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ホテル大和~史上最高にして最低の戦艦~  作者: 佐久間五十六


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広瀬武夫少佐

日本海軍の軍人で有名な人間は、多数いるがその中でも有名なのは、広瀬武夫少佐であろう。有名な人間の多くが将官である中で、広瀬少佐は左官だった。海軍兵学校第15期卒、日露戦争で戦死後中佐に昇進している。日露戦争の旅順港閉塞作戦で、閉塞船「福井丸」の指揮を執った人物である。港口近くに達した「福井丸」は、敵駆逐艦からの魚雷を受けて浸水した。脱出の際に後甲板に集合した乗員の点呼をしてみると、杉野という兵曹長の姿が見えない。これを知った広瀬少佐は、降り注ぐ砲弾も顧みずに甲板場を「杉野!杉野!」と呼ばわりながら駆け回った。敵弾を受けて広瀬少佐は、戦死することになるのだが、この出来事は後に文部省唱歌の「広瀬中佐」として広く国民に知られる事になる。広瀬少佐は、坂の上の雲(司馬遼太郎作)の主人公である秋山真之中将の親友としても知られる。海軍兵学校の同期として、知り合ってから現場へ配属後も、友情を貫き通した事は有名である。広瀬少佐自身が特別に何か大きな事を成し遂げた訳ではない。だが部下のたった一人にまで目をかけ、己の死を顧みず探し続ける上官像が、当時の国民にはうけたのかもしれない。当時は、軍隊の上官と言えば冷静に作戦を遂行する為には、部下はいくら死んでも構わないという、概念を持っていたと考えられているのが普通であリ、ましてや部下の為に命をかけるなど有り得なかった。広瀬少佐のとった行動は、そういった既存の上官像を打ち破ったといえる。名誉の戦死は数あれど、日本海軍には果たして部下の為に、部下を守る為に、死んだ人間がいたのか私は知らない。日本海軍史上稀に見る優秀な参謀であっただけに、その死は惜しまれるものがある。こういう人がいたということを、我々は記憶しておかねばならない。

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