フリート・イン・ビーイング
航空主戦論者の山本五十六は、大艦巨砲主義を批判していたが、戦艦大和に関していえば「あれには政治的意味がある。」と、述べている。
大和があるだけで相手国に脅威を与える事が出来る、と。フリート・イン・ビーイング FLEET IN BEING (現存艦隊)の考え方である。
大和不要論や、大和の様な大艦巨砲主義は、時代錯誤だったという様な説が唱えられるが、それは誤りだろう。
むしろ大和の建造計画が立てられた昭和8年頃は、世界的に見てもまさに列強各国が、競って大艦巨砲の新型戦艦の開発に力をの注いでいた時期だからである。
アメリカ海軍のノースカロライナ級、イギリス海軍のキング・ジョージ5世級、フランス海軍のリシュリュー級、イタリア海軍のヴィットリオ・ヴェネト級、皆空からの攻撃に備得るために、対空兵器をつけ艦上構造物は、小さくして被弾に強くする。
それは第一次世界大戦のショックに基づていて、ユトランド沖海戦でイギリス海軍の戦艦が、敵の主砲弾に弾火薬庫を直撃されて、一発で轟沈してしまった。各国とも、その悪夢にうなされながら、新しい戦艦を模索していた。
山本が言うように、大和は兵器として優れているというよりは、今まで誰も見たことのないような巨大な戦艦がいてくれるだけで、相手にプレッシャーを与え抑止力が、働くという事をいいたかったのだろう。
現代で言う所の核兵器のようなものである。使えば最後。思うようには使えないが、保有しておく事に意味がある。抑止力が働くという事は、相手に戦わずして脅威を与えられている何よりの証である。
戦いにおいてこれほど効率的かつ効果的なものはないだろう。フリート・イン・ビーイングとは、言うなれば抑止力そのものなのである。




