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大和建造の背景

 日本海軍が大和の開発に着手したのは昭和9年10月の事であった。

 当時の主要海軍国は、主力艦の数量と建造禁止を規定したワシントン軍縮条約の失効を目前にして、海軍力の増強計画を着々と進めていた。

 失効を目前にして海軍力の増強を進めた背景には、日本海軍の仮想敵国である、アメリカとの一戦を主張していた対米英強硬派の存在があげられる。

 大和開発前の昭和8年10月、軍令部の石川信吾が、アメリカ海軍にもない超巨大戦艦を建造するという、次期軍縮対策私見の提出があった。

 日露戦争に勝利した後の日本海軍の仮想敵国は、一貫してアメリカだった。しかし国力に、大きな差があるアメリカと、互角の海軍軍備を持ちようが無いことは、それはどんな対米強硬派であっても最初から分かっている。

 それでも、もしアメリカと戦う事になった時、どうしたら良いのかというので、海軍は延々と悩み続ける。そこで全体としては敵わなくても、直接ぶつかる正面衝突では負けないものを作る。という発想が生まれてくる。

 その一点豪華主義的な軍備の象徴が、戦艦大和ではなかったか?そこで登場するのが、アウトレンジ戦略である。アメリカ海軍にもないような巨大戦艦を建造し、向こうの砲弾が届かない長距離、アウトレンジから46センチ主砲を撃てば、一撃で全て撃破出来る...。と理論上は上手く行く。

 軍縮条約の残した傷痕は、日本の命運に大きな影を落としているのだ。昭和5年のロンドン軍縮条約で、海軍はあくまでも対米比7割を主張する艦隊派と、条約派に別れて熾烈な闘争を繰り広げる。これが、統帥権干犯問題に発展し、国会も大きく混乱する。

 木貫太郎侍従長が、艦隊派の加藤寛治軍令部長の上奏を阻止したため、軍部の間に「宮中は頼りにならない」という見方が広がり、天皇の求心力が劇的に低下していく。昭和7年に5.15事件が起こり、政党内閣は終わる。その翌年に大和の建造計画の検討が始まるわけである。日本海軍の命運がかかっていた。

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