伊佐野大和に配属
伊佐野勝男が帝国海軍の門を叩いてから、早くも二年の月日が経過しようとしていた。階級も、4等水兵から上等水兵を経て、3等兵曹(下士官)にまで上昇していた。
年令も18才から20才になり、最早少年の面影はなくなっていた。伊佐野はこの2年間内地で、主として駆逐艦やあまり大型ではない空母に乗り組んで、教育を受けていた。
しかしながら、この度世界最大最強の大和の、機銃掃手(対空砲火要員)として、菊の御紋のついた連合艦隊の旗艦に乗船する事を命じられた。
3000名を越える人間が乗り組んでいる大和だったが、当時はとても名誉な事だった。
大和の実状は、エアコン完備の「ホテル大和」だったが、それでも国民の印象はすこぶる良好なものであった。
大和には、伊佐野のような若い人間から、退役間近の老兵まで、実に様々な人間が乗り組んでいた。その全ての人員を配置し、掌握しているのは大本営以外にはなかったであろう。
伊佐野の大和の第一印象は以下の様に語っている。
「こんなバカデカイ戦艦を日本海軍が造れるのならば、日本の国力は相当なものがある。しかし、危惧しなければならないのは、昨今航空機優勢の時代に、大艦巨砲のシンボルとも言える、大和が実戦でどこまで通用するかという事だ。まぁ、そんなことを下っ端の自分が、そんなことを考える必要はないのかもしれないが。されども、これはまさしく不沈艦と呼ぶのに相応しいスケールだな。」
伊佐野を下士官にしておくのは、勿体無い程冷静で的確な目線を持っていた。これが後に活かされる機会が来るのだが、その時にはこの第一印象通り大和は、海上に浮かぶ鉄の塊同然に無力化されてしまっている時だった。こうして伊佐野勝男は、戦艦大和に配属される事になった。




