日本海軍の酒保
酒保というものが、海軍にはあった。今で言う所のコンビニである。
甘味品やビールなど、日頃のストレスを発散させる為に、海軍が考え出した、言わばガス抜きのようなものだろう。
武蔵や大和のような大型艦艇には、ラムネ製造機もあった為に、一見すると海軍の人間は、贅沢な暮らしをしていたと、思われても仕方がなかった。
ラムネ一杯が1銭5厘、葉書が1枚2銭、銭湯が8銭、警察の巡査の初任給が、月45円の時代の話であるから、酒保物品は確かに贅沢品もあった。
そんな酒保物品の中でも、圧倒的な人気を誇っていたのが、虎屋の羊羮であった。酒保物品で、5~6千本が一度に陸上げされ、ゴムに包まれた丸い棒状のもので、親指より少し太くて15センチ程の長さをしているものだ。別に特別高級なものでもなかったが、普通の羊羮が高級品だった。戦時中とはそういう時代だった。
甘いものは格別に庶民の憧れの品だった。大きな軍隊にもなると、あの手この手で人を入れようとする。徴兵制度と志願兵制度を巧みに使った大日本帝国陸海軍において、酒保物品は飴と鞭のまさに飴の役割を果たしていた。
美味しい思いをさせる事で、日本海軍とは、なんて住み心地の良い場所なんだと思わせる事が、目的であり人の手をかけなくても、ものでつるといえば、言葉は悪いがそっちの方がはるかに安上がりで、手っ取り早かった。
酒も、酒保というくらいだから、それなりに充実していた。こういう事をしておかなければ、いざというときに前線に兵隊が、いなくなる恐れが、笑い事ではなくあった。
しかもこれは、海軍のどの部隊に所属していても、もらえるものであり階級差による差別もわりかし少なかった。皆平等に甘味や酒を手にいれる。そうする事で海軍を辞めたいと思う、思っている人間にも、こんなに美味い想いが出来るというのに、なんでわざわざ海軍を辞めたいなんて思うのか、と自問させる事が出来るのであろう。
酒保は単なる海軍の売店ではなく、抑止力的に設けられたものだった。




