックファイト中にやられ、最後は敵艦に突入していった奴もいた。
陸軍にいた奴は何の補給もないまま、餓死していった奴もいる。色んな戦友がありとあらゆる場所で戦死していった。
玉砕という名の自決によって、死を強制された奴もいる。
これは戦争であるから、伊佐野もある程度は納得出来ていた。
だが、それでも心のどこかでなんで戦友が死ななければならないのか、納得出来ない自分がいるのも確かだった。
戦争なのであるからして、死ぬ事は当たり前の日常である。
御国の為に死ぬ事は名誉であり、この時代にあっては当然の考え方である。
それでも人の死は辛いものがある。頭では分かっていても、体がそれを拒絶してしまう。
戦友の死を前にしても、顔色一つ変えないのは自分が、ただの戦闘マシーンに成り下がってしまった証拠ではないのか?
伊佐野はそう思うようになっていた。むろん、死んでいるのは戦友だけてはない。多くの日本人が毎日の様にアメリカ軍兵士によって殺されている。
そしてまた日本軍もアメリカやイギリスの兵士を殺している。
完全に何かが狂っている。そう思わずにはいられなかなった。
悲しい、辛いという気持ちもあるにはあったが、そんな感傷に浸っているような余裕はない。
日々を生き抜くだけで精一杯であり、自分に与えられた仕事をこなすことが、死んでいった戦友や日本人に対する報いの唯一の方法であった。
自分もいつ死ぬか分からない。戦争に勝つか負けるまで、この地獄は続く。戦争を終わらせるには是が非でも勝つしかない。負けるなどという事はとても考えられなかった。




