大和のおもてなし
航空機が主力となった時代に大和は無用の長物だった。それは果たして事実だったのか?
この物語は史上最強と言われた戦艦大和の建造から沈没までを一人の青年の成長と共に見つめる物語である。
世界最大の46センチ「18インチ」砲×9門一発約1,5トンもある砲弾を最大4万2千メートルまで飛ばすことができ3万メートル離れていても厚さ42センチの鋼板を撃ち抜ける。砲弾の大きさも射程距離の長さも世界一であった。
装甲の厚さも敵側が大和と同じ攻撃力を持っていても耐え得る用にと舷側には約41センチの装甲を張った。これも世界一の水準にあった。
主砲や装甲の厚さにばかり目が行きがちであるが、建造当時の最先端の技術を随所に投入した。
以上の技術から大和は擦り合わせで頂点を狙いに行ったのである。最も期待されたほどの活躍は出来なかったのだが。
ホテル大和。一体誰がそのような呼び名をつけたのかは、皆目検討がつかないが、日本海軍の中枢にはいない下士官がその名をつけたのだろう。
当時はエアコンやサイダーは庶民の憧れだった。豪華絢爛な食事は、日米で戦争をしているとは思えないものだけに、もしそれが日本国民に知られたら、日本海軍は国民の附託に答えていないと言われても仕方ないであろう。
大和ホテルのおもてなしは、内部に手厚く仕事をしない艦というのが、この船の正式なやり方であり、戦果もあげずに闘いにでむかわなかった責任は、非常に罪が深いと私は思う。