当たらぬ大和の主砲
貧乏な日本海軍は、「とにかく艦艇を沈めるな。」という潜在意識からか、とにかく遠方から砲撃する事ばかり考えていた。
その結果なのか、さっぱり弾が当たらない。大和の18インチ(46㎝)砲など、レイテ沖海戦で百発撃ったが、一発も当たっていない。
昭和19年10月のレイテ沖海戦で大和を含む栗田艦隊は、アメリカ海軍の護衛空母群を正規空母部隊と誤認して、攻撃しているが、その護衛空母群の指揮官だったC.スプレイグ少将も、「赤、青、黄、様々な着色弾が、水面上に着弾して色とりどりの水柱を上げていたが、ヤマトの撃ったものだけは分かったし、全く当たらなかった。」と話していたという。
自艦が撃った砲弾が、どこに落ちたかを確認する為に、色をつけていた訳だが大和は問題外だったそうだ。
アメリカ海軍の戦艦の主砲は、せいぜい4万メートル弱なのに、大和の主砲46㎝砲は4万数千メートルはあった。これ自体は、日本海軍の誇るべき先端技術の成果である。
ただ、そこには決定的な問題があった。それは、大砲の弾が発射されてから、着弾までに80秒もかかってしまうことである。
さすがにそれだけの時間があれば、敵部隊も回避行動をとる事が可能である。
それでも日本海軍は、「相手が、大和の射程距離ギリギリの所にいる時に撃てば、こちらの損害は0で、向こうは全滅するはずだ。」と本気で考えていた。
「敵は動く上に逃げる。」という、前提を無視した為に、当たり前の事に思いが至らない。
及び腰である以前に、想像力が欠如している。
人類史上最大級の主砲を持ってしても、海洋覇権をとる事が出来なかったのは、大艦巨砲主義が、時代の終わりを意味していた。
技術的に問題がなくても、それが実戦で使えなければ、その兵器の存在意義はないだろう。




