8 ケンタウロス流星群
裕太の学生時代の得意教科は世界史だった。理解力はオラウータンレベルでも、記憶力だけは優れていた。
湯布院の隠れ宿で久しぶりに安息の日々を楽しんでいた裕太は、ふとパルティアを思い出した。鉄を製造し、優れた重装備騎兵隊を擁していたパルティアは、ローマの侵略を退け、安息の日々を守り続けた。
「ローマをどうやっつけるか、それが問題やねん。」
長椅子に身をゆだねる裕太。お腹には、目をつぶって休んでいるららかの顔がある。
「重装備騎兵隊、俺もほしいなあ。」
「裕太さん、なんの話ですか?」
「今の中国の、新疆ウイグル自治区には、昔、パルティアっちゅう国があってな、漢字で『安息』」って書くねん。今、まさにそれやろ。だから、思い出してん。」
「ローマって?」
「パルティアはな、あの巨大帝国ローマが何度攻めてきても、追い返したんや。鉄を製造しとってな、武器に優れとったわけや。ちょっと、風呂につかってええか。」
一戸建てが四軒並ぶ風情のある温泉で、それぞれに広い露天風呂、室内風呂がある。露天風呂の前は深い孟宗竹の林に囲まれ、外部からの視線は完全に遮断されるかわりに、昼は少し薄暗かった。隠れ家風の昭和的インテリアに、裕太もららかも満足していた。ヘリのパイロット、尾藤さんが手配してくれた宿だった。
「石岡派にも、優れた武器があれば、ローマを倒すことができますね。」
「そうやけどなあ。味方ゆうたら、富樫陰陽師と、新見社長と、藤堂・・・。お互いの家族。あと、尾藤さんも入れとこか。北海道富良野の腹顔族もなあ、まだ復活してへんし。確か、富樫陰陽師、全国で同志が俺らみたいな腹顔族を復活させとるいうてたな。」
「でも、拒否する人が多くて、うまくいかないとか。」
「百人、言うてたか? 少なすぎるわ。ようそれで、腹顔族復活祭なんていうてられるなあ。」
富樫陰陽師と新見社長には居所を知らせた。新見社長は、テレビ報道は過熱するばかりで、マスコミ対策にほとほと疲れたと弱音を吐いた。裕太は、すまないと思いながらも叱咤激励した。マスコミを黙らせるだけのお金がない、ということなので、五千万ほど送ると言って勇気づけた。和田誠也の回復は順調で、もうしばらくすると面会もできるらしい。
やっかいな存在やで、あのまんまあの世へ旅立ってくれてたら、と裕太は心底思うときがある。
復活祭まであと一ヶ月前というとき、富樫陰陽師から電話があった。復活祭の準備に入ったらしい。腹顔族のお里が北海道富良野のどこで、どんな準備をしているのか皆目見当はつかないが、裕太とららかと同じ腹顔人が五十組ほど誕生したというニュースを聞いた。「腹顔人は、何人というより何組て数えるべきやな。他のみんなは俺みたいに憂き目には遭ってないわけやから、助けてほしいわあ。でも、どこにおるか、富樫陰陽師にもわからんのやて。」
裕太はテレビ放送は見ず、映画を見て過ごした。宿は居心地がよく、二週間目に入った。四軒の離れ宿はそれぞれ露天風呂もインテリアも風情が違うというので、裕太は女将に宿替えを申し入れた。
「裕太さん、ここ、なにか感じませんか?」
別棟の宿に入るなり、ららかが言う。
「ええと思うけど。なんか感じるて、霊感かなんか、ららか、もってんの?」
「霊感はもってませんけど、そう、視線・・・みたいな。」
「視線?」
「誰かに見られてるような・・・。」
裕太は部屋をチェックして回る。
「まさか、温泉宿に隠しカメラはありえへんよ。信用を落とすさかい。露天風呂も、のぞけるのは空だけやで。気のせいやで、はよ入ろか。俺、ららかと風呂入るの、めっちゃ楽しいわ。」
「結婚するからって、あんまり触らないで、裕太さん。」
「ええやないか、ええやないか。」
ららか本体に抱きついた裕太だったが、ららかにどつかれてバランスをくずし、室内風呂に水しぶきを上げて落ちた。ららかが笑う。
「もう、ららかあ、なにすんの。服、濡れてもうたがな。」
裕太のケータイが鳴る。新見社長からだ。裕太はタオルで体を拭いてから電話に出た。
「はい、こちら裕太。」
「裕太さん、風呂でいちゃついてる場合じゃありませんよ。」
「えらい、声小さいな。もっと大きな声でしゃべってんか。ええがな、俺ら、結納はしてへんけど、婚約みたいなもんやろ。って、社長さん、なんで風呂でいちゃついてるって知ってんのや?」
「テレビですよ、テレビ。音声は出てませんけど、念のため小声で話してます。」
「テレビ? どういうことや。」
裕太はテレビを付けた。リモコンを持った自分が映っている。ららか本体は裕太の影になっている。ららかの顔は、幸いにしてシャツの下で見えていないが、温泉に濡れたせいで顔の輪郭が鮮明に見えた。裕太がしたことは、とりあえず逃げることだった。どこにカメラがあるかわからないから、ららかの顔を隠しながら、ららか本体を連れて、とりあえずトイレに入った。
「どういうことや、これ!」と裕太は怒鳴った。
「隠しカメラが仕込んである。」
「有り得へんわ、そんなの。ここの女将、訴えたる!」
「今、旅館が映った。マスコミが大勢来てますよ。野次馬がいる。いや、反石岡派かもしれん。裕太さん、そこから逃げてくれ。」
「逃げろいうたかて、どうやって? もう、泣きとうなるわ。」
ケータイを切る。裕太ひとりなら逃げられても、ららかの本体がある。
「国語で、『四面楚歌』って習うたけど、こういうことやったんやなあ。」
楚の歌は聞こえてこないが、にわかに外が騒々しくなった。信じられないことに、トイレのドアをノックする音がする。
「誰や!」
裕太は身構えた。入ってきた相手に蹴りを入れるつもりでいる。
「石岡様、この宿の女将です。大丈夫ですか?」
「これはどういうことや、女将。」
裕太は恐る恐るドアを開いた。ドアの向こうには女将がひとり。紺の鮮やかな着物がよく似合っている。美人演歌歌手のたたずまいだ。
「女将、これはなんや? あんた、俺のファンやいうて、泊まってくださって光栄です、なんて言うてたやんか!」
「申し訳ございません、これは、裏切りです。」
「お酒も一緒に飲んだやないかい。なんやて、裏切り?」
「番頭が、反石岡派に寝返りまして・・・。」
「番頭て、あの、高木ブーに似た人?」
「はい、この『蔵王の間』にお通しした者です。テレビ局と内通し、この部屋にカメラを仕掛けたと白状しました。わたしも、びっくりしまして。問い詰めたところ、逆に居直って、わたしを襲ってきたのです。」
「最悪やな、高木ブー。女将、話はわかった。どっか、逃げるとこないのんか。」
「あります。今、番頭がテレビ局と話をしてますから、今のうちに。」
「えっ? あんの? 逃げ道。それはラッキーや。」
女将は露天風呂に出て、外をのぞいた。
「まだ、大丈夫です。外からは、まだ誰も来ません。この下に、逃げ道がございます。わたしの後について来てください。」
露天風呂の下はなだらかな崖になっている。突き出た岩を足場に、三人はすべらないように慎重に降りた。
「番頭にばれてへんか?」と裕太は訊いた。
「あの番頭さん、来たばかりなんです。抜け穴のことは知りません。」
崖を降りて、深い竹林に入る。その奥に、洞窟が見えた。
「ちょっと狭いですが、この洞窟は、裏山の方まで続いていまして、由布岳に出ることができます。」
「信じて、ええんやろな?」
裕太は、低い声で言った。
「わたしは、石岡派です。」
「どっち派でもかまへん。信じられるもんが、俺はほしいんや。なんでこんなに追い回されなあかんねん。」
「石岡様、本当に、ららかさんの顔が、お腹にあるんですか? 世間の皆さんはそれを知りたいようです。」
「そんなもん、あらへんがな。見てのとおり、ららかの顔はここにあるがな。」
「とても精巧にできていますけれども、これは造り物ではないかと、わたしは思ってしまいました。」
「なに追い詰めてんねん。やっぱり女将、反石岡派やろ。この洞窟抜けたら、反石岡派に囲まれて一巻の終わり、そやろ?」
「なんでもないのなら、テレビでそう証明したらよろしいかと思いまして。反石岡派なら、わざわざここにも来て、洞窟抜けなんかさせません。」
「それは、女将の言うとおりや。わかった、信じるさかい。ほな行くわ。もし無事に抜けれたら、後でたっぷり礼するわ。宿代だけ払とく。」
「宿代は、五十万ほどになると思いますが、帳場に行かないとはっきりしませんし、お支払いは結構でございます。」
「え、なんで?」
「お客様を危険な目に遭わせてしまいました。お詫び申し上げます。」
「女将、あんたを信じるわ。」
「その代わり、という言い方は変ですが・・・。」
「なんや?」
「お腹、見せていただけませんか?」
裕太は、ほらきた、と思った。日本だけでなく、おそらく世界中が、石岡裕太のお腹を見たがっているに違いない。
「ただの好奇心ではないんです。わたしは、石岡裕太のファンとして、真実が知りたいんです。それだけなんです。」
裕太は女将の瞳を見た。人は、目を見れば人柄がすぐわかる。
「女将、なんちゅう名前やった?」
「綾乃です。バツイチです。去年、主人をなくして・・・。」
「それは、気の毒やった。そんなに見たいんか?」
腹顔族の悲願は、その存在を人間に認められることにある。マイノリティでもいい、お腹を全開にして、ホテルのプールサイドで日光浴ができるくらい、人間に受け入れてもらいたい。復活祭で百人の腹顔人が誕生したとしても、そのあとどうするか。国政に出るというからには、いずれ腹顔族の存在を世に知らしめるときも来る。そう、いずれは、自分とららかの姿を人前に曝さなければなるまい。
宿の女将、綾乃は、澄んだ瞳で裕太を見つめた。綾乃の瞳を信じ、裕太は両手でTシャツの裾を上げる。綾乃は視線を落とす。視線の先には、ららかの顔があった。
「綾乃さん、助けてくれてありがとう。」とららかは言った。
「いいえ、ららか様とお会いできてうれしゅうございます。この先、苦難がございましょうけども、がんばってくださいね。」
綾乃の優しい声に、裕太は涙をこらえた。宿の方から、歓声が聞こえる。反石岡派とマスコミが追ってくるかもしれない。裕太はTシャツを下ろすと、綾乃を見てうなずいた。
「おおきに、なんとかがんばるわ。女将も気いつけてな。」
「はい。ご無事をお祈りしています。あっ、石岡様、これ、わたしの連絡先です。なにか、お力になれることがございましたら、お電話ください。」
「もう一回、おおきに。」
「それと、これ、懐中電灯。」
裕太とららか本体は洞窟に入った。振り返ると、女将が大きくうなずいて去った。宿からの喧騒が竹林に反響した。岩と泥だらけの洞窟を歩く。空洞は少しずつ小さくなり、這って進む。人工の通路らしく、採掘した跡がある。
「この体勢はきついで。ららか、顔、大丈夫か?」
ららかの顔は地面すれすれ。裕太は、ららかの顔を地面にぶつけないように気をつける。
「わたしも、本体を動かすのに精一杯。鼻がさっき、当たったけど大丈夫。」
「ほんまか、気をつけるわ。少し、休憩するか?」
「裕太さん、行きましょう、一気に出口まで。こんなところ、いつまでもいたくない。」
「そやな。」
女将が裕太を逃がしたと知った番頭が、どんな行動に出るかわからない。抜け穴も見つかるかもしれない。テレビに映った群衆を思い出すと、さすがにその数に肝が冷える。
通路が再び広くなり、立って歩けるようになったが、かなりの疲労が腰に集まった。出口に反石岡派が待ち受けていたら、もう抵抗することなどできないだろう。
出口が見える。日差しの色合いから、もう夕暮れだということがわかる。裕太は外の気配を伺う。しばらく音を聞く。鳥の鳴き声が聞こえた。野山の静寂が、裕太に安全を伝える。裕太は、野山を信じることにした。出口から、静かに顔を出す。ららか本体を出口から引き上げ、座らせた。ふたりの服はびしょ濡れで、泥だらけ。裕太はタオルでららかの顔を拭くと、本体の泥を落とした。漸く呼吸が落ち着き、夕日を眺める気持ちになった。
「つかの間の、安息や。」と裕太は言った。
「きれいな夕日。裕太さんのお腹に張り付いてから、初めて見る夕日。」
「そやなあ。ほんま、久しぶりや。芸人目指してたころは見る余裕ないし、売れたら売れたで暇無しや。」
「ずっと、見たいたい・・・あの夕日。」
「そやな。朝日を拝んで一日の計を立て、夕日を見ながら一日を反省する、そんな生活、ええなあ。」
夕日が山の端に沈む。すっかり見えなくなる前に、裕太はこれからの行動を決めようと考えた。新見社長から電話が入った。反石岡派の山狩りが始まったという。
「俺、殺人犯やないで。こんなん異常や。人権擁護団体はなにしてんねん。」
「さっき、息のかかった代議士にお願いして、警察に動いてもらうことにしたから、もう少しがんばってくださいよ。」
「ららかの本体連れて山歩きは酷やで。」
「わたしは大丈夫よ、裕太さん。体力、まだあるから。」
「聞こえたか、社長。そういうことやから、がんばるわ。警察が味方なんやな。」
ケータイのバッテリーが少なくなったが、ららかのケータイはまだ十分にある。
「社長、俺のケータイ切れたら、ららかのに電話して。」
秋の日は釣瓶落とし。電話をしている間に夕日は消えてしまった。由布岳の頂にわずかな明かりが残っている。裕太は、懐中電灯を灯したが、すぐに消した。
山狩り。なんと恐ろしい言葉だろう。その標的が自分だとは信じがたい。緩やかな尾根から険しい道なき道を歩く。
「山狩りいうことは、単純に山に登るはずや。もう少し歩いたら麓に降りてみよ。町に行けば味方が少しはいるかもしれん。そや、警察に電話してみるか。」
「信じて、大丈夫でしょうか?」
「・・・。そやな。味方の振りして、俺の居場所、探るかもしれん。逆探知とか。ここはやめとこ。社長が政治家使って頼んだいうとったけど、どこまで届いてるかわからんしな。おっと、大丈夫か、ららか。」
ららかの本体がつまずいた。
「大丈夫いうたって、疲れが溜まってるはずや。よし、俺がおぶったる。」
「裕太さん、無理しないで。」
裕太はららか本体をおぶって歩き出した。
「裕太さん、優しい・・・。」
「当たり前だのクラッカーやないかい。ユーホーでもいいから、助けに来てくれへんかなあ。」
裕太が見上げた夜空には、オリオン座が瞬いている。
「オリオン座か。確か、神話では乱暴な狩人やったな。俺が腹王やから、なんか親近感わくわ。」
「裕太さん、さそりが来たみたい・・・。」
「さそり? そんなもんここにはおらんで。」
「聞こえませんか?」
裕太は麓を見下ろした。地上の星のように、光が踊っている。
「オリオンは、さそりに刺されて死んだんですよね。」
「そやったか? 知らんかった。そんなら、あれは間違いなくさそりやわ。おいおい、大変やわ。さそりだらけや。東西南北から、懐中電灯が登ってきよるで!」
麓へ下るのをやめて、裕太は山を登り始めた。それこそさそりの思うつぼだとわかっても、麓への道を探る勇気はない。
「また、洞窟でもあればええけど。なんでこの位置がわかったんや。まさか、ケータイのGPSかなんか、つこたんかな。」
「最大のピンチですね。」
「さそりをやっつける方法、あらへんか、ららか。きみの方が頭ええさかい、考えて。」
「ギリシャ神話では、ケンタウロスがさそりを矢で刺すんです。」
「ケンタウロスって、下半身が馬のやつかいな。腹顔族とは馬が合いそうやから、ぜひ助けにきてほしいわ。」
流れ星が東の空から流れた。
「おっ、俺の願いごとが通じたんかな。」
オーケストラが開演する前のような、人間の静かなざわめきが、木々をつたってくる。下手をすれば殺されるかもしれない。裕太とららかに恐怖心が芽生える。
「いざとなったら、立ち向かうしかあらへんな。まさか武器までは持たんやろ。話し合ってみるがな。」
また流星が現れた。
「流れ星がやけに多いな。なんとか流星群でも来る日やったか?」
「本当に、ケンタウロスが助けに来てくれるかもしれませんね。」
「湯布岳のてっぺんから、ケンタウロスに乗って脱出ってか。映画やな。あかん、もう頂上やがな。さそりたち、もうそこまで来とる。」
マイクのハウリング音が聞こえた。
「石岡裕太、聞こえるかあ!」
「お前は誰や?」
裕太は大声で怒鳴った。
「反石岡派代表、大友幸四郎。」
「何の用や?」
「真実を公表しろ。そして、ららかちゃんを解放せよ!」
「こんな山のてっぺんまでご苦労じゃったのう。 断ったらどうする気や?」
「強制確保! 身柄を拘束する。」
「そんな権限がどこにある? お前らのやってることは、犯罪やぞ。今、警察呼んでるさかい、捕まんのはおまえらのほうや。覚悟しいや。」
「警察が来るまえに、お前の死刑を執行する。」
「こらこら、道徳に反すること、すな。」
「化け物退治は正義だ。裁判でも我々が勝つ。」
「あかん、あいつら、まともちゃうわ。」
裕太は新見社長に電話をかけた。
「社長、なにしとる? 絶体絶命や。警察はどうした!」
叫んだものの、社長は電話に出ない。
「こんなときに、なにしとるんや、あの社長。」
「裕太さん、突破しましょう。」
「それしかあらへんな。よっしゃあ、俺は腹顔族、腹王の生まれ変わりや。ららかに、ええとこ見せたるわ。」
長い棒切れを広い、振り回してポーズを決める。裕太の目には、人間たちの影がはっきりと見えた。ライトが一斉に裕太に向けられた。
「覚悟せい、石岡裕太。」
「俺がバケモンなら、ただでは死なんでえ。そっちも覚悟せいや。」
「わたしは、仁科ららか!」
ららかの張りのある声が由布岳に響いた。その声量に裕太も驚いた。
「石岡裕太を脅かす者は、仁科ららかの敵です!」
反石岡派のなかに、動揺のざわめきが上がる。
「俺が無理矢理ららかをお腹に貼り付けたって、誤解しておるやつが、多いんちゃうか。ええ感じや。反石岡派の士気が落ちとる。」
裕太はさらに怒鳴った。
「聞こえたかあ、大友なんとかっちゅうやつ。ららかはここにおるんや。お前ら、ららかちゃんまで殺す気かあ!」
「石岡!、ららかちゃんの声色なんか使って卑怯だぞ!」
「アホかおまはん、あれはららかがしゃべってんのやんか。」
「つまり、お前の腹にららかちゃんの顔があるということか?」
三つ目の流れ星が落ちた。
「その手に乗るかい、阿呆。」
「石岡!」
「こらあ、呼び捨てにすな! ららかが怒っとるでえ。」
「・・・。石岡、さん。」
「なんやあ。」
「わたしが代表で、確認させてもらう。ららかちゃんが無事なら、問題はない。つまり、ららかちゃんの顔が、お前の汚いお腹ではなく、元の位置、ちゃんとしたところにあるなら、我々は解散する。」
「汚いお腹は余計やろ。」
ららかの顔をお腹から消す・・・。テレビ出演のときのピンチでは、富樫陰陽師が決死の祈祷で救ってくれた。
「富樫陰陽師は、このピンチ、知ってるやろか・・・。」
「一か八かに賭けますか?」
「あかんときは、やるしかないな。あいつらだって、ららかに危害は加えんはずや。俺を殺せば、元に戻ると思うてるかもわからん。」
流星がオリオン座の方角から降り始めた。
「なんやこれ、雨みたいに星が流れとる・・・。地球の終わりかいな。」
反石岡派からも歓声が上がる。
「大友なんとかあ。わかったあ! あんただけ来い。俺のお腹、見せたる。」
再び歓声が上がった。
「カメラもいいかあ?」
「あかん! そこから映せ。」
大友と思われる人物が動く。後にカメラも続く。
「なんや、言うこときかんかい、大友なんとか。」
ららかの顔は依然お腹にある。富樫陰陽師がテレビを見て、祈祷を始めていればいいが。
影がふたつ、頂上に近づく。
「こらあ、そこで止まれ。カメラ、ダメや言うたやろ。」
大友はカメラに待ての合図をすると、裕太を見上げた。
「わたしは、大友幸四郎。もう少し近寄るぞ。」
大友に懐中電灯のライトが向けられている。大友が数メートル下まで来ても、ららかの顔はお腹にある。富樫陰陽師に電話しても出ない。もし祈祷中なら、出ないのは当たり前だ。急いでくれ、富樫陰陽師、と、裕太とららかは祈った。
裕太を照らすライトと、大友を照らすライトがほぼ同じ位置にきた。大友は立ち止まった。裕太は、大友の顔を見た。
「なかなかのイケメンさんやけど、その正義面、癪にさわるわ。名前、なんやて? どこの生まれや。」
「兵庫は蛸で有名な明石出身、大友幸四郎。二十三歳。」
「明石蛸さんかい。なんで関西弁しゃべらへんねん、マスオさんかい。」
「マスオってだれだよ。」
「マスオさんでピンとこんのかい、あほんだら。サザエさんのマスオさんやないかい。大阪出身やのに大阪弁をしゃべらないって、知らんのかい。」
「知らん。」
「アホ、それでも日本人かい。」
「生まれは関西だけど、五歳のとき関東に引っ越して・・・いいから、そのTシャツをめくって見せろ。ららかちゃんも、できれば、サングラスを取っていただきたいのですが・・・。もう、夜ですし。」
「なんや、その言葉遣い。」
お腹を見なくても、ららかが消えていないことはわかる。ららかは目をつむり、祈っていた。
「大友なんとか、二十三歳やて? まだ若いのに、なんでこんなアホなことしとるんや。大学終わって就職して、仕事覚えるのに大変な時期やろ。」
「リストラされたんだ。」
「いつや?」
「一ヶ月前・・・。」
「なんでや?」
「いいから見せろ。わかったぞ。お腹からららかちゃんの顔を消そうとしてるな? テレビでやったときみたいに、そうはいくか。」
「やるんか? そんな、おいそれとお腹なんか出せるかい。お腹冷やして下痢してしまうわ。」
夜空から轟音が唸った。裕太も、ららかも、大友も、その他大勢も、夜空を見上げた。ふたたび流星が落ちてきた。それは、頭上に降った。思わず身をかがめる。
「逃げろ!」
誰かが言った。流星群は、地上に届く前に消えず、隕石となって地表で爆発した。衝突の衝撃で山から振り落とされた。悲鳴が上がる。反石岡派をもろに直撃した隕石がある。地響きが耳を覆う。悲惨な光景が展開された。裕太とららかは呆然と見ていた。
「なんや、これ!」
大友は、血相を変えて反石岡派の方へ降りていく。裕太の手を握った者がいる。裕太はららかの手と思ったが、粗い手触りに驚いて見てみると、サルが一匹いる。
「わお!、サルや。びっくりしたあ。なんや、手を引っ張るで、こいつ。」
「来い、ということでは。逃げましょう、裕太さん!」
サルに手を引かれ、裕太とららかは北側への道を降りた。流星群は降り続ける。戦争を体験した人なら、東京大空襲を見ているようだと言うかもしれない。サルは、流星が落ちないエリアを知っているのか、次第に爆発音が遠ざかる。八合目付近まで下って振り仰ぐと、由布岳が噴火しているようだった。
しばらく下ると、爆発音は消えた。急に静けさが戻った。ただ、流星群は降り止まず、異様な光を夜空に放っている。
サルは、群れのいるところへ裕太とららかを招いた。俺の仲間だと言いたげに鳴き声を上げる。
「まさか、お猿さんたち、石岡派やないやろな。」
冗談で言ってみた裕太だったが、サルたちは一斉に鳴き声を上げた。
「ほんまかいな。」
裕太とららかを救ったサルは、ボスザルなのだろう、群れのサルに指図して、バナナを持ってこさせた。水を持ってくるサル、裕太とららかのタオルを取り上げ、水で濡らしてくるサル。ふたりは、サルたちの歓待を受けた。間違いなく石岡派だ。
まもなくヘリコプターが現れ、上空を通過していく。
「死人が出たやろう。まいったがな、こんな展開は。」
「自分たちのしていることって、大変なことだって、改めて思います。」
「そやな。腹顔族の悲願のためや。しかし、あの流星群はなんや。助かったのはええが、人、殺さんでもええがな。まあ、天変地異やから、仕方ないけど。」
「複雑な気持ちです。助かったのは、有り難いですけどね。」
「俺らを助けるために降ったんかな、流星群。だとしたら、非難もでけんけど。あの、ヘリ、こっちに来よるで。」
ヘリコプターの爆音が近づいてくる。新見社長から電話が入った。
「わたし、新見です。」
「なにしてんの今頃! どこにおんねん?」
「上です、上。」
ヘリコプターからロープが下ろされた。サルたちが木から飛び上がってロープをつかむ。ららかの本体を上げ、最後に裕太が引き上げられた。サルたちが鳴き声を上げる。裕太とららかは手を振った。
「頼もしい、石岡派さんたちね。」とららかが言った。
「復活祭にお招きしよか。」
新見社長は苦笑いした。
「これ、自衛隊のヘリです。裕太さんのケータイをGPSで検索しました。よかった、無事で。すごい流星群でしたね。ほら、テレビで何度も放送してますよ。」
ケータイのワンセグを見せた。
「遅いで社長!」
裕太は社長をどついた。
「ごめん、ごめん。シャンパンもってきたから、これで許して。」
クーラーボックスからグラスを取り出すと、裕太に手渡した。裕太はシャンパンの炭酸のはじける音が好きだ。
「これやこれ。たまらんなあ。ららか、先に飲みなはれ。」
流星群の報道は続いてた。戦争のような映像を見ながら、裕太は改めて身震いをした。驚いたのは、テレビの解説を耳にしたときだった。
【この流星群は、ケンタウロス星雲から来たのではないかと天文学者はみています。通常の流星群は数十年前から予測可能ですが、今回の流星群はまったく予想できなかったということです。学会では、この流星群のことを、ケンタウロス流星群と命名したということです。繰り返します、甚大な被害をもたらした流星群は、ケンタウロス流星群と命名されました。以上、緊急天文学会世界会議が行われております、インドの山奥から中道がお送りいたしました。】