此処-ここ-は 大人のイない国!
子供しかいない国、ネバーランド。
じゃあ、“もしも”有名な住人、ピーターパンが大人になってしまったら?
冬の童話祭り2018参加作品です。
ネバーランド。
住人全員が子供で、外からのお客さんも子供。大人が入る事は決して許されないとされている、“夢の国”である。
毎日が楽しい。遊びたい放題で、好きな事ばかり出来る上に、誰にも怒られない最高の国!だからこそ、“夢の国”と呼ばれているのかもしれないが。
しかしネバーランドの住人であり、そんな子供達を束ねるリーダーでもある少年、ピーターパンは最近、悩んでいた。悩みなんてない、楽しい事ばかりの夢の国であるはずなのに、気が付けば「うーん」と唸り声さえ漏らしながら、頭を抱えている始末。
最近、体の調子がどうにも“おかしい”のだ。
風邪じゃない。
お腹が痛いワケでもなければ、頭も痛くないし、歯だってズキズキしていない。
こんな事になるのは初めてで、ピーターパンは悩んでいた。
悩んでいたし、不安でもあった。
体の調子が悪いというのは、それだけで人を不安にさせる力がある。ただの風邪でも何となく不安になってしまうのに、理由が分からない上に「何処が如何悪いか」も分からないのだから、その不安は凄まじい。
加えて言うなら、夢の国で悩む人間なんていないし、不安に思う人間もいない。もちろんピーターパンも今までは不安とも悩みとも縁遠い生活をしていたから、初めての不安や悩みというものも、更にピーターパンを不安にさせていた。
かと言って、一応リーダーであるピーターパンが他の子供達に自分の不安を打ち明ける事は難しい。
いくら子供だけで好き放題にしていい国、といっても、リーダーとしての責任は少しあるし。
それにリーダーが不安を打ち明けるというのは、なんとなく格好悪いし。
そうして日々、悶々としていたのだが、隠し通すにも、1人で抱え込んでいるのにも限界はある。
喋ろうとすると咳き込んだり、なんとなくアゴの下を始めとして体にチクチクとする違和感があったり、妙に体が痛くて重くて、上手く飛べなかったり。
そんな変化もあって、不安は益々膨れ上がって。
遂にピーターパンは自分と一緒にいる仲良しの妖精、ティンカーベルにだけ相談しようと心に決めた。
※
「ね、ねぇ、ティンク。最近、ボク、体の調子がおかしいんだよね。上手く喋れないし、全身チクチクするし、あと飛び方もおかしくなった気がするんだ」
誰もいない自室で思い切って打ち明ければ、ティンカーベルは目を見開いた。大きな目が、小さな顔からはみ出るんじゃないかと思う程に見開かれ、しかし数秒後には閉じられる。
目を開くと同時に「そう」とだけ呟いたティンカーベルの声は、今までピーターパンが聞いた事もない程、冷え切って素っ気ない声だった。
「そう、って……そんな!ティンク、冷たくないかい?」
最初で最後の頼みだったティンカーベルに冷たく返され、ピーターパンは慌てて尚も縋り付こうとする。いつもの様にティンカーベルに手を伸ばせば、ふわりと躱された。
ティンカーベルは“おすまし”で、あまりベタベタ人に触られる事も好まないが、仲良しのピーターパンだけは例外であった筈。
あまりとも言える仕打ちに今度はピーターパンが目を見開く番だったが、ティンカーベルの方はおかまいなし。ふわふわ空中を漂いながらピーターパンを、まるで小馬鹿にしているかの様に見つめた。
「あなた、もう大人になったのよ。大人はこの国には要らないのは、あなたが1番知ってるでしょう?」
「大人?な、何を言ってるの?ティンク。ボクが大人になるワケ、ないじゃないか」
「あら?あなたこそ何を言ってるの?あなたは人間なんだから、いずれ大人になるでしょう?」
ティンカーベルの言葉がピーターパンには理解出来なかった。
なるほど、人は確かに大人になる。しかしそれは、外の住人に限った話だ。ネバーランドは子供だけの国。その国のリーダーである自分が、外の住人の様に大人になるワケがない。
「声変わり。生えだしたヒゲ。成長期。間違えなく、あなたは大人になりだしてるの」
声変わり。ヒゲ。成長期。
ティンカーベルが口にした言葉は、ピーターパンには馴染みのない、聞いた事さえないような物ばかりだった。しかし、1つだけ。声変わり、というのはなんとなく、覚えがあるような気もした。
最近、普通に話そうとしていても咳き込んでしまう事。それは、もしかしたら、ティンカーベルの言う“声変わり”とやらに、関係するのではないか。
しかし、ショックを受けながらも、なんとかティンカーベルの言葉を理解しようと思考を働かせたいられたのは、そこまでだった。
「そしてこの国に大人は要らないんですよ、センパイ」
ノックもなく、気配もなく。突如背後から入り込んできた声が、ピーターパンの思考は完全に停止させる。振り返れば、そこに立っていたのはまだまだ幼い顔立ちの少年だ。少し背は高いようだけれど、まだ、ほんの子供。
ただ、無邪気に走り回る子供達と違って、浮かべている表情は、まるでピーターパンの長年の敵である船長のように歪んでいて。
キミは誰?
同じ国に住む者同士、会った事もある筈なのに、なぜか名前が思い出せない。
だからピーターパンは訊ねようと口を開こうとした。実際に口は開いた。でも、音にはならなかった。代わりに口から漏れたのは、ゴフッ、という、空気が漏れた様な音。
「え、何?なん、なの……?」
呟いた声は困惑に満ちていて、ピーターパン自身が記憶する自分の声より、遥かに低くて、どこかガサついていた。
まるで自分の声じゃないみたいだ。
ピーターパンの意識は、そこまでだった。
少年は青年の胸元を突き刺した、ピーターパン愛用の短剣を思い切り引き抜く。そこから吹き出した血が、部屋やティンカーベル、少年自身さえ汚したが少年は気にする事なく浮かべた笑顔を絶やさない。
対するティンカーベルは露骨に顔を歪めて、自分に付いた血を拭おうとゴシゴシ擦ったり、魔法の粉を振りまいたりと忙しく動いていたが。
少年は、やはり笑顔を絶やさぬまま、目線を足元へと落とす。
床には先程までティンカーベルと会話……と呼ぶには一方的な話をしていた青年が、転がっている。
センパイ。もう1度そう呼んで、しかし少年は自分の言葉を否定する様に2、3回頭を左右に振った。
「それとも、先代って呼んだ方がいいんですかね?」
胸を突かれた青年がその言葉に応えない事は、少年もよく分かっている。
代わりというように、先程まで顔をしかめていたティンカーベルが、別人の様に人懐っこく笑ってみせる。それは“おすまし”なティンカーベルが、ピーターパンにだけ見せる表情。
魔法の粉の力か、必死で拭い取った効果なのか、彼女を汚した血は、綺麗さっぱり消えていて、本来の美しい姿をすっかり取り戻している。
ティンカーベルは小さな手でぱちぱちと、やはり小さな拍手を少年に向けて送ってみせた。
「大人になった“用無し”を葬った。おめでとう!これであなたが、新しいリーダー。新しいピーターパンよ」
よろしくね。大人になるその日まで。
その言葉が、少年の耳に届いたかは分からない。
ただ少年はティンカーベルに応える様に無邪気な笑顔を浮かべると、ティンカーベルへと手を差し伸べた。
「よろしく、ティンク」
ピーターパンにしか触れられる事を滅多に許さない妖精は、差し伸べられた手の中に、嬉しそうに飛び込んだ。
もしもピーターパンが大人になってしまったら?
そしたら世代交代が成されるだけさ!新しいピーターパンなんて、ほら、ネバーランドにはいくらでもいるんだから!