親友土井太一朗
実は彼には親友がいた。
土井太一朗である。土井は伊佐野と同じ年齢で、海軍兵学校を受験するまでは同級生だった。何をするにも二人は一緒だった。
海軍兵学校を受験しようと誘ったのも、何を隠そうこの男だった。土井は勉強がさほど出来た訳ではないと、伊佐野は思っていた為、例え海軍兵学校を二人で受験してもどちらかが受かるという事はなく、二人とも落ちると思っていた。ところが蓋を開けてみれば土井は受かり、自分は落ちた。
その時の勝ち誇った土井の顔が忘れられなかった。それが先程書いたような豹変ぶりへと繋がる訳である。
海軍兵学校時代の土井とは手紙で連絡をとりあっていし、どんな授業を受けているのか、どんな飯を食っていたのかということまで把握していた。
もうここまで書けば伊佐野が、なぜ海軍にこだわるのかはもうお分かりだろう。一兵卒であろうとなんであろうと、エリート街道を着々と登り進めていた親友士官を見返すような、デカイ仕事をやってやろうと意気込んでいたからである。
それならば、予科練や操練で戦闘機のパイロットを目指しても良かったが、あくまでも土井の専門である水雷屋として一流になりたかった。
伊佐野は入隊した時点では水雷屋になりたかったのだ。だが、大和や武蔵や長門といった連合艦隊の中核となるような菊の御門が入っている艦に乗れるとは思ってもみなかった。
土井は海軍に入隊してからも、優秀で何とその期を次席で卒業して、海軍大学校に進学した。エリート中のエリートにしか入る事が許されない道に、伊佐野はたどり着けなかった。そこに親友の土井はいる。その事が、伊佐野を戦場で結果を欲す一線級の下士官に押し上げていくのは、何とも言えない皮肉と言えたのである。
海軍は階級社会だ。ピラミッドで表すなら土井と井佐野では、本当に天と地の差がある。井佐野は入隊した時点で既に、出世争いで親友に勝つことなど望んではいなかった。欲するものはただひとつ。
任務で敵を倒す事だけだった。その井佐野の想いを反映するかのように、日本は泥沼の深みへはまる戦争に突き進んで行く。敵がどんなに強大であっても、戦略さえしっかりしていれば大国にも勝てる。
そんな前例は日露戦争で、東郷平八郎連合艦隊司令長官と大山巌陸軍大将が示してくれてはいる通りではあった。