伊佐野勝男という男
伊佐野勝男は、18才で大日本帝国海軍に入隊した。
その時はまだ自分が大和に乗れるなど、夢にも思わなかった。時は1938年4月の事だった。
日本が米英と戦争を開始する3年8か月前の事だ。伊佐野は、徴兵ではなく志願兵として海軍に入隊した。
長崎県佐世保の農家に次男坊として生まれ少年時代を過ごした。海軍の軍港が近くにある佐世保では、家業を継がない者は皆海軍に入隊するという発想は、ごく自然の成り行きであった。海軍を目指すならば、海軍兵学校を目指すのが出世の近道であり、現在の普通高校にあたる旧制中学を出てから一兵卒になるのとでは、天と地以上の差があった。
しかしながら海軍兵学校の倍率は、想像を絶する高さで、入学出来たのは一生の運を使い果たした者だけとも言われる程である。伊佐野も実は海軍兵学校の試験を受けた事はある。しかし結果は不合格、散々な結果に終わったという過去を持っていた。その後予科練や操練を受験しパイロットになる受験チャンスもあったが、船乗りになりたいと水兵になることを志願する。
物心ついた頃から、軍艦を見て育った者は、飛行機よりも船乗りに憧れを持つのは、不思議な事ではない。まだ戦争も起きていない状況下では、そういう憧れや格好の良さから海軍に入隊する者も少なくなかった。
学校では優秀、で何をやらせても伊佐野に任せておけば、大丈夫と担任のお墨付きをもらうような男だった。運動能力にも優れていて、学校で井佐野の右に出る者はいなかった。そう、彼は海軍兵学校落第という、挫折を乗り越えて進学した旧制中学で、死にもの狂いで勉強や運動に励んでいた。
海軍兵士になる下地は既にこの頃から出来上がりつつあった。性格も真面目でおとなしく能力がなあるにも関わらず、前に出過ぎないところが多くの人間を引き付けていた。
そんな彼が海軍に入隊したいと強く願うのは、ただの憧れではない。
伊佐野勝男という、人物を知るためには、彼がなぜ海軍に入隊しようと決意したのか?そこから知らなければならないだろう。